痴漢が黄金律(「自分がして欲しいことを他人にせよ」)に基づいて行動したとは思えないが、無差別殺人犯は無意識の領域で黄金律に従った可能性がある。
「死にたい」と考える人は同時に「人生はつまらない」と考えているだろう。人生が苦痛ばかりで何の楽しみも無いものなら「人生は生きるに値しない」という結論は決して間違ってはいない。そんなつまらない人生からの解放は一種の救済でさえあり得る。
「つまらない人生に終止符を打つことは良いことだ。ボロボロの体で生にしがみ付いている人に最後の一押しを加えることは安楽死を与えるような慈悲でさえある」と彼は考えたのかも知れない。アメリカでの銃乱射事件の犯人の殆どが自殺しているのはこういう心理が働いていたからかも知れない。
勿論この論理は間違っている。「人生はつまらない」と考えたのは彼であって被害者ではない。被害者は人生を楽しんでいる真っ最中だったかも知れない。
従ってこの「殺して欲しい人は他人を殺してあげなさい」という命題はこう修正されるべきだ。「殺されたいと願う人は安楽死希望者などの殺されたがっている人を殺してあげなさい。」しかしこれもやはり変な理屈だ。
痴漢ではなく婦女暴行犯の中には「原告は悦んでいた。従ってこれは強姦ではなく和姦だ」と主張する人がいるらしい。彼にとっては「嫌よ嫌よも好きの内」ということだろうか。しかし自分が気持ち良かったのだから被害者も気持ち良かったに違いないという理屈は無理があり過ぎる。感情も快不快も決定権は本人が持つからだ。
「死にたい」と考える人は同時に「人生はつまらない」と考えているだろう。人生が苦痛ばかりで何の楽しみも無いものなら「人生は生きるに値しない」という結論は決して間違ってはいない。そんなつまらない人生からの解放は一種の救済でさえあり得る。
「つまらない人生に終止符を打つことは良いことだ。ボロボロの体で生にしがみ付いている人に最後の一押しを加えることは安楽死を与えるような慈悲でさえある」と彼は考えたのかも知れない。アメリカでの銃乱射事件の犯人の殆どが自殺しているのはこういう心理が働いていたからかも知れない。
勿論この論理は間違っている。「人生はつまらない」と考えたのは彼であって被害者ではない。被害者は人生を楽しんでいる真っ最中だったかも知れない。
従ってこの「殺して欲しい人は他人を殺してあげなさい」という命題はこう修正されるべきだ。「殺されたいと願う人は安楽死希望者などの殺されたがっている人を殺してあげなさい。」しかしこれもやはり変な理屈だ。
痴漢ではなく婦女暴行犯の中には「原告は悦んでいた。従ってこれは強姦ではなく和姦だ」と主張する人がいるらしい。彼にとっては「嫌よ嫌よも好きの内」ということだろうか。しかし自分が気持ち良かったのだから被害者も気持ち良かったに違いないという理屈は無理があり過ぎる。感情も快不快も決定権は本人が持つからだ。