俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

奴隷と労働者

2011-03-08 15:12:15 | Weblog
 資本家にとって奴隷は財産だが労働者は労働力を得るための手段でしかない。この事実が困った事態を招く。
 奴隷は財産だから大切にされる。奴隷が病気や怪我をすれば財産が損なわれることになる。従ってそうならないように細心の注意が払われる。栄養や住環境にも配慮して健康を保たせようとする。奴隷は決して悲惨な境遇ではない。自由が無いだけで快適で健康な生活が保証されている。
 一方、労働者はどうか。資本家にとって必要なのは労働力であって労働者などはどうでも良い。労働力は代替が可能だから自由市場で労働力が買えるならできるだけ安く扱き使おうとするのは当然のことだ。扱き使ったために労働者が病気になろうと死のうと資本家の懐は痛まない。雇っていた労働者が使い物にならなくなったら労働市場から新しい労働者を雇えば済むことだ。
 その結果として労働者は奴隷以上に過酷な労働を強いられる。社内生存競争に晒されて過労死するまで働くことになってもそれは自由人としての本人が選んだ道だ。
 イソップが奴隷だったことは良く知られている。しかし古代ギリシャの奴隷は我々がイメージする奴隷とは全然違う。肉体労働者だけではなく教師や公務員や管理職までもが奴隷の仕事だった。
 資本主義社会では労働者であるよりも奴隷であるほうが幸せなのではないだろうか。人を労働の手段として雇用する自由労働よりも人そのものに投資する奴隷制のほうが人道的なシステムだとさえ思える。

薬のリスク(5)

2011-03-04 15:47:02 | Weblog
 肺癌治療薬のイレッサの訴訟で原告側弁護士の1人がイレッサを「欠陥薬品」と呼んだがこれは間違っている。もし本気で欠陥薬品だと主張するのなら使用禁止を求めるべきであり、現在この薬を使用している日本人16,000人から取り上げねばならない。それができないのはこれが薬として有効だからだ。
 何度も書いたことだが薬の本質は人体に異常な反応を起こさせる毒物だ。血圧を下げる薬は高血圧の人には薬だが低血圧の人には毒物だ。血圧を上げる薬は低血圧の人には薬だが高血圧の人にとっては死に繋がりかねない猛毒だ。
 消毒薬は善玉菌まで一網打尽にする毒物であり、頭痛薬は一時的に痛覚を麻痺させる鎮痛剤でしかない。薬の使用によって弊害が生じるのは当然のことだ。これはコンロの火に手を触れれば火傷をするのと同じくらい当たり前のことだ。
 私は輸入販売元のアストラゼネカ社に賠償責任があるとは思わない。欠陥薬品ではないからだ。もし誰かが責任を問われるべきならば、「夢の新薬」と報道して肺癌患者の期待を煽り立てたマスコミにこそ責任がある。綺麗な薔薇には棘があるように特効薬には重い副作用があることを正しく報道すべきだった。しかしマスコミが自らの責任を追及することはあり得ない。従って販売元と国の責任だけをマスコミは追及する。マスコミこそ加害者だ。

ウグイス(2)

2011-03-04 15:32:20 | Weblog
 「江戸のウグイスの声は訛っておじゃるのぉ」と言ったかどうかは知らないが、京から江戸の寛永寺に赴任した公弁法親王は江戸のウグイスの鳴き声に憤って何と3,500羽のウグイスを京から取り寄せたと言う。その甲斐有って江戸のウグイスも「ホーホケキョ」と鳴くようになったそうだ。この地は今では鶯谷と呼ばれている。
 ウグイスは教わらないと正しく鳴けない。多分正しく鳴けば繁殖において有利なのだろう。個体数が多い土地では皆が正しく鳴くが、個体数が少なければ泣き声がバラバラになるらしい。訛っていたウグイスも正しい声を聞けばすぐにその真似をするらしいから、多数決ではなく「正しい鳴き声」という基準があるのだろう。
 人間も正しい行為を見れば不正な自分が恥ずかしくなる。何が正しいかを定義することは難しいが「悪の否定」としてなら定義できる。子供向け番組の「正義の味方」は犯罪組織や怪獣をやっつけることでしか自らを正義の味方と位置付けられない。
 平和や繁栄や秩序などを脅かすことが「悪」であってその悪を倒すことが「正義」とされる。正義とは何とも消極的な概念だ。ハーバード大学のサンデル教授も「正義でないこと」について話すばかりで正義については殆んど話していない。正義とは一次的な概念ではなく二次的な概念だ。

続・議員報酬

2011-03-04 15:18:09 | Weblog
 昨日(3日)の大阪府議会で府議の議員報酬の30%削減案が可決された。4つの会派の案が相次いで否決された後、最後に採決された民主党案に、公明党以外の4会派が賛成して可決されたそうだ。
 1日の私の記事はたった2日で覆された訳だが、これは予言のパラドクスなのかも知れない。私の記事を読んだ府議がホンネを見抜かれたことを知って対応した可能性はゼロではない。
 人が予言を聞きたがるのは予防するためだ。「今日、自動車事故に遭う」と占われた人は自動車を運転しないだろうし外出も極力控えるだろう。もし未来が変えられないのなら占など要らない。
 こんな実例がある。
 日経新聞がある有名企業の社長交代をスッパ抜いた。その企業は記者会見を開いてその記事を否定した。そして実は既に決定していた社長人事を1年遅らせることにした。
 つまりその企業は、本当は正しかったスッパ抜き記事を否定するために、決定していた社長人事を変更した。その結果、日経の記事は誤報になった。このことによって公式発表以外を報道すれば報復をするという企業姿勢をマスコミに知らしめた。
 その時点では正しかった予言も、予言された人が適切に対応すれば覆すことができる。するとその予言は的中しなかったから正しくなかったということになる。正しい予言だったからこそ違った結果になるということが予言のパラドクスだ。

議員報酬

2011-03-01 16:03:36 | Weblog
 大阪府議会では奇妙なことが起こっている。何と全会派が月93万円の議員報酬の30%削減を主張している。4月の府議選を睨んだ動きだろうが変な話だ。
 30%削減で同意しているのなら共同提案すれば良いと思うのだがバラバラになっているのはホンネとタテマエが分離しているからだ。
 大阪維新の会と共産党は恒久的に30%削減を提案している。但し共産党は月59万円の政務調査費の15%削減を付け加えている。
 民主党・自民党・公明党は1年間だけの30%削減を主張している。政務調査費については、民主党は15%削減、自民党は削減無し、公明党は50%削減を主張している。
 大阪維新の会以外のホンネは議案の共倒れ狙いだろう。
 維新の会は自会派の提案が否決されたら他会派の総ての案に賛成する方針を示しているが、他の会派は多分、自分の会派の案にしか賛成せず、その結果としてどの案も過半数に満たずに否決されるということになるだろう。
 橋下知事が30%削減を提案して府民の支持を得ているだけにそれに反対すれば4月の府議選で惨敗することは必至だ。そのためにこんな姑息な戦略を練ったのだろう。要するに高額な報酬を減らしたくないがかと言って落選するのはもっと嫌だという事情から報酬を減らすことに賛成するポーズを取っているに過ぎない。つまり30%削減を提案したが他の会派が反対したから成立しなかったという言い訳をするだけのためにこんな大同小異の提案をしている。全くの猿芝居だ。

野生動物保護

2011-03-01 15:49:55 | Weblog
 熊や猪は体が大きくて力が強くて足も早い。生存競争においては有利な筈の条件を備えているが、人間が絡むと事情が変わる。熊や猪は危険な動物と見なされて駆除されてしまう。人間よりも強いということが却って生存を脅かす。
 野生動物でも狸や兎なら駆除されない。明らかに人間よりも弱いからだ。
 ワシントン条約でアフリカ象の取引が禁止されたことによってアフリカ象が激減した。なぜ野生動物を保護する筈の条約が逆の結果を招いたのか。
 取引が認められている間はアフリカ象は資産として大切にされた。生きた象は動物園やサーカスなどに高く売れたし、死んでも象牙は高値で取引できた。
 ところが取引が禁止されるとアフリカ象は厄介者でしかない。温厚な草食獣ではあるが何しろあの巨体だ。畑を踏み荒らすこともあるし時には人を襲う。輸出できないアフリカ象は危険な害獣でしかない。保護する理由が無くなれば駆除対象になってしまう。
 商業捕鯨の禁止以来コクジラなどの小型のクジラが激増している。増えた小型のクジラが餌を食い荒らすために大型のマッコウクジラやシロナガスクジラなどは餓えに苦しんで絶滅の危機に瀕しているそうだ。
 西洋人の保護政策はどこか抜けている。机上の空論であることが少なくない。問題を単純化し過ぎるせいだろう。

泳げないイルカ

2011-03-01 15:33:24 | Weblog
 イルカは本能に基づいて泳いでいるのではないようだ。
 魚なら生まれたらすぐに泳ぎ始める。稚魚が溺れるということはあり得ない。しかしイルカは訓練しないと泳げないらしい。
 経緯は知らないがイルカの赤ん坊が保護された。職員がプールに入れたところ何と沈んだまま浮かんで来ない。イルカは鼻孔を使って肺呼吸をするので危うく溺死するところだった。まさか泳げないイルカがいるとは誰も思わなかっただろう。
 この泳げないイルカを生かすために彼らは浮かぶための補助器具を作った。胴体を発泡スチロールのような物で巻いて更にブイを付けて浮力を高めた。まるで浮き輪に掴まっている子供か歩行器でヨチヨチ歩きをする幼児のような姿だった。
 この泳げないイルカは浮上補助器に頼って浮かんでいたが何日目かには尾鰭を使って動き回るようになり、その後、補助器の助けを借りなくても泳げるようになった。今では普通のイルカと同様に水中からのジャンプなどの芸を見せている。
 イルカはカバの仲間から進化した哺乳類だ。従って泳げないイルカがいても不思議ではない。それにしてもあれほど水中を自由に泳ぎ回る水の申し子のようなイルカが後天的に水泳を修得せねばならないとは驚きだ。
 イルカは本能ではなく後天的に修得するからこそあれほど自由に楽しそうに泳ぐのだろう。昆虫に代表される本能に支配される動物には自由が無い。生命を持った自動機械のようなものだ。
 人間は教わらなければ歩くことも話すこともできない。二足歩行も言語も本能ではない。本能に支配されないからこそ人間には自由の可能性がある。本能からの離脱こそ高等動物の証だ。