俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

年末ジャンボ宝くじ

2011-11-29 15:32:20 | Weblog
 年末ジャンボ宝くじが販売されている。これは阿呆税のようなものだ。
 宝くじの配当率は50%以下だ。多分世界一配当率の低いギャンブルだろう。こんなものを買うのは阿呆だけだ。実際、彼らは確率計算のできない阿呆だ。当たりくじの出た売り場には早朝から長蛇の列ができる。当選確率はどの売り場でも同じであり沢山売れた売り場では沢山当たりくじが出るということさえ理解できない低能者だ。最も沢山の当たりくじを売った売り場はほぼ100%の確率で最も沢山の空くじを売った売り場だろう。宝くじとは「多・空くじ」のことだ。
 しかし国がこんな詐欺まがいの商売をやって良いのだろうか。殆んどが空くじなのだから詐欺師の原野商法や和牛オーナー制度のようなものだ。暴力団による賭博や吞行為でももっと配当率は高いだろうし、大王製紙元会長の井川氏が嵌ったバカラなら98~99%の配当率だ。こんな非倫理的と思える事業をテレビCMまで使って大々的に拡販しようとしている。テレビ局も詐欺の共犯者だ。
 実際に認知症の人が買っていると思えるのは毎年少なからぬ当選券が換金されていないということだ。わざわざ買った宝くじの番号をチェックしないのは買ったということさえ忘れているからだろう。
 こんな知的弱者を食い物にするような事業は廃止すべきだ。認知症の老人に対する詐欺にも等しい行為を国が行うべきではない。

労働

2011-11-29 15:17:24 | Weblog
 労働とは何だろうか。ユダヤ教やキリスト教の聖典ではエデンの園で犯した罪に対する罰と位置づけられている。だからアメリカには「ハッピーリタイヤメント」という言葉があり労働からの解放が祝福される。
 日本では社会の役に立つことが善いことという共同幻想が支配的なので、労働することは社会参加でありそれを通じて自己実現も可能になると言われ勝ちだ。それどころか組織に加入することで初めてアイデンティティが確立されるとまで言われている。これは幻想を通り越した妄想であり、就職斡旋会社が意図的に流している嘘としか思えない。実際の労働は殆んどが不本意なものであり不承不承やらされているに過ぎない。仕事を通じて自己実現をできるのはごく稀な人、つまり特別な才能に恵まれた人だけだ。
 日本国憲法は「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」と定めているがこれは奇妙な条文だ。1つの行為が権利であり同時に義務であることはあり得ない。権利と義務は反対語だ。「勤労」の代わりにどんな言葉を代入しても文章として成り立ち得ない。従ってこの条文は「勤労を通じて報酬を得る権利を有し、納税する義務を負う」と読み替えるべきだろう。
 結局のところ、労働とは「他者の要求を有償で請け負う」ということに落ち着くだろう。こんなものに過大な期待をすべきではない。

土地の私有(2)

2011-11-29 15:04:37 | Weblog
 ネイティブアメリカンは土地を私有していなかった。土地は共有物であり家だけが私有物だった。そんな考え方だから白人がやって来て勝手に居住することを許した。ところがそのうち白人はとんでもないことを言い始めた。土地を囲い込んで私有地であると主張したのだ。私有を主張する人と共有を主張する人は共存できない。これが両者の対立を招いた。
 土地の私有は現代では当たり前のように思われているが考えてみれば奇妙なことだ。所有者が作った物でないことは勿論、当初は正当に購入したものでもなく、単に占領しただけだ。アメリカの白人と同じようなことが世界中で行われた。
 日本でも元々は公地公民だった。藤原氏が荘園を作ってからその原則が崩れ、その後戦国大名がそれぞれの国を支配した。
 土地は誰のものかと問うなら国のものとするのが妥当だろう。国民や企業は国から賃借するのが本筋だろう。しかしこれまでに散々売り買いされたものを元に戻すことは不可能だ。
 現実的な話としては現在の国有地や埋め立てなどで新たに生まれる国土は売却せずに賃貸すべきだろう。借金まみれの国の財政立て直しのために国有地を売却することは好ましいことではない。