100万円を盗んだ者に対する罰金が100万円以上であるべきだということには誰も異存は無いだろう。100万円盗んで罰金がもし90万円なら盗り得になる。
発覚した犯罪が100万円でも実際の犯罪はその数倍である可能性もある。その意味では罰金が200万円でもおかしくない。
しかしこの理屈を殺人罪にまで敷衍すると妙なことになる。殺人犯に対しては死刑以上の刑罰によって報いなければならないということになる。
江戸時代の日本はこのことを実行していた。殺人犯には様々な残虐な刑が行われた。時代劇でお馴染みの市中引き廻し獄門晒し首以外にも、磔、鋸挽き、牛裂き、簀巻きなどが行われた。
しかしここで疑問が生じる。100万円を盗んだ者に100万円を超える罰金を課することは原状回復となるから経済的にも理に適っている。その意味では本来なされるべきことは殺された人を蘇らすことではないだろうか。しかし残念ながらそんなことは神様にしかできない。
ハンムラビ法典では「目を奪った者は目を以って償え」と記されているが、これを自らの目を潰して償えと解すべきだろうか。むしろ被害者の目となって償うほうが合理的ではないだろうか。
金のような代替の利くものなら幾らでも返せる。返せないものを奪ってしまったならば一生を掛けて償うことが加害者の義務だろう。死刑は償いの機会を奪う安易な刑罰ではないだろうか。
発覚した犯罪が100万円でも実際の犯罪はその数倍である可能性もある。その意味では罰金が200万円でもおかしくない。
しかしこの理屈を殺人罪にまで敷衍すると妙なことになる。殺人犯に対しては死刑以上の刑罰によって報いなければならないということになる。
江戸時代の日本はこのことを実行していた。殺人犯には様々な残虐な刑が行われた。時代劇でお馴染みの市中引き廻し獄門晒し首以外にも、磔、鋸挽き、牛裂き、簀巻きなどが行われた。
しかしここで疑問が生じる。100万円を盗んだ者に100万円を超える罰金を課することは原状回復となるから経済的にも理に適っている。その意味では本来なされるべきことは殺された人を蘇らすことではないだろうか。しかし残念ながらそんなことは神様にしかできない。
ハンムラビ法典では「目を奪った者は目を以って償え」と記されているが、これを自らの目を潰して償えと解すべきだろうか。むしろ被害者の目となって償うほうが合理的ではないだろうか。
金のような代替の利くものなら幾らでも返せる。返せないものを奪ってしまったならば一生を掛けて償うことが加害者の義務だろう。死刑は償いの機会を奪う安易な刑罰ではないだろうか。