俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

生活保護受給者(2)

2012-06-04 15:35:26 | Weblog
 生活保護制度は最後のセーフティネットであり安易に制限すべきではない。しかし不正受給は徹底的に取り締まられるべきだろう。これは年金の不正受給と同様、国に対する詐欺だからだ。より正確には国民の納めた税金を騙し取る行為だ。
 不正受給が少なくないのは決して福祉事務所の怠慢のせいではない。調査権が無いからだ。受給申請者の親族に郵送して「扶養不可」と返答されればそれ以上調査する権限が無い。親族の総てから扶養不可の返答を得ればそれを鵜呑みにせざるを得ないのが現状だ。
 私は43歳から59歳まで親に送金をしていた。決して親が困窮していた訳ではなかったが、少しでも楽に暮して欲しいと思ったからだ。しかもこうすることによって私自身にも扶養家族控除というメリットがあった。送金額と比べれば微々たる額だが、家族全体として捕えれば節税になった。
 核家族化が進む現代で一緒に貧しくなるという発想は受け入れられ難い。しかし一緒に楽をしようということなら賛同を得られるだろう。生活保護という制度で他人様の財布に頼る前に親類縁者が援助すべきなのは当然のことだろう。未就職の子供に対する扶養義務が親にあるように、子供には高齢化した親に対する扶養義務がある。

服役囚

2012-06-04 15:19:09 | Weblog
 名張毒ぶどう酒事件の奥西勝死刑囚の7度目の再審請求が棄却されたというニュースで、別のことが気に掛かった。奥西氏は何と86歳だ。彼だけではない、無期懲役囚も長寿者が少なくない。データが無いので憶測の域を出ないが、長期服役囚はかなり健康長寿なのではないだろうか。栄養のバランスの取れた食事と規則正しい生活と24時間医療体制、刑務所は健康長寿のための条件を殆んど充たしている。囚人一人当たりの経費は年間約250万円とのことだ。
 それと比べて庶民の生活は大変だ。5月25日のNHKの「クローズアップ現代・・・もう病院で死ねない」は恐ろしい内容だった。認知症の寝たきり老人が病院から追い出されて自宅に送り返される。これでは野垂れ死にせよと強制するようなものだ。服役囚の厚遇と比べて何という冷遇だろうか。
 そのせいか冬になると刑務所に帰って来るリピーターが少なくないそうだ。前科のある人が無銭飲食などの微罪を犯した場合、常習犯として懲役刑になることもある。時々「刑務所に戻りたかった」とコメントする犯罪者まで現れる始末だ。
 「懲役囚をシベリアへ送れ」とまでは言わないが、懲罰の筈の懲役刑が必ずしも懲罰になっていないことに制度の矛盾を感じる。生活に困ったら我慢するよりも犯罪を犯して服役したほうが有利だったら、刑罰は犯罪に対する抑止力を持たないどころか却って奨励することにさえなってしまう。

重要性と緊急性

2012-06-04 15:04:36 | Weblog
 サラリーマン時代、私は常に多くの仕事を抱えていた。一番酷い年には4,000時間以上働いた。残念ながら課長だったために時間外手当とは無縁だった。
 ビジネスの世界には「忙しい人に仕事を集めろ」というとんでもない不文律がある。忙しい人は仕事のできる人だ、大事な仕事は仕事のできる人にやらせるべきだ、従って大事な仕事は忙しい人にまかせろ、という怪しげな三段論法だ。
 こんな状況だったので私は2つの基準を設けざるを得なかった。重要性と緊急性だ。この2つのバランスを取ることを心掛けた。重要な仕事は腰を据えて時間を掛けてやる、緊急事態にはたとえ拙速となろうともすぐに対処する、ということだ。
 政治も同じだろう。税と社会保障の問題は100年後をも睨んだ重要な仕事だ。これを軽視すべきではない。しかし緊急性への対処が余りにもお粗末だ。東日本大震災からの復興は全然進まないし景気も雇用も低迷したままだ。議員定数は違憲状態のままで放置されている。私は小沢一郎氏について好意的に書いたことはこれまで一度も無かったが5月30日の発言だけは支持する。「大増税の前にやるべきことがある。」100年後のための仕事を否定する気は無いが、今の問題の解決にこそ政治生命を賭けて欲しいものだ。