明日、公立高校の入学試験が行なわれる。今は、高等学校(公立)の卒業式(3月1日)の後に高校入試が行なわれている。しかし、8703が現役(高校教師として)の頃は高校入試の後(3月10日)に卒業式があった。そして、2月~3月にかけて3年生(卒業生)の大学入試、合否発表と、この時期の高等学校は盆と正月が同時に来る様相であったと記憶している。
3年生の担任を受け持った時には、やはり生徒の進路決定が最大の課題であった。その中で、特に印象に残っていることとして、共通一次試験がある。8703は、いわゆる共通一次元年と言われる年の3年担任であった。教師も、もちろん生徒も全く初体験、何の過去データも無い中での受験戦争(?)は大変であったことを忘れない。
その後、更に大学入試制度は改革(?)されているのだが、いつも小手先の改革であって、8703が経験した40年間の教職生活で、日本の教育界においては一度として「抜本的な教育改革」が行なわれることは無かった。常に試行錯誤の繰り返しである。「ゆとり教育」も十年も持たずに挫折。大学入試制度で常に守られているのは「受験産業」、というスタイルがいつまで続くのであろうか。
国づくりの根幹であるべき教育が、一貫性の無い施策に翻弄される中、多くの(?)善良なる教師集団に育まれた若人が巣立って行く。卒業式を迎えたときの感慨は一入である。惜別、期待、不安、安堵・・・生徒一人ひとりへの思いが交錯して複雑である。そして、8703は教師が「入学、卒業への感動」を失って行くことは、教師として後退していることの証であると信じている。
3年生の担任を受け持った時には、やはり生徒の進路決定が最大の課題であった。その中で、特に印象に残っていることとして、共通一次試験がある。8703は、いわゆる共通一次元年と言われる年の3年担任であった。教師も、もちろん生徒も全く初体験、何の過去データも無い中での受験戦争(?)は大変であったことを忘れない。
その後、更に大学入試制度は改革(?)されているのだが、いつも小手先の改革であって、8703が経験した40年間の教職生活で、日本の教育界においては一度として「抜本的な教育改革」が行なわれることは無かった。常に試行錯誤の繰り返しである。「ゆとり教育」も十年も持たずに挫折。大学入試制度で常に守られているのは「受験産業」、というスタイルがいつまで続くのであろうか。
国づくりの根幹であるべき教育が、一貫性の無い施策に翻弄される中、多くの(?)善良なる教師集団に育まれた若人が巣立って行く。卒業式を迎えたときの感慨は一入である。惜別、期待、不安、安堵・・・生徒一人ひとりへの思いが交錯して複雑である。そして、8703は教師が「入学、卒業への感動」を失って行くことは、教師として後退していることの証であると信じている。