俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ジョンとポール

2013-11-16 10:53:33 | Weblog
 9日のNHKの「Songs」でポー・マッカートニーの新曲`New'を聞いた。残念ながらがっかりした。往年のような輝きは無かった。ジョン・レノンという天才と競っていたビートルズ時代の名曲とは比較にならなかった。
 ビートルズの作品の多くはレノン&マッカートニーによる共作とされている。なぜ解散に至るまでずっとこんな「偽装」を続けていたのか分からないが、共作は意外なほど少なく大半がどちらか個人の作品だ。私は67年の「ストロベリーフィールズ・フォレバー/ペニー・レイン」の頃から共作ではないことに気付き始めた。ビートルズというブランドの元でジョンとポール、そしてジョージ・ハリスンがそれぞれの自作を発表するようになっていた。
 そう気付いてから改めて聞き直してみたら66年の「ラバー・ソウル」あたりから殆んどが個人作になっていた。「ガール」と「ミッシェル」は明らかにジョンとポールのそれぞれの個人作品だ。65年の「イエスタデイ」がポール個人の作品であることは既によく知られていたが、63年の「オール・マイ・ラビング」もポールが一人で作った作品だった。どちらの作品なのかはかなり簡単に識別できる。リードボーカリストが作者だ。共作であればそれぞれのパートでボーカルが変わる。解散してからはジョンとポールの音楽性の違いが誰にも明らかになったが、それまでは多くの曲がレノン&マッカートニーの共作と思われていた。
 ポールの魅力はメロディメーカーであることだ。「イエスタデイ」や「レット・イット・ビー」などに代表される美しい旋律が持ち味だ。
 ジョンの魅力は今なお何と表現して良いのか分からないが敢えてリズムメーカーと言っておこう。シンプルでパワフルな曲にどんどん引き込まれてしまう。初期のビートルズの魅力はジョンの才能に負うところが大きい。「抱きしめたい」や「ヘルプ」などの初期の作品ではジョンの持ち味が遺憾無く発揮されている。
 この全く個性の異なる二人だったからこそ1+1=5という算術を超えた奇跡が実現した。最近ではこの二人は「和」ではなく「積」だったと考えている。つまり10×10=100だ。異なる才能が出会えば硝石と硫黄が出会った時のような化学反応による爆発が起こり得る。似た才能なら「和」にしかならないが異なった才能であれば「積」になり得る。
 

熱帯魚

2013-11-16 10:07:09 | Weblog
 13日夜のNHKのニュースで北海道の足寄町の「オンネトー湯の滝」に熱帯魚が棲み付いていると報じていた。温泉の湯が流れ込むために一年中暖かくてグッピーやティラピアなどが棲んでいるとのことだった。微笑ましい話題なのかと思っていたら全然違った。二酸化マンガンの生成に必要な藻を彼らが食べてしまうので駆除しようと環境省が躍起になっているとのことだった。
 「??」と思った。二酸化マンガンと藻がどう関係するのか分からないが、金に糸目を付けずに駆除に励んでいるようだ。川を干上げても失敗したので今度は巨大なパイプを作って湯の流れを捻じ曲げて凍え死にさせようとしているそうだ。
 意図がさっぱり分からない。そんなことをすれば肝心の藻まで死んでしまうだろう。二酸化マンガン云々の話など本当はどうでも良くてただ単に外来種を駆除したいだけとしか思えない。熱帯魚ではなく在来種でも同じように、藻を食べるという理由で駆除するのだろうか。
 思うに、「生態系を破壊する」といういつもの理屈が、在来種がいないために使えないから二酸化マンガンという妙ちきりんな口実を持って来たのだろう。環境省の外来種憎悪には鬼気迫るものさえ感じる。外来種撲滅が完全に自己目的化しているようだ。彼らがなぜこんなに外来種を毛嫌いするのかさっぱり理解できない。
 ふとイソップ寓話を思い出した。多少アレンジして紹介する。
 羊が川で水を飲んでいた。狼が下流に現れて言った「お前のせいで水が汚れる。」羊は狼が怖いので狼よりも更に下流へ行って水を飲んだ。すると狼がまた言った「お前のせいで水が汚れる。」羊が言い返した「私は下流にいるのだから水を汚しません。」すると狼は「つべこべ言うな」と言って羊を食べてしまった。
 教訓:悪い奴に筋を通そうとしても無駄だ。彼らの結論は初めから決まっているからだ。