越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 中村文則『王国』(5)

2012年02月20日 | 書評

 木崎は「わたし」に、ホテルの一室で繰りひろげられているSMショウを見せて、

 マゾヒズムは相手の狂気を引き出し、それをどこまでも要求し、

   それによって相手を支配するのだ、と述べる。

 もし女が食虫花のように受け身で相手を殺すマゾヒズムの原理に徹したら、

 男のサディズムなど刃がたたぬ、とでも言いたいかのように。

 現に、木崎は言う。「サディズムの行き着く先は、殺人による破滅だ」と。

(つづく)

 

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書評 中村文則『王国』(4)

2012年02月20日 | 書評

 昼の権力、警察の目が届かないところがある、そんな闇の「王国」に君臨している男がいる。

 『掏摸』にも登場した木崎という男だ。

 彼は「わたし」とは対極にいる存在で、「わたし」に対する話しぶりから、彼だけが犯罪の全貌をつかんでいるようにも思える。

 「わたし」は、翔太の死が「わたしの人生を不意に深く切った亀裂」だと言い、理不尽な死というものに、

 あるいは「無造作で冷酷な事実」に納得がいかない。

 一方、木崎はこの世界では「幸福よりも不幸のほうが引力が強い」と言い、人が突如死に直面したとき、

 どうして自分が・・・といった不可解な思いを抱きながら死んでいくのを見るのが好きだと言う。

 木崎が不気味なのは、そんな自分のサディズム嗜好を隠そうとしないからだ。 

 なぜ木崎のような倒錯的な「化物」に「わたし」は惹かれてしまうのか。

 親友のエリも、似たような「化物(ばけもの)」に惹かれて身を滅ぼした。

(つづく) 


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