俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

吉野家

2011-02-11 14:46:51 | Weblog
 先日、吉野家に立ち寄ったところ「2階に上がれ」と言われたので立ち去った。
 1階には空席が3つほどあった。それなのに2階に上がれとはどういうことだろうか。客に不便を強いることを何とも思わない無神経さに腹が立った。
 階段の昇り降りが好きな人は誰もいない。足に負担が掛かるし落下の恐れもある。もし同じビルの1階と2階に同じ店があれば1階の店のほうが圧倒的に流行るだろう。2階に上がることは肉体的にも時間的にも客に負担を強いるからだ。
 もしかしたら吉野家のマニュアルには「1階の空席が3つ以下になったら極力2階に案内せよ」と書かれているのかも知れない。外から見える1階が満席になっていれば立ち寄りにくくなるからだ。
 しかしもしそんなマニュアルがあれば即刻修正すべきだろう。アルバイトから社長にまで登り詰めた安部修二氏がそんな馬鹿なやり方を許すとは思えない。客に楽をさせるべく気配りするのが小売業の常識であって店の都合で客に不便を強いるのは商道に反する。極力便利な席を優先して、不便な席は予備と考えるべきだろう。
 この吉野家T店の隣には餃子の王将がある。この店には2階が無く代わりに地階があるが、1階が満席になる前に地階に案内することはまず無い。企業姿勢の違いを感じる。
 いつの間にか吉野家の売上高はすき家に追い抜かれてしまった。その原因はメニューや価格だけではなく、アルバイト任せで商売の基本を見失ったせいなのかも知れない。かつてデフレ社会のシンボルとまで言われた企業が何とも情けない姿を晒している。

憲法

2011-02-11 14:29:01 | Weblog
 義務教育という言葉があるせいか教育はしばしば義務と誤解されている。教育を受けることは権利であって義務ではない。憲法26条には「教育を受ける権利を有する」ことと「保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ(条文のママ)」と記されている。つまり義務を負うのは親であって本人にとっては権利だ。
 投票も権利であって義務ではない。「投票は国民の義務ですから」とテレビの街頭インタビューで答える人を見掛けるがこれは放送局が国民に誤った意識を持たせようと企んでの情報操作をしているとしか思えない。
 実は憲法上での国民の義務は3つしか無い。先の「教育を受けさせる義務」以外には勤労と納税だけだ。しかも勤労は「すべて国民は勤労の権利を有し、義務を負ふ(第27条条文のママ)」とされており教育と同様に権利でありかつ義務でもある。と言うことは憲法上での一方的な義務は納税だけだ。
 憲法には責任という言葉も少ない。たまに出て来ても「責任を問はれない(条文のママ)」と否定的に使われることが多い。
 一方、権利という言葉は嫌と言うほど出て来る。権利だらけで義務も責任も乏しいのが我が誇るべき日本国憲法だ。日本人が権利ばかりを主張して義務や責任から逃れるようになったことの一因はこの歪んだ憲法にもあるだろう。
 第1条(天皇)や第9条(戦争の放棄)は」政治問題なので云々したくないが、この権利と義務・責任のアンバランスや一部に見られる旧仮名遣いぐらいは見直したいものだ。

薬のリスク(4)

2011-02-11 14:09:36 | Weblog
 薬を沢山飲んでいる老人は短命で、薬を余り飲まない老人は長命だそうだ。この事実については2つの解釈が可能だ。
 1つは、病弱な人でも薬のお蔭で老人になるまで長生きできると、いう解釈だ。もう1つは、薬は毒物であり多くを摂取したは早く死んでしまう、という解釈だ。
 私は後者だ。薬は体に異常反応を起こさせる毒物だ。副作用という言葉があるが副作用こそ「本作用」だ。薬の本質は毒であって「毒を以って毒を制す」のが薬の正体だ。
 薬(=毒)を長く飲み続けると薬依存体質になる。例えば血圧を下げる薬を飲み続ければ血圧を下げる体機能が低下する。歩かなければ足が衰えるのと同じ現象だ。こうして動物本来の機能が損なわれ、更にだんだん強い(危険な)薬に頼る薬物中毒状態になる。
 緊急時には薬を使わざるを得ない。副作用が強いステロイドは発作性気管支喘息の特効薬だ。発作が起こった時に速やかにステロイドを注射するだけで救われた命は少なくない。しかしステロイドを常用すれば確実に寿命を縮める。
 薬からのリハビリこそ必要だ。薬(=毒)を長期間服用すれば毒が体に溜まる。毒を溜めないためには薬の服用をできるだけ短期間で打ち切る必要がある。増してや複数の薬(=毒)を摂り続けた場合に体内でどんな化学反応が起こるのかなど誰も検証していないし予測することさえ不可能だろう。
 緊急時には薬に頼らざるを得ないとしても緊急時を脱したらできるだけ早く薬(=毒)を使わないようにすべきだ。薬(=毒)の摂取量を徐々に減らすべきであって長期の服用は百害あって一利無しだろう。薬(=毒)を飲み続けることは手術を毎日受けるのと同じくらいの危険性を覚悟すべきだろう。