俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

膨らむパイ

2013-11-22 09:26:39 | Weblog
 資源が有限であればゼロ・サムになる。誰かが多くを取れば他の人の取り分は少なくなる。資源の絶対量が足りなければ公平に分配しても全員が不満を持つことになる。こんな状況では競争で勝つか競争相手を減らすかしか無い。これが「パイの奪い合い」の状態だ。
 日本の経済はこの20年間成長しなかった。成長しない中で人口が増えたのだから当然一人当たりの資産は減る。これが「コップの中での争い」を招き、一方では少しでも多く取ろうとする者、その一方では格差の拡大を非難する者、つまり富裕者層から資産を奪おうとする者が現れた。皆が「吾、唯、足るを知る」の境地に達すればこんな争いは起こらないのだが、聖人君子になれる人ばかりではない。
 殆んどの人を満足させるには2つの方法しか無い。1つは日本の資産は現状のままで人口を減らすことだ。人口が減れば分け前が増える。私はこれを支持するが賛同してくれる人は余りいない。
 もう1つは一時期は軽蔑されていたGDPの拡大、つまり成長戦略だ。池田内閣の所得倍増計画のように国が成長すれば国民の収入も増える。今、日本はこれを目指している。パイが大きくなりさえすれば、たとえ今のままの不公平な配分率であろうとも個人の取り分が増える。
 中国が多くの矛盾を抱えながらも何とか秩序を保っているのは経済が成長しているからだ。しかしこのことは経済の成長が止まれば不満が爆発するという危険性を孕んでいる。危険な自転車操業のようなものだ。
 ゲーム理論には「容疑者のジレンマ」という良く知られた話がある。共犯と思われる二人の容疑者がいてお互いに相手の犯罪について証言をすれば罪が減免されるという条件が与えられている。両者が相手を無罪だと主張すれば二人とも無罪になれるのだが、自分だけが罪を被せられることを嫌って共倒れになることが多いそうだ。
 この容疑者のようにこの20年間、日本人は足の引っ張り合いをしてお互いに損をしていた。助け合いの精神を取り戻せば未来は明るい・・・?

精神病

2013-11-22 08:54:37 | Weblog
 こんな小咄がある。腕に矢が刺さった兵士が外科医を訪れた。外科医は鋏で矢を切り取って「完了」と言った。驚いた兵士が尋ねると医師は「外科の仕事はここまで。あとは内科の仕事だ」と言った。
 最近ではこんな風刺かジョークかよく分からない話が伝わっている。外科医は「内」臓にしか興味を持たず、内科医は「外」見しか見ない。
 ところで精神病とは何だろうか。当然、脳の病気だろう。しかしここで一度立ち止まって考える必要がある。それが内因性か外因性かということだ。もし内因性なら医師の出番だ。医師以外には治療できない。しかし外因性であれば医師の手に負えないかも知れない。もし矢が刺さったままの状態であればそれを抜くことから始めるべきだ。矢が抜けなければ治療は困難だ。
 精神病の外因としては家庭や職場での問題の可能性が高い。精神病医に外因を取り除けるだろうか、不可能だ。精神科医にできることはせいぜい離婚や転職を勧めることぐらいだ。精神科医は外因を治療できない。だから手の届くことだけをする。治療と称して様々な薬物を投与する。これは矢が刺さったままで治療をしようとするようなものだ。
 では投与される薬とはどんなものだろうか。薬の定義に戻る必要がある。薬とは異常な状態の体に異常な反応を起こさせる劇物のことだ。従って精神病の薬とは脳に異常な反応を起こさせる劇物のことだ。「毒を以って毒を制す」ことこそ薬の本質だ。
 こんな劇物が脳を刺激すれば何が起こるか。異常な状態なら怪我の功名で正常に戻るかも知れない。しかし心理的に多少不安定になっているだけの人にこんなものが投与されたら異常になるに違い無い。少なからぬ精神病患者が治療すればするほど悪化するのはこんな事情からではないだろうか。精神病の多くが実は医原病だろう。