俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

生兵法(2)

2011-03-18 15:33:35 | Weblog
 東京工業大学出身の菅首相は閣僚の中では多分最も良く原発を理解しているだろう。しかしそれが仇となった。
 原発は何重にも安全装置が施されている。従って簡単には重大な事故を招くことは無い。但し適正に運用されれば、だ。
 私のような部外者のド素人でも少なくとも3度は重大な人的ミスがあったと思う。給水ポンプの燃料切れの放置、鎮火の確認不足、そして冷却水量のチェック漏れだ。
 危険な原発には事故を防ぐための防災システムが完備されている。但しそれを運営するのは人間であり人間はミスを犯す。なまじっかシステムを理解していると人間によるミスの重大性を見落とす。
 航空機にせよ電車にせよ事故を防止するためのシステムを備えている。しかし機長がエンジンを逆噴射させたり運転手が非常識なスピードでカーブに突っ込むということは防げなかった。
 技術者は得てして技術を過信する。一方で現場では無茶苦茶な使い方が横行する。実務経験のある技術者ならシステムと現場とのギャップを知っている。しかし実務経験の無い菅首相はこのギャップを知らない。だから原発事故が拡大した。
 正しく運用されれば安全なシステムは、正しく運用されなければ危険なシステムとなる。理論を過信した思想家が現実離れするように、技術を過信した技術者も現実離れしてしまう。

初期対応

2011-03-18 15:18:18 | Weblog
 今頃になって菅首相は東京電力の対応のまずさにブチ切れしているが、当初から政府の危機感が欠けていたことこそ問題だ。
 事故に対しては悲観的に捕らえることが鉄則だ。最初から「チャイナ・シンドローム」を想定していればこんな惨めな事態にはならなかっただろう。
 事件や事故で大切なのは初期対応だ。初期に適切に対応していれば大半の惨事は防げる。ボヤの時点で適切に対処すれば簡単に鎮火できるがボヤの対処を誤れば大火災に至りかねない。
 今回の福島第一原発の事故が拡大したことは東京電力任せにした政府に大きな責任がある。当初から事態の重大性を認識していれば、決定権のある幹部に福島駐在を命じることもできた筈だ。
 はっきり言って東京電力はお役所体質の似非民間企業だ。天下りが横行する役人天国だ。現場での業務を下請け企業に丸投げしているから問題の所在さえ把握できないクズ企業だ。今日(18日)中に原発の電気施設を復旧させると発表したが本当だろうか。枝野官房長官でさえ信じていない。
 今回の事故は天災ではなく人災だ。ポンプの燃料切れの放置など明らかな人的ミスが多数ある。原発の構造上の不備以上に組織としての不備が目立つ。
 設備の不備だったのか組織の不備だったのかを明らかにするために裁判を通じて徹底的に検証すべきだろう。福島県民には東京電力を告訴する権利がある。

命懸け

2011-03-15 15:47:38 | Weblog
 命を守るためには命を懸けることもやむを得ない。警察・消防・防衛などは命懸けの仕事だ。命を守るためなのだから命を懸けることも容認できる。
 しかし原子力発電所を守ることは命を懸けるに値するだろうか。確かに放射能が漏れれば多くの人命を損なうから命を懸けるに値すると言えるが、多くの人命を損ないかねない危険な施設を作ることがそもそも間違いではないだろうか。
 福島第一原発事故で怪我をされた方を貶めるつもりは全く無い。人命を守るための尊い英雄的行為だ。彼らの活躍が無ければとんでもない災害を招いていただろう。
 私が否定したいのは安全を守るためには命懸けで働かねばならない原子力発電所の存在だ。たかが電気を得るために何万人もの命を危険に晒し、爆発を防ぐために職員は命懸けで働かねばならない。これは明らかに欠陥施設だ。
 「ガスタンクも危険な施設だ」と茶化されそうだ。しかしそれとは危険のレベルが全然違う。原発とは直径1kmのガスタンクのようなものだ。誰もそんな巨大ガスタンクなど作らない。危険過ぎるからだ。
 原発の住民および従業員に対する危険性を考えるなら明らかに作るべきでない施設だろう。危険な原発を作ることとCO2の排出量とを秤に掛けてとちらを選ぶべきかは議論の余地さえ無かろう。

支援物資

2011-03-15 15:32:46 | Weblog
 東日本大震災の被災地への支援物資の送付は現時点では慎むべきだ。雑多な品が届いても仕分けができないからだ。
 阪神・淡路大震災の時、全国から大量の支援物資が届いたが堆く積まれた荷物の多くが手付かずのままゴミになったと聞く。保管場所も必要なので文字通り「お荷物」になったそうだ。特に迷惑だったのは生鮮食品だった。仕分けをする前に腐ってしまうので廃棄作業に人手を取られる始末だった。古着も迷惑だ。被災者は乞食ではない。不用品の古着を送り付けても受け取る人がいなければゴミにしかならない。
 送る側は善意なのだろうがこれは独り善がりの行為でしかない。被災地の実状を理解していない。一番良いのは義援金だ。金ならば腐らないし汎用性も高い。
 日本人の常識として現金を贈るよりも品物を贈るほうが奥床しい行為とされている。しかしこんな常識は非常時には通用しない。最も汎用性のある現金こそ被災地では求められている。現金さえあればそれぞれの被災地で最も必要な物を購入できる。被災地の個々のニーズに合った物資を調達できる。
 水が足りない、食料が足りない、毛布が足りない、といった被災者の声を鵜呑みにしてはならない。仕分けし易いまとまった量でなければ支援物資は邪魔なガラクタにしかならない。被災者にとって最も必要なのは現金だ。義援金こそ最良の支援策だ。「同情するなら金贈れ」と声を大にして言いたい。

津波と原発

2011-03-15 15:17:10 | Weblog
 原子力発電所は耐震構造にはなっていても耐津波構造にはなっていない。恐ろしいことには日本の原発は殆どが海岸沿いに建っている。それにも関わらず津波は想定外だ。
 確かに津波の被害を受け易いリアス式海岸には原発は無い。しかしもし今回の東日本大震災の震源地が数十km南だったら福島原発は津波の直撃を受けていたのではないだろうか。
 画像で見る限りでは福島第一原発は巨大津波の直撃を受けたとは思えない。津波による停電と浸水が原因となった事故だ。もし直撃されていたら恐ろしい事態を招いていただろう。
 マグニチュード6以上の地震の20%が日本で起こっているそうだ。国土の狭さを考えれば異常に高い数値だ。こんな危険な土地に制御不能になりかねない原発を建てる必要があるのだろうか。そして職員を命懸けで働かせることは果たして正当と言えるだろうか。
 アメリカでは太平洋岸には原発は無い。安全な大西洋岸に集中している。高層ビルも太平洋側には少ない。高さランキング50位までを見れば僅か4棟しか西側には無い。
 原子力がクリーンエネルギーだなんて嘘っぱちだ。現代の技術では処理できない極悪の放射性廃棄物を出すし事故が起これば大惨事になる。原子力発電は長期的にはとてつもなく有害で高コストだ。原発と心中するよりは薪を燃やした生活をするほうがずっとマシだ。

パロディ

2011-03-11 15:49:23 | Weblog
 映画のパロディを考えた。
 ・シンドラーのリフト・・・シンドラー社の欠陥リフト(英国語。米国語ではエレベーター)に閉じ込められた乗客と救急隊を描くスペクタクルドラマ。
 ・天才バガボンド・・・知的障害のある天才画家・山下清氏の放浪の旅。
 ・ウエストサイズ物語・・・寸胴体型に悩む女性が「くびれ」を作ろうとしてフィットネスとダイエットに励むドキュメンタリー映画。
 ・ドクトルしばこ・・・モンスターペイシェンツによる病院叩きと戦う医師の物語。
 ・アバタ・・・アバタ面に悩む夏目漱石の生涯。
 ・最低人ハヤブサ・・・海中に潜んで痴漢行為を繰り返す最低の男と戦う美女集団の物語。
 ・金と共に去りぬ・・・結婚詐欺師に騙される哀れな女性スカ・オケラの物語。
 ・七輪の侍・・・七輪を使った焼き魚にこだわる武士を主人公にしたホームドラマ。
 他に「玉子と乞食」「王様とタワシ」「無知との遭遇」「財産の男」「ラスベガス漫才」「アタシを呼ぶ男」なども考えたが捻りが乏しくて駄洒落のレベルに留まる。「シンドラーのリフト」と「天才バガボンド」は自分では傑作だと思っている。

捜査権

2011-03-11 15:35:29 | Weblog
 入試問題のネット投稿事件で予備校生が逮捕されて以来、京大などが被害届を出したことを非難する人が少なくない。
 確かにカンニングという罪に対して逮捕という罰はいかにもアンバランスだ。しかし日本の法律に従う限りこれ以外の選択肢はあり得ない。捜査権は警察にしか無いからだ。
 投稿者を突き止めるためには2つの障壁がある。ヤフーとNTTドコモによる個人情報保護だ。大学が要請しても企業は個人情報を公開できない。公開すれば法律違反になるからだ。
 この情報を開示させることができるのは警察だけだ。警察だけが捜査権を持っている。従って警察を動かさなければ投稿者を特定することは不可能だった。刑事事件ならともかく、民事事件で警察を動かすためには被害届を提出するしかない。
 もしどこの大学も被害届を提出しなければ投稿者を割り出すことは不可能だった。しかもこれは組織的に行われた可能性もあった。従って被害届の提出は正当な行為だ。
 多分、投稿者は起訴猶予になるだろう。そのことを以って京大などのやり方をやり過ぎだと否定すべきではない。もし被害届を出さなければこの事件が解明されることは無かったのだから。
 実際に、日本相撲協会は八百長相撲の被害届を出さないからいつまでたっても有耶無耶の内部調査に終始していて全面解決の可能性は皆無だ。

会談

2011-03-11 15:21:14 | Weblog
 NHKでさえ平気で「電話で会談」という表現を使うがこの言葉は間違っている。会談とは「会って話し合う」ことだ。会わずに電話で話したのなら「電話で協議」といった表現を使うべきだろう。
 会って話すことは重要だ。ある調査によるとコミュニケーションにおける重要度は言葉が7%、抑揚が38%、動作が55%を占めるそうだ。電話によるコミュニケーションでは情報の55%が抜け落ちてしまう。
 メールという仕組みは便利だが伝わるのは僅か7%に過ぎない。時間的制約が無ければ電話のほうが遥かに優れたメディアだ。無駄のシンボルとされ勝ちな会議もあながち無駄ではないのかも知れない。
 芥川龍之介の「手巾(ハンケチ)」という小説では、息子の死について淡々と語る女性が、実はテーブルの下でハンカチを力一杯握り締めていたという屈折した行動を描いている。言葉は表現の一部でしかない。
 面会や面談が重要なのは言葉だけではなく表情や動作も現れるからだ。都合の悪くなった政治家は仮病を使って面会謝絶にしてメモ程度のコメントを出してほとぼりが冷めるのを待つ。表に出ればボロが出るからだ。
 言葉は便利なツールだがやはり抽象的なものだ。言葉以外のものも使わなければ真意は伝わらない。文筆業者よりも芸能人のほうが信頼されるのはそんな事情があるからだろう。

アニメの名曲

2011-03-08 15:42:33 | Weblog
 古典アニメの主題歌で現在でも親しまれている歌が3曲ある。
 まずは、昨年の紅白歌合戦にまで登場した「ゲゲゲの鬼太郎」が挙げられる。次に「天才バカボン」だ。作者の赤塚不二夫氏が出演するCMで流される「♪これでいいのだ~」がその歌だ。そして「狼少年ケン」だ。
 「え?」という声が聞こえそうだ。「そんな歌は知らない」と言われそうだ。
 「狼少年ケン」の主題歌はロッテのフィッツのCMに使われた。佐々木希さんのフニャフニャダンスが話題になったCMだ。あの「フニャンニャニャンニャン~」は元々は男声低音による「ボバンババンボン~」で原住民による太鼓をイメージさせるフレーズだった。 
 残念ながらこのアニメが再放映される可能性は皆無だ。狼に育てられた日本人ケン少年が野蛮な土人と戦うという、ターザンと同質の人種的偏見に満ちた作品だからだ。
 この歌には明らかにモデルがある。メロディが全然違うので盗作ではないがアイデアをパクっている。ジョニー・シンバルというアメリカ人歌手による「ミスター・ベースマン」という歌だ。世界的にヒットした歌なので高齢者なら知っている人も少なくなかろう。高音のジョニー・シンバルが低音の男性とデュエットをして低音の魅力を世に知らしめた名曲だ。
 古い歌が再評価されることは嬉しいが、それが新しい歌のレベルが低いからだったら寂しいことだ。サザン・オールスターズがいつまで経ってもトップアーティストであることは必ずしも好ましいことではない。

差別の容認

2011-03-08 15:27:39 | Weblog
 アメリカでは能力による差別だけが認められておりそれ以外の差別は一切禁じられている。人種差別や女性差別は勿論のこと年齢による差別も許されない。従ってアメリカには定年制が無い。
 日本では3つの差別が認められている。年齢と努力と喫煙だ。
 年齢による差別は不思議なほどに受け入れられている。定年を迎えればどれほど元気で能力もやる気もあってもクビになる。そのため定年退職した技術者が中国などの企業に雇われて最新技術の流出を招いている。
 努力は本来、成果のための手段に過ぎないが、日本においては結果以上に高く評価されている。努力することはぞの内容や質を問わずそれ自体が価値ある行為と見なされる。その一方で努力不足の人や努力しているように見えない人は冷遇される。それを避けるために皆が忙しそうな振りをする。上司が帰るまでは誰も帰らないという変な我慢比べをするのは日本人だけだろう。
 最近の喫煙者差別は度を越している。厚生労働省の調査によるとほぼ半数の企業が採用において喫煙者を差別しているそうだ。確かに喫煙者は喫煙のために離席せざるを得ない。しかしこれを根拠にして差別することが許されるのならトイレの使用頻度が高く時間も長い女性が差別されることも認められるだろう。
 日本では容認されているこの3つの差別はどれも不当なものだ。なぜ問題にさえされないのだろうか。