俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

クロール(2)

2012-02-28 15:28:52 | Weblog
 60歳になってからクロールのフォームを変えた。高齢にも関わらずではなく高齢だからこそパワーとスピードに頼らない効率の良いフォームに変えるべきだと考えたからだ。
 私はこれまでに2度蹴り足を変えていたのでこれが3度目の変更になる。子供の頃は6ビートだったが20歳の頃に2ビートに変えた。6ビートだと足の負担が大きくて長距離を泳げなかったからだ。2ビートにして足はバランスを取る程度にしか使わないようにした。これでクロールでの遠泳が可能になった。
 40歳の頃に最も変則的な4ビートに変えた。もう少し足も使ったほうが良いと思ったからだ。
 今回の変更はある本に「蹴り下ろすのではなく蹴り上げろ」と書かれていたのがきっかけだ。意外な指摘なので試してみたら思わぬ効果があった。蹴り幅が大きくなったのだ。私は足でバランスを取っているから片足を蹴り上げると自動的に反対の足が蹴り下ろされる。無理無く蹴り幅が広がるのですっかり気に入った。
 こんな小さな変更でも少しは楽に早く泳げるようになる。今でも毎日2~3㎞ずつ泳いでいる。酒も煙草も嗜む私の唯一の健康法だ。

食用鳥

2012-02-28 15:16:34 | Weblog
 鳥は本来、食用には向いていない動物だ。鳥は飛ぶために特殊な進化を遂げた。前足を羽に変え、体重は極限まで軽量化された。飛ぶという特別な能力を得るためには多くの犠牲を払わざるを得ない。消化器でさえ必要最小限の貧弱なものだ。因みに人類はどれだけ訓練をしても自力で飛ぶことは不可能だろう。体重が重過ぎるからだ。
 鳥の体は骨・皮・筋肉・内蔵だけで殆んど肉の無い体形だ。こんな鳥を食用にするなら内臓を食べることになる。つまり小さな鳥はまるごと食べ、大きな鳥はモツを食べるという昔ながらの焼き鳥が鳥の特性には最も適った食べ方だと思える。
 但し例外がある。飛べない鳥は肉が多い。まだ食べたことは無いがダチョウはかなり美味しいらしい。絶対に食べてはいけないがヤンバルクイナも多分、食材には向いているだろう。かつてニュージーランドにはモアという巨大な鳥がいたが食べ尽されてしまった。現在、鳥肉を代表するのは鶏であり、これも殆んど飛べない鳥だ。
 飛ぶ鳥では鴨の肉が珍重されている。鴨特有の脂身は確かに美味しい。寒冷地に棲むから皮下脂肪が多いのだろうか。

落第

2012-02-28 14:59:44 | Weblog
 大阪市の橋下市長は小学生も落第させるべきだと主張している。病気などの理由で殆んど出席しなくても温情で進級させるのはおかしいという考え方だ。
 算数についてはそのとおりだろう。足し算を教わらないまま引き算を教えられても訳が分からない。勿論、掛け算も割り算も理解できずに虚しい授業を受け続けさせられることになる。これは子供にとって不幸なことだ。
 しかし学校の役割は学力を得させることだけではない。社会性を育てることも大切な役割だ。つまり同級生や教師との間で社会性を学習することも重要な課題だ。落第させることはせっかく生まれた社会関係を崩すことになる。また落第生というレッテルは決して軽いものではない。
 社会科は算数とは全然違う。古代史を知らなくても近代史が分からないということにはならない。日本の地理を知らなくてもアメリカの地理を学ぶことはできる。従って社会科の学力の低さは落第させる理由にはならない。
 算数だけを習熟度別授業にしてはどうだろうか。つまり本来の学級とは別に算数だけのレベル別クラスを設けるのだ。足し算ができるようになるまで徹底的に足し算を学ばせる。足し算ができるようになってから更に補習をして上のクラスに入れれば訳の分からない授業を受けずに済む。これは水泳の習得と同じやり方だ。水泳では必ずレベルに合わせてレッスンをする。水を怖がる子供をいきなり水中に放り込んで溺れさせるような乱暴なレッスンはやらない。
 教育は育むことが目的だ。学校側の都合で機械的に進級させたり落第させたりするのではなく育むための機能を備えるべきだろう。