俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

黄金律(2)

2011-02-08 16:18:15 | Weblog
 痴漢が黄金律(「自分がして欲しいことを他人にせよ」)に基づいて行動したとは思えないが、無差別殺人犯は無意識の領域で黄金律に従った可能性がある。
 「死にたい」と考える人は同時に「人生はつまらない」と考えているだろう。人生が苦痛ばかりで何の楽しみも無いものなら「人生は生きるに値しない」という結論は決して間違ってはいない。そんなつまらない人生からの解放は一種の救済でさえあり得る。
 「つまらない人生に終止符を打つことは良いことだ。ボロボロの体で生にしがみ付いている人に最後の一押しを加えることは安楽死を与えるような慈悲でさえある」と彼は考えたのかも知れない。アメリカでの銃乱射事件の犯人の殆どが自殺しているのはこういう心理が働いていたからかも知れない。
 勿論この論理は間違っている。「人生はつまらない」と考えたのは彼であって被害者ではない。被害者は人生を楽しんでいる真っ最中だったかも知れない。
 従ってこの「殺して欲しい人は他人を殺してあげなさい」という命題はこう修正されるべきだ。「殺されたいと願う人は安楽死希望者などの殺されたがっている人を殺してあげなさい。」しかしこれもやはり変な理屈だ。
 痴漢ではなく婦女暴行犯の中には「原告は悦んでいた。従ってこれは強姦ではなく和姦だ」と主張する人がいるらしい。彼にとっては「嫌よ嫌よも好きの内」ということだろうか。しかし自分が気持ち良かったのだから被害者も気持ち良かったに違いないという理屈は無理があり過ぎる。感情も快不快も決定権は本人が持つからだ。

司法の責任

2011-02-08 16:04:20 | Weblog
 司法は責任を負わない。冤罪の責任を負わないしその責任を問う仕組みも無い。
 大相撲で八百長がはびこったのは99%司法の責任だろう。八百長疑惑を報じた週刊誌に名誉毀損として有罪判決を下したから八百長相撲は市民権を得た。もし司法が八百長疑惑に対してまともな判決を下していればこれほど八百長相撲は広がらなかっただろう。
 これまで証拠不充分として八百長疑惑を否定したことは正当だ。しかし名誉毀損として出版社に損害賠償を命じたことは誤りであり、このことが相撲界を増長させた。司法が認めたからどんな疑わしい相撲であろうとマスコミの批判に対して真相を究明せずに、名誉毀損として訴えることが可能になってしまった。
 疑わしきは罰せず、が司法の原則だ。八百長報道が名誉毀損と認めるためには八百長が無かったと証明する義務がある。八百長が無かったことを証明せずに名誉毀損を認めたことは司法の誤りだ。
 今回の八百長事件は相撲界だけの問題ではない。司法の大問題だ。これまでの八百長疑惑に対する名誉毀損判決を総て撤回すると共にこれまでの誤審について謝罪すべきだろう。八百長疑惑を報道できなくなったのは司法がそれを名誉毀損と認めたからだ。司法による言論弾圧こそ断罪されねばならない。司法が言論弾圧に加担したという事実は重く捕らえられるべきことだ。

老人の奴隷

2011-02-08 15:45:13 | Weblog
 もし正当に報われない労働を奴隷労働と呼ぶなら、現代の労働者は奴隷労働者だと言える。彼らは自分や家族のためではなく老人を養うために働かされる。労働者は企業による搾取だけではなく老人による搾取にも苦しめられている。税金も健康保険も年金保険も介護保険も将来の自分達のためではなく現在の老人のためのものだ。
 「次世代のために子ども手当てがある」などと言えるだろうか。財源無き支給は国債に頼っている。国債を償還するためには今後増税が必要になる。増税を負担させられるのは支給されて糠喜びした人々であって、これでは福祉ではなくサラ金からの借金のようなものだ。こんな制度を有り難がるのは朝三暮四の猿だけだ。
 老人は貴族のようなものだ。働きもせず遊び呆けている。現役世代はこんな老人を生き長らせるために命を削ってでも働かざるを得ない。
 老人に対する支援が手厚過ぎるのではないだろうか。働けない老人は保護されねばならないが働ける老人にまで年金生活を送らせようとするのは明らかに不合理だ。
 年金額は過大だと思われる。老人に必要な額を支給するのではなく現役世代が負担可能な額を支給すべきだろう。つまり「入るを量りて出ずるを制す」を原則としなければ現役世代の不満は治まらない。
 因みにアメリカには定年制は無い。年齢による差別が禁じられているからだ。能力に応じて給料が支給されるから能力の衰えた老人は自らの意志でリタイヤする。
 年齢だけを基準にして労働市場から追放するシステムは現役労働者の負担を拡大する。現役労働者を老人の奴隷にしないためには老人に働く場を与えて元気な老人の自立を促す必要がある。