映像というメディアは一方的に働き掛ける。決して双方向性を持たない。テレビに子守役を任せて育てられた子供は知能の発育が遅れるという説があるが多分本当だろう。
文章を読めばイマジネーション力が養われるが映像に対しては完全に受動的になる。受動的である時、脳は殆んど働かない。流水プールに浮かんでいるような状態だ。
人の知力は正規分布しており、中央つまり平均付近が最も多く、両端つまり高レベルも低レベルも徐々に少なくなる。しかし映像に対する反応は富士山型のように思える。つまり高レベルは少なく低レベルほど多くなる。
これは映画やテレビの致命的とも思える弱点だ。エロ・グロ・ナンセンスは人間の基本的快楽だから誰からも広く支持される。グロをアクション、ナンセンスをお笑いと言い換えれば殆んどの人が納得するだろう。
かつて娯楽に徹するハリウッド映画と、芸術性も求めるヨーロッパ映画が競った時代があった。結果は、ハリウッドの圧勝だった。興行収入に頼る限り、芸術性は娯楽性には勝てなかった。誰にでも楽しめるエロ・グロ・ナンセンスが最強だった。
テレビではかつて「低速番組」が問題になった。最近はそんな話は殆んど聞かれない。では低俗番組は無くなったのか。逆だ。低俗か低俗でないかは相対的なものだ。殆んどの番組が低俗番組になってしまえば比較的マシなものが高尚な番組に格上げされる。NHKのニュースさえかなりワイドショーに近付いてしまった。日本のテレビは映画と同様、娯楽一辺倒になってしまった。これは映画が興行収入によって淘汰されたように視聴率によって淘汰されたからだ。今更、芸術と言えるレベルまでは望まないが、エロ・グロ・ナンセンスだけに頼るのはやめて欲しいと思う。貴重なメディアの無駄遣いだ。
文章を読めばイマジネーション力が養われるが映像に対しては完全に受動的になる。受動的である時、脳は殆んど働かない。流水プールに浮かんでいるような状態だ。
人の知力は正規分布しており、中央つまり平均付近が最も多く、両端つまり高レベルも低レベルも徐々に少なくなる。しかし映像に対する反応は富士山型のように思える。つまり高レベルは少なく低レベルほど多くなる。
これは映画やテレビの致命的とも思える弱点だ。エロ・グロ・ナンセンスは人間の基本的快楽だから誰からも広く支持される。グロをアクション、ナンセンスをお笑いと言い換えれば殆んどの人が納得するだろう。
かつて娯楽に徹するハリウッド映画と、芸術性も求めるヨーロッパ映画が競った時代があった。結果は、ハリウッドの圧勝だった。興行収入に頼る限り、芸術性は娯楽性には勝てなかった。誰にでも楽しめるエロ・グロ・ナンセンスが最強だった。
テレビではかつて「低速番組」が問題になった。最近はそんな話は殆んど聞かれない。では低俗番組は無くなったのか。逆だ。低俗か低俗でないかは相対的なものだ。殆んどの番組が低俗番組になってしまえば比較的マシなものが高尚な番組に格上げされる。NHKのニュースさえかなりワイドショーに近付いてしまった。日本のテレビは映画と同様、娯楽一辺倒になってしまった。これは映画が興行収入によって淘汰されたように視聴率によって淘汰されたからだ。今更、芸術と言えるレベルまでは望まないが、エロ・グロ・ナンセンスだけに頼るのはやめて欲しいと思う。貴重なメディアの無駄遣いだ。