俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

フィリピン人のマナー

2012-02-14 15:35:05 | Weblog
 フィリピンにはジプニーと呼ばれる乗合自動車がある。ベトナム戦争から撤退した米軍が残した大量のジープやトラックを改造した乗合バスで、日本円に換算して20円か30円で利用できる庶民の足だ。
 ジープやトラックの荷台の両側に一列ずつ座席を取り付けただけの簡単な構造のバスだがこれに乗る度にフィリピン人のマナーの良さに感心する。
 ①客は利用する距離が短くて早く降りる人は出入り口近くに、遅く降りる人は奥に座る。客が乗り降りする度に座席移動を繰り返して、次に降りる人は常に出入り口の傍に座っている。
 ②荷物は必ず膝の上に乗せる。混んで来れば子供も親の膝の上に座らせて一人でも多く利用できるように努める。
 ③代金は客席から運転席へと客がリレーして渡し、釣銭はその逆ルートで返される。この金銭の授受でのトラブルを見たことが無い。
 日本人は行儀の良い国民の筈だが乗り物のマナーではフィリピン人より劣っている。エレベーターで1フロアしか上がらない人が一番奥から人を押し分けて降りたり、混んでいる電車の座席に荷物を置いて平気な人がいることなど恥ずかしいことだ。

知覚

2012-02-14 15:21:53 | Weblog
 こんなジョークがある。
 ある男が医師に相談をした。「臭くない屁が頻繁に出る。今も屁が出たけれど匂わないでしょう。」医師は黙って薬を出した。数日後、彼は医師に文句を言いに来た。「屁が臭くなった。前のままのほうがずっとマシだ。」医師は静かに言った。「前回処方したのは鼻の薬です。貴方の屁は元々臭かったのに知覚できなかったのです。鼻は正常になったようですから今日は腸の薬を出します。」
 人は知覚を通じて外界を認知する。知覚が狂っていれば誤った認知しか得られない。正しい知覚を得ることが出発点になる。
 残念なことに知覚はしばしば偽る。一番厄介なのは人が自分を正当化しようとすることだ。自分を正当化するためには知覚そのものまで歪めてしまう。ジョークの男と同様、まずは正しく知覚することから始めねばならない。
 人は知りたいことを知る。これだけなら問題は無いが、知りたくないことはブロックしてしまうから困る。知りたくないことを排除して得られる過大評価は無意味だ。
 この難題を克服するためには自己超克を是とする必要がある。現在の自分を否定してより優れた自己を形成することが喜びとなれば視野は自ずから広がる。

高福祉低負担

2012-02-14 15:07:31 | Weblog
 高福祉低負担は本来あり得ない。可能なのは高福祉高負担か中福祉中負担か低福祉低負担のどれかだ。
 実際には中福祉低負担の恩恵を受けている人がいる。現在の高齢者だ。そのために若年層は低福祉高負担を押し付けられている。とは言え現在の壮齢者が高齢者になった時には高福祉になるように制度は改められているだろう。割を食うのは更に後の世代だ。こうしてツケはどんどん後の世代に回される。年金のツケも国債のツケも後の世代が負担させられる。
 なぜこんなデタラメが罷り通るのだろうか。ポピュリズムでしかない。選挙権を持つ多数者に媚びているからだ。ツケを払うのは選挙権の無い将来の世代だ。
 元々日本は中福祉中負担が国策だった。それを途中から高福祉にすれば矛盾が発生する。中負担だった人が高福祉を受ければ後の世代が過重な負担をさせられるのは当然のことだ。団塊の世代が受益者になるこんな時期に高福祉に切り替えるべきではない。最悪のタイミングだ。
 こんな世代間格差は認められない。中負担だった世代は中福祉に甘んじるべきだ。後の世代にツケを回すネズミ講のような福祉政策は許されない。