今回は北海道の納豆屋さん、登別の道南平塚食品の「道南納豆」です。
登別市にある道南平塚食品さんは、初代平塚文四郎が大正9年(1920年)に室蘭市で創業し
今年で100周年ということになり、それを記念した納豆セットを出しました。
現当主の平塚正雄さんが4代目、セットの中には歴代4人の当主の思い入れを込めた4種類の
納豆が入っていますが、今日は2代目の平塚与左衛門さんの思い入れをイメージした「道南登
別納豆」です。
添付された小冊子「豆とともに歩んで百年」によると、この納豆は、
「 二代目与左衛門の時代、近代納豆製法(半澤式)の普及が進んだ
昭和初期をイメ-ジした納豆です。
培養した納豆菌を用い、衛生容器として経木の使用が一般的にな
りました。 」
と、書かれています。
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大豆は北海道産とよまさり種の中粒大豆、100gの1個ものです。
紙の包装の中にさらに経木に包まれています。
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さて、納豆ラベルに「帝大教授半澤博士製法」と書かれていますが、明治時代の後期から
大正時代にかけては納豆製造にとって大転換期だったのかもしれません。
1905年(明治38年)に沢村真博士が納豆菌を発見(バチルス・ナット-・サワムラ)、その
後1916年(大正5年)に半澤洵博士が納豆菌の純粋培養に成功するとともに衛生的で安定
した納豆の製造方法「半澤式納豆製造法」を提唱、今、全国の納豆メ-カ-で作られている
納豆は、みな「半澤式納豆製造法」といえるのかもしれません。
登別市にある道南平塚食品さんは、初代平塚文四郎が大正9年(1920年)に室蘭市で創業し
今年で100周年ということになり、それを記念した納豆セットを出しました。
現当主の平塚正雄さんが4代目、セットの中には歴代4人の当主の思い入れを込めた4種類の
納豆が入っていますが、今日は2代目の平塚与左衛門さんの思い入れをイメージした「道南登
別納豆」です。
添付された小冊子「豆とともに歩んで百年」によると、この納豆は、
「 二代目与左衛門の時代、近代納豆製法(半澤式)の普及が進んだ
昭和初期をイメ-ジした納豆です。
培養した納豆菌を用い、衛生容器として経木の使用が一般的にな
りました。 」
と、書かれています。
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大豆は北海道産とよまさり種の中粒大豆、100gの1個ものです。
紙の包装の中にさらに経木に包まれています。
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さて、納豆ラベルに「帝大教授半澤博士製法」と書かれていますが、明治時代の後期から
大正時代にかけては納豆製造にとって大転換期だったのかもしれません。
1905年(明治38年)に沢村真博士が納豆菌を発見(バチルス・ナット-・サワムラ)、その
後1916年(大正5年)に半澤洵博士が納豆菌の純粋培養に成功するとともに衛生的で安定
した納豆の製造方法「半澤式納豆製造法」を提唱、今、全国の納豆メ-カ-で作られている
納豆は、みな「半澤式納豆製造法」といえるのかもしれません。