人生生きていれば本当に色々あるけれど、他人の不幸もさることながら、やはり自分が負の状態が増えれば増えるほど、大きく沈んでしまう。
というのは、ここ三か月で変な胸の痛みがあることを、かかりつけの医者に伝えていたところ、いよいよ大きな病院で精密検査をするよう指令を受けてしまった。
そこで先日、紹介状を書いてもらった近所の大学病院に向かうと、これから一カ月以上かけて詳細な検査をすることになった。
どうやら、狭心症を疑うような一次診断であって、その可能性を全て消去法で否定するためには、大病院であってもそれぐらい期間が必要であるとのことだった。
狭心症とは名前では知っていたが、結構深くそして狭心症であると診断するまで難しい病気であることをあわせて知ることになった。
もしオレが狭心症であるならば、その原因は「ストレスか酒」によるものの可能性が考えられるということであり、次の検査まで酒を控えてみてはと提案を受けた。
職場では毎日呆れかえるほどの人間関係を目の前で見せられ、実家では毎晩介助するというストレスが積もり積もっていたということなのだろうか。
そんなガス抜き代わりに「ひとり居酒屋」を週に1~2度ほど敢行してストレスを開放していたつもりだったけれど、どちらの行動とも自身の心臓に負担をかけていたことになる。
なにより、酒という懐刀を取り上げられてしまったら、今のオレにはストレスをオープンにする場所がなくなってしまうのは痛い。
そう考えていたら、職場に戻っても普段から行われている哀れな光景も、何の感情なしに眺めているだけだった。
これまで仕事や実家での作業に張っていた糸が今、まさに切れてしまい、まるでセミの抜け殻のようになってしまった。
その日の仕事も背中を丸めるだけで、何の仕事もしなかった。
ところが悲劇は続くもので、その夜22:00ぐらいから右背後のあばら周辺が、突然強い筋肉痛の様な痛みを生じることになり、さらに焦ることに。
寝れば治ると思っても、なかなか寝られないし、やっと寝ても背中の痛みで起きてしまう有様。
翌朝、痛み止めを飲んで出勤したが、痛みは半減も集中力ゼロ。
この日も仕事なんかまともにできなかった。
こういうときの負の連鎖って、ダメージが大きいもので痛みを感じれば感じるほど
「いよいよお迎えが来たか」と思うまでに(苦笑)
このことは、大病院の新主治医に伝えるべきか悩んでいるところだが、せめて背中の痛みだけは一過性であってほしいと願う年度末の今日である。
まだ死にたくはないが、こんなに一気にボロボロになっている自分を見つめると、前を向く力も弱くなることはやむを得ないと自ら責める。
何事もなく、もう少し生かしてくれないかな。
やりたいことも、まだちょっとあるし、死ぬ前に会いたい友達もいるのでね。
(そうそう、なんにもやる気がしなくなってしまったオレ。これまでの毎日、なんらかしらの試験勉強をしていたが、そのやる気も関心も失せてしまった。)
![]() 【ポイント最大14倍】色んな表情のネコちゃんおにぎりが作れるおにぎり押し型 おにぎり抜き型 ... |