9日のNHKの「Songs」でポー・マッカートニーの新曲`New'を聞いた。残念ながらがっかりした。往年のような輝きは無かった。ジョン・レノンという天才と競っていたビートルズ時代の名曲とは比較にならなかった。
ビートルズの作品の多くはレノン&マッカートニーによる共作とされている。なぜ解散に至るまでずっとこんな「偽装」を続けていたのか分からないが、共作は意外なほど少なく大半がどちらか個人の作品だ。私は67年の「ストロベリーフィールズ・フォレバー/ペニー・レイン」の頃から共作ではないことに気付き始めた。ビートルズというブランドの元でジョンとポール、そしてジョージ・ハリスンがそれぞれの自作を発表するようになっていた。
そう気付いてから改めて聞き直してみたら66年の「ラバー・ソウル」あたりから殆んどが個人作になっていた。「ガール」と「ミッシェル」は明らかにジョンとポールのそれぞれの個人作品だ。65年の「イエスタデイ」がポール個人の作品であることは既によく知られていたが、63年の「オール・マイ・ラビング」もポールが一人で作った作品だった。どちらの作品なのかはかなり簡単に識別できる。リードボーカリストが作者だ。共作であればそれぞれのパートでボーカルが変わる。解散してからはジョンとポールの音楽性の違いが誰にも明らかになったが、それまでは多くの曲がレノン&マッカートニーの共作と思われていた。
ポールの魅力はメロディメーカーであることだ。「イエスタデイ」や「レット・イット・ビー」などに代表される美しい旋律が持ち味だ。
ジョンの魅力は今なお何と表現して良いのか分からないが敢えてリズムメーカーと言っておこう。シンプルでパワフルな曲にどんどん引き込まれてしまう。初期のビートルズの魅力はジョンの才能に負うところが大きい。「抱きしめたい」や「ヘルプ」などの初期の作品ではジョンの持ち味が遺憾無く発揮されている。
この全く個性の異なる二人だったからこそ1+1=5という算術を超えた奇跡が実現した。最近ではこの二人は「和」ではなく「積」だったと考えている。つまり10×10=100だ。異なる才能が出会えば硝石と硫黄が出会った時のような化学反応による爆発が起こり得る。似た才能なら「和」にしかならないが異なった才能であれば「積」になり得る。
ビートルズの作品の多くはレノン&マッカートニーによる共作とされている。なぜ解散に至るまでずっとこんな「偽装」を続けていたのか分からないが、共作は意外なほど少なく大半がどちらか個人の作品だ。私は67年の「ストロベリーフィールズ・フォレバー/ペニー・レイン」の頃から共作ではないことに気付き始めた。ビートルズというブランドの元でジョンとポール、そしてジョージ・ハリスンがそれぞれの自作を発表するようになっていた。
そう気付いてから改めて聞き直してみたら66年の「ラバー・ソウル」あたりから殆んどが個人作になっていた。「ガール」と「ミッシェル」は明らかにジョンとポールのそれぞれの個人作品だ。65年の「イエスタデイ」がポール個人の作品であることは既によく知られていたが、63年の「オール・マイ・ラビング」もポールが一人で作った作品だった。どちらの作品なのかはかなり簡単に識別できる。リードボーカリストが作者だ。共作であればそれぞれのパートでボーカルが変わる。解散してからはジョンとポールの音楽性の違いが誰にも明らかになったが、それまでは多くの曲がレノン&マッカートニーの共作と思われていた。
ポールの魅力はメロディメーカーであることだ。「イエスタデイ」や「レット・イット・ビー」などに代表される美しい旋律が持ち味だ。
ジョンの魅力は今なお何と表現して良いのか分からないが敢えてリズムメーカーと言っておこう。シンプルでパワフルな曲にどんどん引き込まれてしまう。初期のビートルズの魅力はジョンの才能に負うところが大きい。「抱きしめたい」や「ヘルプ」などの初期の作品ではジョンの持ち味が遺憾無く発揮されている。
この全く個性の異なる二人だったからこそ1+1=5という算術を超えた奇跡が実現した。最近ではこの二人は「和」ではなく「積」だったと考えている。つまり10×10=100だ。異なる才能が出会えば硝石と硫黄が出会った時のような化学反応による爆発が起こり得る。似た才能なら「和」にしかならないが異なった才能であれば「積」になり得る。