俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

子ども手当(2)

2011-02-22 15:54:05 | Weblog
 子供優遇策は二重・三重になっているから不当だ。
 まず納税者として扶養控除を受ける。次に公務員や大企業労働者には扶養手当がある。そして更に子ども手当が支給される。なぜこんな三重の優遇が認められるのだろうか。子ども手当の支給と同時に公務員の扶養手当は廃止されるべきではないだろうか。政治家もマスコミも所得制限についてしか指摘しないが、公務員による重複受益こそ問題とされるべきだろう。
 企業の扶養手当は正当だ。企業が自らの懐を痛めて支給しているからだ。しかし公務員の扶養手当は不当だ。扶養控除があって扶養手当があって更に子ども手当を受け取れば三重取りになる。財源は総て国民の税金と国債だ。
 これまで公務員の扶養手当が過少であると問題になったことは無い。少なくとも私は知らない。それなりに支給されている。公務員には子ども手当を支給すべきではない。もし支給するなら子供の扶養手当を廃止すべきだ。お手盛りの三重優遇策は厚かまし過ぎる。
 公務員は国民の税金にたかるウジ虫のようなものだ。もしウジ虫でないのなら矜持を示して欲しいものだ。三重優遇策の特権を享受するような甘えは許されない。

役人の奴隷

2011-02-22 15:31:59 | Weblog
 先日「老人の奴隷」というやや過激な記事を書いた。しかし実は現役世代を食い物にしているのは老人だけではない。政治家を含む公務員こそ老人以上に悪質な搾取者だ。今では信じられないような話だが戦前までは政治家も公務員も薄給だった。
 戦前の政治家はボランティアに近い位置付けだった。戦後になってから厚遇され、今では日本の国会議員の報酬は世界一高額となり、政治家を家業とする人々まで現れる始末だ。
 戦後すぐの公務員は薄給だった。勤務時間が短く責任も問われない楽な仕事だったからそれ相応の給料だった。
 政治家と公務員が高給取りになったのは両者が結託したからだ。政治家と公務員がグルになってお互いの待遇を良くした。決算発表も株主総会も無いから簡単に自分達の給料を上げ続けた。
 給食のオバちゃんや市バスの運転手が7・8百万円の報酬を得ているという事実は比較的広く知られている。これは「現業手当て」が加算されるからだ。気楽な事務仕事よりも苦しい仕事と見なされている。しかし「気楽な事務仕事」に対する過大な報酬こそ見直されるべきだろう。
 さすがにやり過ぎたということに気付いた政治家が見直しを主張し始めた。名古屋の河村市長であり大阪の橋下知事だ。
 ビートルズにTaxmanという作品がある。これはお馴染みのレノン&マッカートニーではなくジョージ・ハリスンの作品で最後の言葉が痛烈だ。「お前達は他の誰のためでもなくただ私(Taxman)だけのために働いている。(You're working for no one but me.)」
 民間の労働者は税金を納めるために働かされているようなものだ。企業による搾取は労働者と協調的でさえあるが、役人による搾取は全く一方的でありかつ悪質だ。搾取という言葉は資本家に対してよりも役人に対してこそ使われるべきだろう。

競争

2011-02-22 15:18:03 | Weblog
 中国のバス乗り場の映像を見ると呆れ果てる。我先にと乗り込もうとするから降りようとする人と押し合いになって大混乱に陥る。
 誰にでも分かることだが、先に「降りる」という流れを作ってそれから「乗る」という流れを作ればこんな馬鹿な騒動は起こらない。あるいは乗り口と降り口を別にするだけで問題は解決する。
 中国人だけではない。関西人も同じようなことをする。今でも一部の駅では乗車ホームと降車ホームが別になっている。降車する前に乗り込もうとする人が跡を絶たなかったからだ。
 似たことが災害時にも起こる。大きなホールで火災が発生した時に出口へと殺到した群衆が出口を塞いでしまって避難できなくなるということがある。このように利己的な行為が却って損を招くことはしばしば見受けられる。
 魚の乱獲もその一例だろう。日本近海のイワシやスケトウダラなどは獲り過ぎたために激減してしまった。将来を考えないエゴが漁業を衰退させてしまう。
 自由競争が秩序を招くという考えは幻想に過ぎない。秩序ある競争を心掛けなければ己の身の破滅を招く。秩序ある競争を促すのがマナーだ。マナーはルール(規則)とは違って罰則が無い。しかしそれを自主的に守らなければ結局自分達が損をする。法的な罰則が無くても自業自得という罰が待っている。