俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

雪が融けたら

2010-12-17 15:19:59 | Weblog
 「雪が解けたら○になる」という問いに何と答えるだろうか。
 「雪が解けたら水になる」では当たり前で面白くない。多分理科系の人か常識人の答えだろう。
 「雪が解けたら川になる」ならちょっと変わった答えだ。多分「おお牧場は緑」をイメージしているのだろう。
 私の一番好きな答えは「雪が解けたら春になる」だ。多くの雪国の人はこれを実感していることだろう。
 このように答えは1つではない。「○肉□食」の穴埋め問題の答えは弱肉強食だけではなく焼肉定食という答えもある。「アンテナショップ」は情報集めのための店とは限らず、アンテナの専門店の可能性もある。
 学校教育は「正解は1つ」という幻想をバラ撒いた。答えが1つしかない設問を解かせることによってこんな偏見を日本国民に植え付けた。この弊害は大きい。
 問題に対する答えは多数あるのが普通だ。多数の答えの中から、メリットとデメリットを考慮してどれかを選ぶことになる。
 正解は1つしか無いという偏見を植え付けられた人は快刀乱麻の答えがある筈だと考えて現状分析を怠る。答えは多数あって当然だ。「正解」という概念こそ幻想だ。
 

欲望の顕在化

2010-12-17 15:01:27 | Weblog
 私は決してフロイト主義者ではないが、欲望は抑圧するよりも顕在化させるべきだと考えている。勿論、顕在化と言っても欲望の赴くままに行動せよなどと主張するつもりは毛頭無い。自分の欲望を正しく把握することが必要だと言いたい。自分の欲望など自分が一番分かっていると思っていないだろうか。その自分でさえ自分の欲望を理解できていない。歪められた欲望を自分本来の欲望と思い込んでいることが少なくない。
 将来どんな大人になりたいかに答えられない子供が多いらしい。これは草食系男子と同様に欲望を見失っているのではないだろうか。
 欲望は曖昧なものだ。明確な目標を持つことは少ない。
 例えば性欲。何が正しい性欲なのかは本人でさえ分からない。「変態」と呼ばれる人がいる。他人にとっては気持ちの悪い行為であっても本人にとっては気持ちの良い行為なのだろう。
 食欲は比較的普遍妥当性を持つ欲望だ。快・不快が民族の壁を越えて共有されている。日本料理の出汁文化は余り西洋人には理解されないが、それ以外はある程度共有可能なのだから、食欲における快・不快は余り歪められていないのだろう。
 運動することは楽しい。しかし嫌いな人もいるし、冬山登山やマラソンの楽しさは私には理解できない。
 「蓼食う虫も好き好き」と言われるように人の好みは様々だ。この多様性が自発的に現れているならそれで構わない。しかし実際には教え込まれた受け売りであったり歪められた欲望であることが少なくない。自分の本来の欲望に気付かぬまま御仕着せの欲望を信じて一生を終えるのは虚しいことだ。自己実現などと大層なことを考える前に今の欲望が本当に自分のものなのかを検証する必要がある。

ハツクニシラス天皇(スメラミコト)

2010-12-14 16:16:12 | Weblog
 日本書紀には2人のハツクニシラス天皇(スメラミコト)が登場する。神武天皇と崇神天皇だ。「初めて国を治めた天皇」が2人いるのはおかしいとして神武天皇の存在を否定する学者が多いが、どうだろうか。
 ハツクニシラス天皇に相当する王が中国にもいる。秦の始皇帝だ。彼は初めて中国を統一した王として初代皇帝「始皇帝」を名乗った。彼が初代皇帝を名乗ったからと言ってそれ以前の殷や周や戦国時代の王が存在しなかったということにはならない。
 同じように大和地区の地方豪族に過ぎなかった権力者が領土を大幅に拡大して大権力者となったら中興の祖としてハツクニシラス天皇と名付けられても不思議ではない。実際、崇神天皇は四道将軍を派遣して大和政権を磐石なものにした大功労者だ。
 戦前の皇国史観は馬鹿馬鹿しい。しかしそれに懲りて記・紀を軽視するのは羹に懲りて膾を吹くのに等しい愚行だ。先日発見された越塚御門古墳にも見られるように記・紀はしばしば史実を伝えている。記・紀と比べれば魏志倭人伝などは少なからず伝聞に頼った怪しげな史料でしかない。
 記・紀の古代編の年代や年齢は明らかに誤っているし史実とは異なる記載もあろう。しかしそれ以外の記述内容はかなり信憑性が高いのではないだろうか。神武天皇の東征軍が弱くて連戦連敗だったことや騙まし討ちや醜い権力争いが記されているのはそれらが史実に基づくからとしか考えられない。折角立派な歴史書が残されているのにそれを積極的に活用しないのは宝の持ち腐れであり勿体無いことだ。

医療ツーリズム

2010-12-14 15:58:58 | Weblog
 先に結論を言っておこう。どんどん推進すべきだ。
 医療ツーリズムに反対する人は大体次の2つを挙げる。①医師不足の中で貴重な「医療資源」を外国人のために浪費すべきでない。②新しい危険な感染症が広がる恐れがある。
 この2つについて検討してみよう。
 ①医師不足
 医師は不足していない。昼間の医師は余っている。足りないのは「夜の医師」だけだ。夜勤が労働基準法に背くほどにきついから救急病院の勤務医が減って、昼間だけ診療をする開業医とか緊急性が少なくてしかも儲けの多い自由診療の多い美容外科医が増えている。
 なぜ夜勤がきついのか。緊急性の無い患者が待ち時間が短いという理由でコンビニ感覚で受診するからだ。こんな我儘な患者のせいで医師の睡眠時間と寿命が削られている。
 ②感染症
 医療ツーリズムの対象は遺伝病や重篤化した慢性疾患の患者であって感染症のような急性疾患の患者ではない。仮に感染症の患者が来るとしてもエイズのような遅発性の患者であり感染力は弱い。エボラ出血熱やサーズの患者を受け入れる訳ではない。
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 医療ツーリズムは医療技術による世界への貢献だ。最先端医療による人類救済だ。命を救える技術を日本人が独占するのは勿体無い。人類に貢献して外貨を稼げるのだから素晴らしいことだ。
 また最先端医療技術を実際に使うことによってサンプル数が増えることも大きなメリットだ。外国人患者をモルモット扱いにして良い訳ではないが、治療する経験を通じて新しい発見もあるだろう。これによって医療技術は更に向上する。

現実と現状

2010-12-14 15:43:22 | Weblog
 現実も現状も現時点での事実だ。しかしこの2つは大きく異なる。現実は変えられない事実であり現状は変えられる事実だ。
 「現状維持」という言葉がある。現状とは維持することも打開することもできるからこんな概念が存在し得る。しかし「現実維持」という言葉はあり得ない。現実とは変えられない事実でありそのまま肯定するか無視するしか無い。
 私は現実主義者だと自負している。逆説的な言い方だが、理想は現実的でなければならないとさえ考えている。しかし現状の是認者ではない。現状は改めることができるからだ。
 多くの人は現実と現状を混同している。例えば人は金を欲しがる。現在の社会体制においては金は必需品だ。金が必要であるということは「現実」だ。しかし拝金主義は「現実」ではない。拝金主義のような歪んだ考え方は改めることができる。従って拝金主義は「現状」でしかない。
 人には欲がある。欲を持つことは自然なことであり欲を否定する類のストイシズムは誤りだ。しかし欲の肥大した強欲は不自然なものであり否定されるべき「現状」だ。
 思考は事実に基づかねばならない。事実に基づかない思考は砂上の楼閣でしか無い。しかしその「事実」が現実なのか現状なのかを峻別する必要がある。原状を是認する思考は低レベルな独断に過ぎず、現実に基づく思考は普遍的な知恵となり得る。
 現状は大いに批判されるべきだ。文化であれ社会体制であれそれは改善することができる。しかし現実を否定することはできない。現実は無条件に肯定せざるを得ない。人が死ぬこと、人が老化することは現実だ。現実を受け入れない思考は無意味なオカルトでしか無い。

ビートルズ

2010-12-10 15:59:57 | Weblog
 30年前の12月8日にジョン・レノンは射殺された。生誕は70年前で、ビートルズの解散は丁度40年前だ。
 ジョンの作品が改めて発売されているが、ビートルズは一体いつまで売られ続けるのだろうか。解散後にアルバム「レット・イット・ビー」が発売され、その後も「赤盤・青盤」「アンソロジー」「リミックス」「オリジナル」などと何度でも新アルバムが発売されている。
 ビートルズの魅力はレノン&マッカートニーの作詞・作曲として捕らえられ勝ちだが私はレノンvs.マッカートニーだと思う。ジョンとポールの好みは全然違う。私はかなり早い時期から作詞・作曲のレノン&マッカートニーは嘘だと見抜いていた。「イエスタデイ」は明らかにポールの個人プレイであるにも関わらずレノン&マッカートニーの作品とされていたからだ。
 その後のシングルの「ペーパーバックライター/レイン」辺りから明らかに毛色の違う組み合わせが目立ち始めた。「ペニーレイン/ストロベリーフィールズ・フォエヴァ」や「ハロー・グッドバイ/アイ・アム・ザ・ウォルラス」に至っては完全にレノンvs.マッカートニーの状態で表面と裏面で喧嘩をしていた。
 ジョンが「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」で指摘したとおりポールの好みがmuzak(軽音楽)であることは解散後に明らかになった。ロックが好きでリズムを重視するジョンとメロディメイカーであるポールとの異質な組み合わせだからこそ1+1=10とも言えるような奇跡が起こったのだろう。
 異質な組み合わせは多くの場合失敗するが時には大成功する。中山美穂&ワンズの「世界中の誰よりきっと」は日本では珍しい成功例だし、ソニーの井深大氏と盛田昭夫氏も異なった才能を生かす素晴らしい組み合えせだ。

ジャポニカ米(2)

2010-12-10 15:41:27 | Weblog
 もし日本がTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に参加したらカリフォルニア州などで栽培されているジャポニカ米はさぞかし高騰することだろう。輸出入市場においてジャポニカ米のシェアは1%も無いだろう。殆んどがインディカ米だ。日本人がジャポニカ米を輸入しようとすれば需給バランスが崩れて暴騰することになるだろう。結局、国産米と同程度の価格に落ち着くのではないだろうか。
 日本の米は世界の米とは違う方向に品種改良された。食品におけるガラパゴス化とも言えよう。ジャポニカ米は粘り気が強くもちもちした食感の香りの乏しい米だ。「始めちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣くとも蓋取るな」という炊き方が通用するのはジャポニカ米だけだ。香りの乏しいジャポニカ米は香りを逃がさないように炊く必要がある。日本式の炊き方をマイコンで自動制御する炊飯器でインディカ米を炊いたら香りが強過ぎて臭いご飯になってしまう。
 多くの芳香は過剰になれば悪臭に変わる。麝香は微量なら芳香だが濃い麝香臭は悪臭だ。香水もプンプン匂えば悪臭であり仄かに香るのが好ましい。大便に含まれるインドールは悪臭の元だが微量なら芳香になり多くの香水や香料に使われている。
 インディカ米を正しい方法で炊けば決して「臭い飯」にはならない。蓋の無い鍋で煮てから湯を捨てて蒸せば香りはジャポニカ米と大差は無い。但し食感は全然違う。日本人ならパサパサしていると感じるし外国人ならサラサラしていると表現するだろう。この食感は炒飯やピラフには合う。慣れ親しんだ物だけを良い物と考えて異質な物を排除しようとするのは日本人の悪い癖だ。

議論の罠

2010-12-10 15:19:05 | Weblog
 議論は3つの方向に歪み易い。①単純化②過激化③否定。この歪みが発生するのは人間が分かり易さを求めるからだ。その意味では「分かり易さ化」と言っても良いかも知れない。人は正しさよりも分かり易さを好む。
 例えば「中国共産党が悪い」という命題だけで多くの問題が分かったような気になってしまう。日本経済の停滞も環境破壊も人権問題も食と生活の不安も北朝鮮問題もこのたった1つのキーワードだけで解けたような気になってしまうから困ったものだ。当たり前の話だが中国共産党が諸悪の根源である訳ではない。
 穏健な主張は過激な主張に押し切られ勝ちだ。かつて浅間山荘で連合赤軍は穏健派を「プチブル」と非難して粛清した。現実的な考え方は理想に背くものとして否定され易い。
 否定することは易しいが肯定することは難しい。粗探しをするだけで否定は可能だ。逆に何かを実施するためには必ず何かを犠牲にせざるを得ない。その犠牲を針小棒大に騒ぐだけで否定できる。
 胡錦濤主席は実は穏健な親日派だと言われている。しかしその面を表に出すと反日路線の江沢民派に絶好の口実を与えて攻撃されることになる。江沢民前主席は国内問題の不満の捌け口として反日教育を推進した。これは先程の「中国共産党が悪い」と同様に外国に責任を押し付けて自らの責任を逃れるずるい手口だ。ナチスにおけるユダヤ人問題も同じだ。
 議論をする場合、最初に挙げた3項目の逆を心掛けるべきだろう。①問題は単純ではなく複雑な要因が絡み合っている。②過激で非現実的な主張よりも穏健で現実的な路線を選ぶ。③否定する人には必ず代案を出させる。
 この3つが実践されたら議論は実りあるものになるだろう。

成功体験

2010-12-07 16:00:54 | Weblog
 成功体験はしばしばその後の失敗の原因となる。
 アメリカは日本での占領政策の成功で誤った信念を持った。市民は戦勝国に服従してアメリカ式の民主主義を教えればそれを受け入れるものだと思い込み、その後も占領地で同じようなことをしてことごとく失敗した。
 日本は沖縄返還で誤った信念を持った。友好な関係が築ければ占領された領土は返して貰えるものだと思い込んだ。領土問題を政治課題と認識せず只管友好関係を強調し続けた結果、北方領土の返還は絶望的となった。最大限でも2島返還しかあり得ない。
 特殊な経験を普遍化するのは愚かなことだ。たまたまうまく行ってもそれが再現できるとは限らない。たまたまの僥倖に頼るのは守株と同レベルの愚考でしかない。
 「愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶ」と言ったのはビスマルクだが、一回限りの経験ではなく積み重ねられた歴史から学ぶことが必要だ。
 但したとえ歴史から学んでも偏った学び方は失敗を招く。インドシナ半島で日本軍は英国軍の背後を衝くことにこだわり過ぎて惨敗を重ねたそうだ。これは義経を真似た奇襲戦術が初めのうちは成功したためだ。奇襲戦術は1度だけなら相手の虚を衝いて大成功を収めることがあり得る。ところがそれに味を占めて何度も繰り返せばワンパターンになって相手に読まれてしまう。これを馬鹿の1つ覚えと言う。

必要条件

2010-12-07 15:47:01 | Weblog
 老後のためには金が必要だ、と言えばすぐに「金だけあっても幸せにはなれない」と反論したがる人がいる。こんな人は必要条件と十分条件の区別さえできないのだから中学の数学を勉強し直すべきだろう。
 十分条件を充たすことは難しい。人間の欲は限り無くかつ千差万別だからだ。何もかも充たされて初めて十分条件になるのだから、そんなに欲張らずに最低限必要なものの確保をまず心掛けるべきだろう。
 足るを知るとは必要最小限の状態に満足感を見出すことだろう。そして最低限必要なものとは健康と金だと思う。この2つが充たされても満足な老後を送れるとは限らないが、この2つのうちどちらかでも充たされなければ必ず不幸になる。従って老いへと向かう人はこの2つのことの充実を今のうちから準備しておくべきだろう。綺麗事を言っていられるほどには老後は短くない。
 間違えてはならないことは金は生きるための道具に過ぎないということだ。仕事に縛られる現役時代が不幸であるように、金に縛られる老後も不幸だ。人は金の支配者であるべきであり金の亡者になってはならない。
 どうせ金はあの世まで持って行くことはできないのだから貯めたり増やそうとすることに齷齪するよりも上手に使うことを心掛けるべきだろう。使う人は金の支配者であり得るが、振り回される人は金の奴隷になってしまいかねない。