俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

降水確率

2011-06-17 15:18:16 | Weblog
 私は天気予報の降水確率を勝手に補正している。40%以下の予報なら6掛けにして、50%以上はそのまま信じている。つまり予報が20%なら10%、40%なら25%と解釈している。
 こんな補正をせねばならないのはお役所の責任逃れ体質のせいだ。雨が降るかどうか分からないから下駄を投げて決めてくれ、という時は正直に50%と予報するだろう。本音が20%の時は30%か40%と予報する。こんな操作をするのはできるだけ50%近辺の曖昧な予報、つまりかつて評判の悪かった「晴れ時々曇り、所により一時雨」という予報のような間違いと断定されにくい予報を気象庁は好むからだ。50%に近い予報なら大外れは無い。
 心理的要因もある。「降らない」と予報して外したほうが「降る」と予報して外すよりも非難され易いから降水確率はやや高めへと操作され勝ちだ。
 13日の読売新聞の夕刊で予報と結果が対比されていた。予報が50%の時に実際に降ったのは32%、40%の時は21%だったとのことだ。50%との予報が6掛けになっていたのは意外だった。これは本音が30~40%の時に情報操作をして50%と発表していることが原因だろう。
 確率論は非常に重要で便利な考え方だけに、予想された数値は操作せずに正直に発表すべきだろう。手心を加えることはかえって信頼性を損なうことに繋がる。

間引き運転

2011-06-17 15:04:25 | Weblog
 節電のために間引き運転が検討されているが、なぜ間引き運転なのかと疑問を感じる。連結車両数の削減のほうが良いのではないだろうか。
 間引きすれば10分間隔のダイヤが20分間隔になったり、30分間隔が1時間間隔になる。これが利用者の利便性を損なうことは確実だ。
 連結車両数を削減しても利便性はそれほど損なわれない。10両編成を5両編成にしても混雑度が2倍になるだけだ。
 朝の通勤時間帯に混雑度が2倍になったら大変だが昼間に2倍になっても問題は無い。もともと空いているからだ。
 間引きすれば電力は100%削減されるが連結車両を半減しても電力は半減しない。せいぜい2・3割の削減にしかならない。しかしそれでも充分だろう。
 ではなぜ利便性を損なう方向で検討するのだろうか。それは電力削減を隠れ蓑にして人件費を削りたいからだろう。連結車両数削減では人件費は減らないが間引き運転なら電力だけではなく人件費も減らせる。
 計画停電で消費者を不便にさせることによって節電を定着させた東電と同様、間引き運転で利用者に不便を強いて自らは経費削減による収支改善を図るなど言語道断だ。これは節電を大義名分にした顧客軽視だ。

専門家

2011-06-17 14:49:27 | Weblog
 専門家はそのジャンルに精通した人であり素人は彼らの意見を大いに参考にする。医師の指導により健康に注意を払うべきであり栄養士のアドバイスを受けて食生活を改善すべきだろう。
 しかし専門家は自分の専門ジャンルを過大評価する嫌いがある。法律家は何でも法で解決しようとするし、経済学者や経済人は経済活動こそ人生そのものであり国や地域の発展は経済活動に依存するとさえ考える。
 彼らが偏った考え方を採るのは元々そんな考え方を持った人がその職業を選んだからでもあるが、その道のプロになった今では彼らの生きがいでもあり食い扶持でもある。従ってそれらの価値を否定することは彼らの生き方を否定することになるので絶対に認めようとしない。
 原子力の専門家はどうだろうか。彼らは原子力の存否については問おうとしない。いかに安全に経済的に推進するかということのみを問題にする。このことは医師が医療の必要性について問わず、法律家が法治国家の是非を問わないのと同じことであって何ら咎められるべきことではない。
 しかしその結果として、原子力の専門家がごく一部の例外を除いて、原子力推進の専門家となってしまったことは真に残念なことだ。殆んどの専門家が一致して安全性と経済性と将来性を約束すれば素人が反論することは不可能だ。
 専門家は容易に専門馬鹿になる。専門馬鹿に騙されないためには、そのシステムそのものが本当に必要なのかという根本的な問いを発し続けねばならない。