ナオスミンの雑記

2009年9月14日より、四年半使用し続けた、グリチルリチン酸配合のATPリピットゲルを中止。リバウンド体験中。

「誰か」に祈るとき

2010年03月14日 10時10分16秒 | 精神世界
私は20代の時で、上の子がまだ一歳のころ、危うく死にかけたことがあります。
ある冬の寒い日の夜、FFヒーターの前で子供と旦那と過ごしておりましたら、子供が具合が悪くなってしまい、吐いた後にぐったりし、意識をなくしてしまいました。

その後始末をしていた私は、当時風邪をひいており、熱が38度くらいありました。
自分もクラクラして気持ち悪いのをこらえて、必死に子供が吐いて汚した部分を拭いておりましたら、ものすごい気持ち悪さとあり得ない頭痛、めまいが襲ってきました。

その時、ふらふらしながらも寝室にタオルを取りに行った私は、もうどうしてよいのかわからず、倒れそうになりながらも、必死に泣きながら声に出して、
「誰か助けてください、誰か助けてください・・・・」と、何度も祈りました。

当時、神様の存在などまるで信じていなかった私は、その「誰か」が自分でも誰なのかわからず、無意識に祈ったのでした。

その後、苦しくて朦朧とした状態で子供の世話をしていた私は、ふっと意識をなくし、倒れてしまいました。
そのままでいたら、おそらく、子供と私は意識をなくしたまま亡くなり、朝になって家族に発見されていたことでしょう。

しかし、その時、なぜか旦那は、一人だけトイレに十分以上も入っていたのです。
そして、部屋に戻った旦那は驚き、大慌てで救急車を呼んでくれ、私と子供の命は助かったのです。

まさか、一酸化炭素中毒とは、その時は私も誰も知らずに、運ばれた病院ではすでに意識を回復していた私は、「風邪くらいで意識をなくして救急車を呼ぶなど、そんな弱い精神でどうする」と医師から怒られ、ショックを受けました。

子供はてんかんではないかと医師から言われ、心配しましたが、あれ以来子供も意識をなくすことは全くなくなり、どう見ても、てんかんによる発作ではなく、一酸化炭素中毒によるものでした。

しかし、人は、死にそうな苦しみが訪れると、必ず「誰か」に祈るのではないでしょうか。
その「誰か」は、今思えば、神のような存在でしかないと思えます。
自分の力で生きているような気でいても、どうしても抗えないような瞬間には、人は「誰か」に祈らずにはいられないのだと思います。

不思議なことに、私が意識をなくしている時に、偶然にも実家から電話が入り、しどろもどろの旦那が応対しておりました。
神様、あるいはご先祖様が、実家に知らせてくれたのでしょうか。

私はいま、その「誰か」に助けられたおかげで、生きているのだと思います。
それなのに、普段なんともないときは、自分で生きている気でいて「誰か」に感謝もせずに、何か困ったときだけ「誰か」に祈るような、私は愚か者なのです。
今後は常に「誰か」を意識して、感謝の気持ちを持って生きていきたいと思っています。