俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

気象津波

2013-11-12 10:11:59 | Weblog
 フィリピンを襲った台風30号の映像を見て初めて高潮の本当の恐ろしさを知った。それまでは、恥ずかしながら、かつてタイの工業団地を襲った大洪水程度のイメージしか持っていなかった。レイテ島を襲った高潮は4mの高さだったそうだ。これを気象津波と呼ぶことを今回初めて知った。気圧の低下による海面上昇に強風が重なって津波になるそうだ。海面が上昇するのだからそのエネルギーは地震の津波よりも大きくなる。地震の津波は海の一部の隆起だが気象津波では海そのものの隆起になるからだ。
 地震の津波であれば高台に逃れることができる。地震と津波の間にはタイムラグがある。地震が収まってから、あるいは津波情報が告知されてからでも避難できる。ところが気象津波は暴風雨の真っ最中に起こる。津波の危険を知って避難しようにも風速80mの暴風雨の中での避難など不可能だ。津波も暴風雨もどちらか片方だけでも恐ろしいのに同時に襲来されてはお手上げだ。事前避難以外には対処する術は無い。
 子供の頃のこととは言え、私は伊勢湾台風と第二室戸台風を経験している。第二室戸台風では台風の目も経験した。しかしこれらの台風と今回の30号は全然レベルが違う。中途半端に知っていることは却って危険なことだ。
 恐ろしい映像ではあるがマスコミは今回の災害の映像をできるだけ多く放映すべきだ。私と同様、日本人は台風を甘く見ている。地震の怖さは知っているが台風の怖さを理解していない。中心気圧が900hPa以下の台風に遭遇する可能性はマグニチュード8以上の地震の可能性よりも高いのではないだろうか。東日本大震災のトラウマで日本人は地震ばかりを警戒しているが、台風と気象津波に対する警戒を怠ればフィリピン以上の大惨事を招く恐れがある。

多様性

2013-11-12 09:44:03 | Weblog
 スポーツのルールは不公平だ。背の高い者・足の早い者が有利になるルールが殆んどだ。バスケットボールやバレーボールは背が高いだけでかなりの差が付くし、地上で行う限りどのスポーツであろうとも足の早さによるメリットは大きい。野球とサッカーは身長によるハンディが比較的小さくこの特性があるからこそ世界中で広く愛好されている。それでも足が早いことのメリットは大きく、あのイチロー選手でさえほんの僅か足が遅ければ大きく打率を下げるだろう。
 ではこれらのスポーツは「差別的」なのだろうか。そう考える人は殆んどいまいし、もし本気でそう主張する人がいるならかなり僻みっぽい人だろう。なぜなら人はそれぞれ異なるから楽しい。皆が同じ顔で同じ体型をしていればつまらない。お互いが違っておりその違いを認め合うからこそこの世は興味深い。
 差別を咎める人の多くは一元論者だ。例えば学歴社会を非難する人がいるとする。彼は学歴以外の要素を見ようとしない。彼は総て学歴のせいと考えるが実際には人格やコミュニケーション力なども大きな要素だ。
 美人ばかりが得をすると考える人がいるとする。彼女の基準は美人か不美人かだけだ。親切とか賢いとか仕事ができるとかいった重要な要素を見ようとしない。だから偏狭な一元論者だ。
 足の早い同僚とポジションを争うことになったらどうするだろうか。パワー、スタミナ、技術といった違った面を生かそうとするだろう。スピードで負けることは悔しいが他の要素で挽回することは可能だ。監督の立場でも違った個性の選手が揃っているほうが様々な作戦が立てられる。
 かつて読売ジャイアンツは各チームから強打者を掻き集めて強力な打線を作ったことがある。しかし小技の使える選手が足りないために却って弱いチームになってしまった。やはり多様性こそ好ましい。特定の個性だけを過大評価して羨むべきではない。自分の持ち味を正当に評価してそれを生かすべきだ。