俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

スーパークールビズ

2011-05-17 15:24:11 | Weblog
 環境省がスーパークールビズを発表したがなぜジーンズが認められたのか理解に苦しむ。ジーンズは保温性の高いパンツだ。通常のスラックスのほうがずっと涼しい。
 私はジーンズ派だが夏は余りメジャーでないサマージーンズに切り替える。生地が厚いジーンズはクールな衣料ではない。夏場は蒸れるほど保温性・保湿性が高い。男ではなく女性がジーンスを使えば男以上に反クールビズになる。スカートと比べてパンツのほうが暖かいが、普通のパンツよりもジーンズは更に暖かい。
 ジーンズを冬のウォームビズに採用するのなら分かる。特に女性にとっては足が冷えないから有効だろう。しかしクールビズには相応しくない。
 環境省の発表では「ジーンズ」ではなく最近では余り使われていない「ジーパン」という単語が使われていた。担当者は多分ファッションには余り関心が無くて奥さんによる宛がい扶持の服を着ている人なのではないだろうか。涼しい→カジュアル→ジーパン、という思い込みに基づいて発表したのだろう。
 今からでも遅くない。「ジーパンはサマーパンツの誤りでした」と訂正すべきだろう。以前にも引用した孔子の言葉を掲げる。「過てば即ち改むるに憚ることなかれ」(「論語」より)

大連立

2011-05-17 15:08:05 | Weblog
 非常時だから政治的対立をやめて挙国体制を築くべきだという声が少なくない。それも悪くなかろう。但しその際、菅内閣は退陣すべきだ。少なくとも大連立与党による総会を開いて首班指名を行うべきだ。先日の谷垣自民党総裁に対する一本釣りなど論外だ。これが意図するものは連立ではなく併合だ。
 もしアメリカが「副大統領のポストを用意するから連立国を作ろう」と日本の首相を誘ってもNo!と答えるしか無い。これは連立ではなく併合を意味するからだ。
 93年の細川連立政権を思い出して欲しい。細川首相の日本新党は第一党ではなかった。併合にならないためには第一党が譲らねばならない。94年の自社さきがけ連立政権もそうだ。第一党の自民党が社会党の村山氏に権力を預けた。連立とはそういうものだろう。菅首相が権力を手離そうとしない限り大連立はあり得ない。
 民主党の長老・渡部恒三氏の指摘は正しい。本気で連立政権を目指すのなら谷垣氏に首相の座を渡すべきだった。副総理にしてやるから協力しろという誘いに乗れる筈がない。
 挙国体制を自民党が拒んでいるようにマスコミは報じるが、併合など受け入れられないのは当然だ。挙国体制を妨げているのは菅首相の権力に対する妄執だ。権力を手離す覚悟をしなければ党外からの協力は得られない。それどころか党内で敵を増やしつつあるのが現状だ。

まやかしのリストラ

2011-05-17 14:51:40 | Weblog
 政府による賠償支援の条件を東電が受け入れたことに基づいて原発の損害賠償の枠組みが13日に発表された。しかし東電のリストラ策には政府との馴れ合いがあったとしか思えない節がある。
 「代表権のある役員8人の報酬の全額返上」がそれだ。期間が明らかにされていないがこの8人が6月の株主総会で辞任すれば全額返上の期間は僅か1・2ヶ月に過ぎない。当初案の役員報酬の半減のほうがずっと大きな金額であることは間違いなかろう。
 また同じ13日には国会で清水社長は「年金と退職金の削減は考えていない」と明言した。朝日新聞の大阪版はどういう訳かこのことを報じていないがここにトリックがある。
 役員報酬半減を民主党に蹴られた東電としてはそれ以上のリストラ策を出さねばならなかった。ここで東電と民主党の間では阿吽の呼吸が働いたと思われる。大衆を納得させることさえできれば良い、これが「代表権のある役員8人の報酬の全額返上」の正体だ。
 東電の代表権のある役員8人は無報酬でお詫び行脚を続けるつもりなど更々ない。適当に謝罪したら退職金をガッポリ貰って遊んで暮らすつもりだ。実際、勝俣会長以外の代表取締役7人はこの6月で辞職するようだ。このトリックに民主党側が気付かない筈が無い。もし気付かなかったなら本当の阿呆だ。これで国民を欺けると思っているのだろうか。東電と民主党による三文芝居だ。

独占企業

2011-05-13 15:29:40 | Weblog
 独占禁止法に基づき独占企業は例外無く解体されるべきだろう。独占事業者は価格吊り上げを図り庶民から搾取する。
 官業が割高になるのは無駄が多いからではない。無駄は原因ではなく結果だ。独占事業だから無駄が増える。官業であろうとも競争に晒されれば無駄を省こうと努力する。逆に民間企業であろうとも独占事業者になれば放漫経営に陥る。
 JRが日本国有鉄道だった頃は驕り高ぶっていた。赤字は垂れ流しで給料は上げ放題でサービスは最低だった。分割・民営化されてやっと少しはまともな企業になった。
 電力会社は地域の独占企業だ。そのため日本国民は国際水準よりも遥かに高い電気料金を負担させられている。
 独占が弊害を生むことは誰でも知っている。その弊害を防ぐために独占禁止法がある。これが一部の事業には適用されていなかったことこそ改められねばならない。
 大災害を起こした東京電力が潰れないのは独占事業だからだ。収入が足りなくなったら電気料金を値上げして対応する。住民は受け入れるしか無い。
 この際、東京電力を分割してはどうだろうか。3社ほどに分割して自由競争にすれば電気料金は下がるだろう。
 市民が選択できないインフラ事業にこそ競争原理を導入すべきだろう。

被災者支援

2011-05-13 15:13:34 | Weblog
 原発避難世帯に対する東電の仮払いが滞っていることについて海江田経済産業相が「早く払え」と文句を言っていることに疑問を感じる。政府の案では「賠償を支援する機構」を作ってそこを窓口にすることになっている。機構を作るには法的整備が必要だからそれを待っていられないのは分かるが、政府として東電による支払いには全面的に協力すべきだろう。
 個人情報保護法によって東電は自力で被災者情報を得ることができないから各自治体からの情報だけが頼りだ。東電任せにせずに、個人情報を活用できる政府の機関が積極的に窓口になるべきではないだろうか。
 「農業・漁業者に対して早く補償しろ」とも言うが補償の基準は全く提示されていない。対応については東電に丸投げにされている。己のなすべきことをなさずに他社の非ばかりを責める姿勢は菅無責任内閣らし過ぎるやり方だ。
 東電の尻を叩くだけではなく政府は自らの責任を速やかに果たすべきだろう。自らの責任を全うした上で責任を果たさない者を咎めるべきだ。義援金がまだ殆ど被災者に届いていない現状こそ早急に改善されるべきだ。あるいは現行法で可能な被災者支援策を小出しでも良いから速やかに行うべきだ。スピードが大事だ。被災者は切羽詰っている。
 東電による原発被災者支援のほうが国による震災被災者支援よりも先行するということを政府は恥ずかしいと思わないのだろうか。

汚染土の捨て場所

2011-05-13 14:58:14 | Weblog
 学校や幼稚園・保育園の校庭や園庭の放射能汚染土の捨て場所が決まらず放置されているそうだ。
 なぜこんな簡単なことが決められないのだろうか。八方丸く収まる解決策がある。福島第一原発にバラ撒けば済むことだ。
 ゴミをゴミ捨て場に捨てろと言っている訳ではない。高汚染の土地に低汚染の土を撒けば中汚染になるということだ。100℃の熱湯に同量の20℃の水を足したら60℃になるのと同じ理屈だ。
 実際の効果はもっと大きい。高汚染の土地を低汚染の土で覆えば低汚染のレベルに近付く。こうすれば福島第一原発敷地内の危険性は幾らか下がり作業員の労働環境が改善される。
 原発敷地内の大量の瓦礫は捨てる場所が無い。汚染度が高過ぎるからだ。これも校庭の土で埋めてしまえば良い。瓦礫を1ヶ所に集めて埋めてしまえばあとは自然崩壊するのを待つばかりだ。
 校庭の低汚染土は必ずしも危険なものとは思えない。しかし保護者が安心を求めるのならそれに応えることも必要だろう。そしてその撤去された表土で福島第一原発の敷地を覆えばこちらの安全性は確実に高まる。低レベルの汚染土は高レベルの汚染地の環境改善に役立つ。
 もし敷地内が総てコンクリートなら隣接する最も汚染された土地を覆うことに使えば良かろう。そうすれば大気中への放射線放出量が少しは減るだろう。

ザル法

2011-05-10 15:35:07 | Weblog
 生食肉については衛生基準はあるが罰則が無い。そのために1998年の制定以来、衛生基準を満たした牛肉は1度も流通していない。無視するほうも悪いが無視されていても放置するほうも悪い。
 歩道の自転車については罰則も定められているが規制は全くされず事故が起こって初めて罰されるだけであり予防効果は皆無に等しい。
 賭博行為であるパチンコも売春であるソープランドも黙認されている。
 ザル法の存在は国民に法の重みを忘れさせる。ザル法を守った人が不利益を蒙るだけだから守るほうが悪いと言っているようなものだ。
 原子力損害賠償法に関する政府の答弁は素人以下だ。原子力損害賠償法では「異常に巨大な天災地変」で生じた損害は免責されると定められているのに、菅首相は「規定をそのまま認めることは東電を免責することを意味するから」と言って法律そのものを否定する。海江田経済産業相は「超不可抗力、全く想像を絶する事態、人類が予想しなかったもの」でなければ免責にはならないと言う。これでは日本全体が消滅するほど被災して初めて免責にされるということになる。これでは免責になることはあり得ない。
 二人とも初めから結論ありきの姿勢だ。東電に無限責任を負わせるために原子力損害賠償法をザル法にしようという魂胆だ。
 今はおとなしくしている東電だがいずれは訴訟になり、ザル法が法と認められて国の全面敗訴となるだろう。 

補充要員

2011-05-10 15:17:53 | Weblog
 菅首相は6日に突然、浜岡原発の停止を要請した。最も危険と言われる原発だから停止させることに異存は無いが、なぜ唐突に命じたのだろうか。
 首相には思い付きで発言しては物議を醸すという悪い癖がある。消費税増税とかTPPとかサマータイムとかを放言して、世論が支持しなければ知らん顔をして放置する。評論家ならそれでも構わないが一国の総理としてあるまじき無責任な態度だ。
 かつて「雇用が大事」と言い続けていたが、突然職を失う浜岡原発の約2,800人の労働者はどうなるのだろうか。休職扱いになるのだろうか。
 心配には及ばない。勤務先は国がちゃんと用意してくれている。それは福島第一原発だ。福島第一原発では放射線を浴び過ぎてこれ以上事故現場では勤務できない作業員が大勢いる。その穴埋めのために即戦力として通用する他社の原発従業員まで動員しようという魂胆だろう。
 首相は己の不手際のせいで非常事態に陥ってしまった福島第一原発問題を取り繕うことばかり考えているようだ。作業員が足りなければ作れば良いという思いだろう。突然職を奪われて、誰もが危険と分かっている福島第一原発に勤務せざるを得ない労働者は気の毒だ。
 福島第二原発や女川や東海村などの現在停止中の原発の従業員も福島第一原発の補充要員として狩り出されるかも知れない。浜岡以外は止めないと言っているが信用できない。停止中の原発が運転再開されなければ従業員はお荷物の余剰人員になってしまう。技術を生かすためには福島第一原発に勤務せざるを得ない。

愚かな権力者

2011-05-10 15:01:24 | Weblog
 日本はつくづく奇妙な国だと思う。愚かな権力者と賢い庶民という二重構造になっている。賢い日本人は権力を求めない。高等遊民が理想とされるのは日本人と古代ギリシアの哲学者と竹林の七賢ぐらいではないだろうか。
 日本人が世界に影響を与えるのは常に庶民の文化だ。権力者が蔑視し否定するものに限って世界中から賞賛される。
 世界で年間900億食以上が消費されるインスタントラーメンは今でも権力者からは蔑視されている。栄養学者はジャンクフードとして否定するが、健康に良い食べ方を推奨すべきだろう。
 寿司も江戸の屋台料理がルーツだ。貴族や武士の料理ではない。
 カラオケは日本発の大衆文化だ。日本の庶民の発明が世界中に広まっている。
 浮世絵の価値を江戸幕府は認めなかった。しばしば規制対象にさえなった。陶器や漆器の包装紙として使われていた浮世絵を見てヨーロッパの芸術家は驚愕した。
 漫画は今も軽蔑されている。一昔前には漫画を読む大学生が社会問題とされたこともあった。しかし世界に最も影響を与えている日本文化は漫画・アニメではないだろうか。漫画に惹かれて日本語を学び始める外国人が少なくないことは漫画文化のレベルの高さを物語っている。
 日本の歴史は愚かな権力者・役人・学者と賢い庶民という二重構造を持っている。原発事故に右往左往する無能な政府と放射線の安全基準について科学的に議論することさえできない三流の御用学者と世界から絶賛されるほど助け合う模範的な被害者が同居している。不思議な国だ。

理不尽な要求

2011-05-06 15:47:06 | Weblog
 JR福知山線事故の遺族が「息子を返せ」と罵ったり、原発事故の避難民が「今すぐに放射能を止めろ」と発言したりすると嫌な気分になる。被害者側ではなく加害者側に同情してしまう。理不尽な要求は加害者いじめにしかならないからだ。加害者側が反論できないことが分かっているから被害者はこんな理不尽な要求をする。
 水に落ちた犬を叩くという言葉がある。窮地に陥った敵をここぞとばかりに攻撃するという意味だ。困り果てている者に更に攻撃するのではなく「武士の情け」を大切にしたいものだ。
 要求は現実的でなければならない。実現不可能な要求は問題解決には繋がらない。感情的な対立を深めるだけだ。反撃される心配が無いからこそ理不尽な要求を使って加害者を攻撃する被害者は卑劣だ。
 我々は多数決を是とする社会に住んでいる。多数者の意見を正しいものと見なすという奇妙な社会だ。
 多数者とは相対的な概念だ。イスラム教圏でのクリスチャンやキリスト教圏でのイスラム教徒は少数者として排斥される。東電に1人で乗り込んだ被災者も同じだ。だから集団で押し掛ける。同じ主張であっても集団なら権力になる。
 多数者であれば理不尽な要求であろうと正当と見なされる社会は知的に未熟な社会だ。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ではなく個人が正邪を判断すべきだ。群居動物から脱皮して確固たる主体性を確立すべきだろう。