俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

猿真似

2012-06-15 14:26:50 | Weblog
 花咲爺やこぶ取り爺さんでは猿真似をした老人が嘲笑されている。私の愛読書のイソップ寓話にもこんな話がある。可愛がられている小犬を羨んだロバが小犬の真似をすれば可愛がってもらえると思って飼い主にじゃれ付いて怪我をさせてしまった、という内容だ。
 「人のふり見て我がふり直せ」という格言は正しい。しかし猿真似は愚行だ。肉食は体に悪いと日本人は何となく信じている。それはアメリカでの健康キャンペーンを鵜呑みにしているからだ。しかしこのキャンペーンは、一日平均300g食べている肉を150gに減らそうという内容だった。日本人は一日平均80gしか食べていない。アメリカでのキャンペーンが理に適ったものならば、日本人はもっと肉を食べたほうが良いということになる。
 追い抜き禁止のセパレートコースのプールには迷惑な初心者がいる。私がターンをしようとするとスタートをする。もしターンをすればぶつかってしまうので止まらざるを得ない。当初はなぜ彼らがこんな迷惑なことを平気でするのか分らなかった。実は唯の猿真似だった。彼らは上級者のやっていることをそのまま真似ているだけだった。上級者はすぐに初心者に追い付いてしまうので初心者との間隔を最大にするために初心者のターンに合わせてスタートする。同じことを初心者がやればぶつかってしまう。理由を考えずに猿真似する人の知的レベルは猿並みだ。

BMI

2012-06-15 14:09:29 | Weblog
BMIとは体重(㎏)を身長(m)の二乗で割った数値だ。この数値が18.5~25.0なら「普通」とされている。18.5未満がやせ型で、25.0~30.0が太り気味、30.0以上が肥満とされている。メタボリック・シンドロームとして目の敵にされているのは25.0以上の数値であり普通値の範囲内に収めることが奨励されている。
 但しこのことが正当かどうかは大いに疑問がある。世界中のどのデータを見ても25.0を少し超えた辺りの人が最も長寿だからだ。日本でも厚生労働省が2009年に発表した資料によると、最も平均寿命が長いのは男女共に25.0~30.0の「太り気味」であり、18.5未満のやせ型が際立って短命、普通と肥満は同程度とのことだった。
 どうして目標値を見直さないのか不思議でならない。データを見る限りでは20.0~28.0辺りを「普通」とするほうが妥当だろう。またメタボを問題視するよりも痩身こそ危険な状態であり医師による健康指導が急務だ。
 目標値は年代別に設けるべきだと思う。贅肉の少ない若年層は低めに、中高年は高めに設定したほうが良い指標になるだろう。中年の体重が増えるのは必ずしも贅肉が増えるからだけではなく、何らかの必要性があって肉を蓄えねばならないからのようにも思える。あるいは中年の体型こそ本来の人間の体型であり若年層がスリムなのは成長期における成熟前の特殊な体型、つまりカエルに育つ前のオタマジャクシのようなものではないかとも思える。カエルとオタマジャクシに同じ数値目標を与えるべきではない。

質と量

2012-06-15 13:54:25 | Weblog
 質と量は相容れない。文字通り質的に異なる概念だ。しかし質の違いは客観化しにくいので強引に量に還元されることが少なくない。知力は試験の点数で、番組の良し悪しは視聴率で、病気は検査値で測られる。
 科学は数式化されることによって大いに発達した。単純なものなら数式化できる。落下運動はその典型で、微分・積分によって速度と距離が算出できる。一方、複雑なものは数式化できない。たかが変化球でさえ数式化できない。かつて科学者がボールが曲がることは物理法則に背き、恐怖心が生む錯覚に過ぎないと主張した時代があった。ボールが曲がることを証明したのは数式ではなく、実際に投げられたボールが並んだ杭の左右を通過したという事実による。
 質の違いの分らない人は数字しか信じない。そんな人は質を無視して量だけで決める。視聴率信仰もその一例だ。視聴率の高い番組は良い番組としてスポンサーに高く売れる。視聴者の質は問われない。その結果として民放ではくだらない番組ばかりが増え続ける。
 医師も数値に捕われる。やれコレストロール値だ、血糖値だ、と数値ばかりを見る。数値を正常化することよりも症状の改善のほうが重要なのにその認識は乏しい。数値信仰は本末転倒になることが多い。