越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 中村文則『王国』(3)

2012年02月19日 | 書評

 犯罪というのは、矢田という男に指示されるままに、ホテルの一室にいき、そこにいる男に眠り薬を飲ませて、

 ベッドの上で裸にして自分と一緒にいるところを写真に撮るというものだ。

 有名人や社会的な要人のスキャンダルを捏造するのだが、「わたし」には、犯罪行為の全貌がつかめない。

 その点では、彼女に指示している矢田にしても、ほとんど同じかもしれない。

 舞台は、若干の例外はあるが、ほとんどすべてが夜の池袋のラブホテル街だ。

「わたし」は、池袋に関して、「この街にはまだ盲点が無数にある」という。

(つづく)

 

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書評 中村文則『王国』(2)

2012年02月19日 | 書評

 くしくも中村文則の『王国』の中で最後まで見え隠れするのは、女性原理を象徴する「月」だ。

 男根を連想させる「塔」が『掏摸(スリ)』の象徴的なイメージであったのとは対照的である。

「月の王」ルートヴィヒ二世が夜の世界に生きたように、

 本作の主人公たちも、現代日本の夜の「王国」に生きる。

 すなわち、「善悪を超えた純粋な狂気」の支配する倒錯の世界である。

 語り手の「わたし」は、鹿島ユリカという天涯孤独の女性だ。

 児童養護施設で育ち、唯一の友人ともいえるエリすらも事故で失う。

 また唯一自分の生き甲斐になるかと思えた、エリの遺した翔太という少年も突然、奇病に襲われる。

 「わたし」はそんな「運命」に抵抗したいという気持ちを抱き、

 治療にかかる膨大な費用をひとりでまかなおうとする。それが犯罪の世界に足を踏みいれるきっかけだ。

(つづく) 



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