私は天気予報の降水確率を勝手に補正している。40%以下の予報なら6掛けにして、50%以上はそのまま信じている。つまり予報が20%なら10%、40%なら25%と解釈している。
こんな補正をせねばならないのはお役所の責任逃れ体質のせいだ。雨が降るかどうか分からないから下駄を投げて決めてくれ、という時は正直に50%と予報するだろう。本音が20%の時は30%か40%と予報する。こんな操作をするのはできるだけ50%近辺の曖昧な予報、つまりかつて評判の悪かった「晴れ時々曇り、所により一時雨」という予報のような間違いと断定されにくい予報を気象庁は好むからだ。50%に近い予報なら大外れは無い。
心理的要因もある。「降らない」と予報して外したほうが「降る」と予報して外すよりも非難され易いから降水確率はやや高めへと操作され勝ちだ。
13日の読売新聞の夕刊で予報と結果が対比されていた。予報が50%の時に実際に降ったのは32%、40%の時は21%だったとのことだ。50%との予報が6掛けになっていたのは意外だった。これは本音が30~40%の時に情報操作をして50%と発表していることが原因だろう。
確率論は非常に重要で便利な考え方だけに、予想された数値は操作せずに正直に発表すべきだろう。手心を加えることはかえって信頼性を損なうことに繋がる。
こんな補正をせねばならないのはお役所の責任逃れ体質のせいだ。雨が降るかどうか分からないから下駄を投げて決めてくれ、という時は正直に50%と予報するだろう。本音が20%の時は30%か40%と予報する。こんな操作をするのはできるだけ50%近辺の曖昧な予報、つまりかつて評判の悪かった「晴れ時々曇り、所により一時雨」という予報のような間違いと断定されにくい予報を気象庁は好むからだ。50%に近い予報なら大外れは無い。
心理的要因もある。「降らない」と予報して外したほうが「降る」と予報して外すよりも非難され易いから降水確率はやや高めへと操作され勝ちだ。
13日の読売新聞の夕刊で予報と結果が対比されていた。予報が50%の時に実際に降ったのは32%、40%の時は21%だったとのことだ。50%との予報が6掛けになっていたのは意外だった。これは本音が30~40%の時に情報操作をして50%と発表していることが原因だろう。
確率論は非常に重要で便利な考え方だけに、予想された数値は操作せずに正直に発表すべきだろう。手心を加えることはかえって信頼性を損なうことに繋がる。