俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

娯楽

2013-11-28 10:05:05 | Weblog
 映像というメディアは一方的に働き掛ける。決して双方向性を持たない。テレビに子守役を任せて育てられた子供は知能の発育が遅れるという説があるが多分本当だろう。
 文章を読めばイマジネーション力が養われるが映像に対しては完全に受動的になる。受動的である時、脳は殆んど働かない。流水プールに浮かんでいるような状態だ。
 人の知力は正規分布しており、中央つまり平均付近が最も多く、両端つまり高レベルも低レベルも徐々に少なくなる。しかし映像に対する反応は富士山型のように思える。つまり高レベルは少なく低レベルほど多くなる。
 これは映画やテレビの致命的とも思える弱点だ。エロ・グロ・ナンセンスは人間の基本的快楽だから誰からも広く支持される。グロをアクション、ナンセンスをお笑いと言い換えれば殆んどの人が納得するだろう。
 かつて娯楽に徹するハリウッド映画と、芸術性も求めるヨーロッパ映画が競った時代があった。結果は、ハリウッドの圧勝だった。興行収入に頼る限り、芸術性は娯楽性には勝てなかった。誰にでも楽しめるエロ・グロ・ナンセンスが最強だった。
 テレビではかつて「低速番組」が問題になった。最近はそんな話は殆んど聞かれない。では低俗番組は無くなったのか。逆だ。低俗か低俗でないかは相対的なものだ。殆んどの番組が低俗番組になってしまえば比較的マシなものが高尚な番組に格上げされる。NHKのニュースさえかなりワイドショーに近付いてしまった。日本のテレビは映画と同様、娯楽一辺倒になってしまった。これは映画が興行収入によって淘汰されたように視聴率によって淘汰されたからだ。今更、芸術と言えるレベルまでは望まないが、エロ・グロ・ナンセンスだけに頼るのはやめて欲しいと思う。貴重なメディアの無駄遣いだ。

守備力

2013-11-28 09:36:00 | Weblog
 大半の球技で守備は脚光を浴びにくい。サッカーで目立つのは攻撃とゴールキーパーだ。キーパー以外の守備陣は目立たない。スポーツニュースで放映されるのは大半がゴールシーンであり、これは逆に言えば守備陣が崩された状況であり、ディフェンスは引き立て役だ。
 プロ野球の投手が「スポーツニュースは嫌いだ」と発言するのを聞いたことがある。ニュースになるのは殆んどが打たれたシーンだからだ。
 私は守備のほうが攻撃よりもずっと難しいと思っている。守るためには相手の行動を予測して先回りせねばならない。攻撃する側は動き易いように動いても構わないが守る側は相手の攻撃に合わせて臨機応変に動かねばならないから何倍も疲れる。
 よく守った、と誉められる守備は最高の守備ではない。守備陣形が崩されたからピンチを招いたと言える。窮地を切り抜けるプレーよりも窮地を招かないプレーこそ望ましい。最高の守備は目立たない。チャンスを作らせないからだ。観客は好守備があったことにさえ気付かない。相手チームのフォワードだけが、攻めにくいと苛立つ。
 野球でもファインプレーと称賛され易い凡プレーがある。目測を誤って一旦違う方向に走った外野手が一か八かのダイビングキャッチ、これは見た目には派手だが凡プレーだ。本当に上手い選手なら最短距離を走って楽々捕球する。
 企業においても守備力は正当に評価されていない。守備の上手い人はトラブルを芽のうちに摘んでしまうから問題が発生しない。下手な人はトラブルになってから対処する。問題を起こさない人こそ優秀なのだが、何も起こっていないのだから周囲だけではなく本人まで良い仕事をしていることに気付かない。
 トラブル対応の上手い人よりもトラブルを起こさない人のほうが遥かに優秀だ。残念なことにこの能力は余り高く評価されない。人事異動などでいなくなってから初めてその人の貴重な働きが理解される。私が宣伝部に所属していた時は際どい表現は絶対に許さず総てボツにしていた。しかし私が転出して更に退職した今秋、虚偽表示企業の1社として世間に恥を晒すことになってしまった。