俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

エレベーターの節電

2012-02-07 15:22:18 | Weblog
 節電のために一部のエレベーターを止めているが、もっと良い節電策は無いものだろうか。
 電車の場合、停車駅を減らすことが節電のためには有効だ。電車は発車する時に最大のエネルギーを使い走行中は余りエネルギーを使わない。同じように考えれば奇数階に止まるエレベーターと偶数階に止まる物、最上階に直行する物と役割分担をすれば節電になる筈だ。しかしこれは余り効果は無かろう。利用者の中にはエレベーターを呼ぶボタンを全部押す不心得者もいるので無駄な上下動が増える。むしろ一連のエレベーターを集中制御している現状のほうが効率的だろう。
 提案したいのは定員を半分にすることだ。エレベーターは反対側に錘を付けてバランスを取っている。錘の重さは定員の半数の時に釣り合うように設定されている。だから定員の半数の時のエネルギー使用量が最も少ない。エレベーター内に囲いを作って定員の半数しか乗れないようにすれば無駄なエネルギー消費を減らせるだろう。利用者にとっても一台が止まったままであるよりは利便性が高いと思える。

攻撃と防御

2012-02-07 15:10:05 | Weblog
 「攻撃は最大の防御」と言うが本当だろうか。確かに防御一辺倒になれば相手からの攻撃を受け続けることになる。適度に反撃を仕掛けることは相手の攻撃に対する牽制として有効だ。
 しかし実際のところ攻撃することはリスクを伴う。例えばサッカーで攻撃する時にはバックスまで攻撃に参加することがある。これはカウンター攻撃をされ易い状態だ。
 球技だけではない。格闘技でも同じことが言える。ボクシングで片手あるいは両手を攻撃に使えばガードは手薄になる。当然のことだが反撃を受け易い。
 攻守が入れ替わる野球は例外だろう。攻撃時には防御をする必要は無く、攻めに徹することができる。しかし攻撃重視で守備の下手な選手を使えば守備に回った時に弱点を露呈する。
 動物のオスは攻撃力を増すために守備力を犠牲にしている。動物的生命力を高めるために植物的生命力を下げている。メスのほうが病気に強く寿命も長いのは攻撃力という諸刃の剣に無駄な投資をしていないからだろう。
 戦わないこと、戦わずして勝つことが孫子の兵法での理想だが動物としてもあるべき姿だろう。

メスの美

2012-02-07 14:54:04 | Weblog
 大半の動物はオスのほうが美しい。それはメスが選ぶ側でありオスは選ばれる側だからだ。生涯に数回しか出産できないメスは相手を選び、殆んど無数回交尾できるオスは相手を選ばない。こんな事情からオスが美しくなっている。
 ところが本来選ばれる側である筈のオスの個体差が大きくなるとオスがメスを選別する側に回る。優れたオスの周りには多くのメスが集まるようになるからだ。こうなると事情は逆転せざるを得ない。優れたオスがメスを選別する側に回るとメスの側が美しくなってオスの気を引こうとするようになる。
 人類の場合、オスの個体差は既に十分大きいということだろう。個体差が大きいから特定のオスの魅力が際立ってメスの間で競争が生じる。
 しかし人類のオスの個体差はそれほど大きいだろうか。身長差はせいぜい20%程度だし、100m走の差でさえ2倍程度しか無い。ゾウアザラシやゴリラなどと比べたらその個体差は微々たるものでしかない。これで十分に差が大きいと言えるのだろうか。
 人類のオスの個体差は積み重ねられることによって拡大される。どの高校を出たかによってどの大学に行けるかが決まる。どの大学に行ったかによって就職も制約される。スタート時点での差は小さくても30歳時点での差は大きくなる。下剋上は困難だ。こうして「勝ち組」がモテるオスになる。
 人類のメスが美しくならざるを得ないのは、オスの資質の差よりもむしろ社会的地位の差に基づく。