8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

M氏の決断!その3(最終回)「『うた』という武器を持って」

2014-12-12 16:59:56 | 合唱
歌は「祈りの虹」のように
 いま、不穏の時代を、私たちは迎えている。
 不穏の時代のさなかに、『今は不穏の時代である』という政治家はいまい。しかし、どう考えても、私たちは、皮膚感覚でもって今の時代を『不穏である』と感じる。この『皮膚感覚』が、実は世を構築する上でとても大事で、理屈を並べて人々を納得させる方法には、理論武装という名の『要領』が隠蔽されているから注意が必要だ。
 この世に数多く仕組まれた欺瞞のなかで、絶望はひたひたと、密やかに、そして狡猾に近寄ってきている。『不穏の時代』が『絶望の時代』にならないように、今、私たちがどういった態度でこの世の中に向かうのかが問われている。
 私と、G.P.C.のメンバー一同は、この時代に記念すべき10回目の演奏会を迎えたわけだが、この記念すべきステージで『人類の負の遺産』を採り上げたのだ。今日演奏する楽曲の全てに、血と涙、悔恨と憤怒が染みついている。お祭りムードは、ここには皆無である。
 ガイアのメンバーは皆、善良な一市民であり、平和を愛する単なる歌好きの集まりである。本来は単純にハーモニーを味わっていたい。呑気な集団である。そんな一市民合唱団である我々が、このようなプログラムを組みたくなった~否、『組まなくてはいけなくなった』のは、この世の動向に対する危機感からに他ならない。私が若い頃は、まさかこんな日が来るとは思ってもいなかった。
 第2次世界大戦の終結からたった69年。宇宙の営みから見ればほんの一瞬である。戦争の記憶が生々しく残っているはずのこの年に、再び『武器には武器をもって応酬せよ』とする機運が高まっている。
 ならば我々も武器を持とうではないか。『歌』という武器を。我々は常に丸腰である。無防備に口を開き、阿呆のように歌い続ける。これが、我々の持つ最大の武器だ。撃つなら撃ってみろ。何人死のうが、戦いは必ず終結する。そして、『廃墟から』聞こえてくるのは“歌”のはずだ。歌は、『祈りの虹』のように、人と人、国と国を優しく、鮮やかに繋いでいくことだろう。

 音楽には、この世の中に対する破壊力はない。しかし、再生力はあるのだ。取り返しのつかない事になる前に(もうなっているかも知れないが)、世界は音楽の力に気づくべきである。音楽のあるところ、争いはない。先にも書いたが、ガイアは、5月ポーランドの国際コンクールに出場した。そしてそこで見たものは、ロシアとウクライナの合唱団が手を取り合って歌う姿だった。一般市民は争いを求めない。これは、どの時代でも変わらない事実だ。それが実感できるのが、音楽、合唱の世界なのだ。
 生き方の表現
 音楽を理解しない、ということは、芸術を理解しないことであり、芸術を理解しない、ということは文化を理解しないことであり、文化を理解しない、ということは哲学を理解しないことであり、哲学を理解しない、ということは自分の生き様を放棄する、ということである。私たちは、そうならないようにしなければならない。そして、いつまでも、自由に音楽や芸術の表現活動が出来る世の中でなければならないし、そのような世の中であり続けるための責任を、私たち一人ひとりが負っているのだということを、今日も、これからも感じていなくてはならないと思うのである。

 以上、作曲家・合唱指揮者である松下耕氏が「うたごえ新聞」に寄稿した「『うた』という武器を持って」を、ご本人の承諾を得て3回にわたり転載させていただいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする