俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

白と黒

2012-06-12 15:24:19 | Weblog
 白と黒の間には無数のグレーがある。それを白か黒しか認めない二分割思考法で処理しようとすれば矛盾に陥る。
 安全と危険の間にはグレーゾーンがある。絶対に危険なものはあり得るが絶対に安全なものはあり得ない。従って安全という言葉は比較的安全という意味でしか使えない。
 大飯原発はどれくらい安全だろうか。10点満点で評価すればせいぜい1点か2点だろう。それを安全と言い切ることは論理的には不可能だ。従って大飯原発をどうしても再稼働させたいのなら実験的に稼働させてみるしか無い。
 実験ならば検証が不可欠だ。検証して初めて実験の成否が判定される。政府は検証されたくないから安全と決め付けて恒久的稼働を図ろうとしているのだろう。そうでなければ電力が不足する夏場だけの臨時稼働で充分な筈だ。日本は済し崩しの多い国だ。憲法を一度も改正しない国は世界中探しても殆んど無かろう。マスコミの空騒ぎのせいで生まれたダイオキシン対策法は明らかに科学的に間違った悪法だが一向に見直しの話は出ない。一旦決まったことが見直されないことは極めて危険なことだ。見直されなければ改善されることは無い。済し崩しには如何なる正当性も無い。

対症療法(2)

2012-06-12 15:10:11 | Weblog
 自動車が動かなくなった場合、どこが悪いのかを調べるだろう。少なくとも「タイヤが動かないのだから」という理由で車軸の周辺ばかりを調べるのは余程の阿呆だけだろう。
 医療ではこんな馬鹿げたことを専門家がやっている。高血圧症の人には血圧降下剤を飲ませ、糖尿病患者の血糖値を下げ、風邪の人には解熱剤を処方する。これらは自動車が動かない原因をタイヤのせいにするのと同じ愚考だ。高血圧も血糖値も発熱も病気の原因ではない、結果だ。結果に対して手を施しても何の効果も無い。中でも風邪に対する解熱剤は最悪の対症療法だ。発熱は正確には病状ではない。病原体と戦うために免疫機能が働いて体温を上げているのだから、熱を下げることは利敵行為にしかならない。
 急性疾患と慢性疾患とでは対処する方法が異なる。急性ならとにかく今を乗り切らなければならないから多少危険なことであろうとも、毒を以て毒を制する覚悟で臨まざるを得ない。手術は本来、危険な行為だ。手術の失敗で死んだ人を私は何人も知っている。それでも手術に踏み切るのは、手術をしたほうが生存の可能性が高いほどの緊急事態だからだ。
 慢性疾患の治療に緊急性は無い。従って長期に亘って漫然と毒物を処方することは犯罪的行為とさえ言える。

EBM

2012-06-12 14:51:00 | Weblog
  EBM(Evidence-Based Medicine)という言葉がある。根拠に基く医療」という意味だ。この言葉が注目されるのは、現在の医療では根拠に基かないオカルト的な医療が横行しているからだ。
 2008年にアメリカで10,000人の糖尿病患者を対象にして調査したところ、血糖値を正常化したグループよりもやや高めにしたグループのほうが死亡率が低かった。2010年にイギリスで50,000人を対象にした調査でも「血糖値を正常値近くまで下げると死亡率が上がる」と結論付けられた。これ程までに明確な証拠が提示されているのに、日本では一向に治療方針の見直しがされていない。
 アメリカでEBMが広がった理由は皮肉なことに国民皆保険制度が無いからだ。医療保険は民間の保険会社が請け負っているが、保険会社は支払額を減らしたいので治療や薬の有効性を厳しく問い、それが結果的には誤った治療方法を暴くことに繋がった。
 日本は多分、世界一薬を無駄遣いしている国だ。効果を検証せずに効かない薬・危険な薬を投与し続けている。これは厚生労働省が健康保険を管轄しているせいだ。資金が不足すれば消費増税や保険料の値上げで賄おうとする。お役所らし過ぎる無謬神話が健在なので治療方針が間違っているとは全く考えない。これが日本の硬直化した医療制度を支え、慢性病の患者は飲まないと悪化すると信じて延々と毒物を飲まされて寿命を縮めている。国民を早死にさせ、かつ国民の経済的負担を大きくしている誤った医療は早急に改善されねばならない。