越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 中村文則『王国』(8)

2012年02月22日 | 書評

 紀元後、シリア、パレスティナ、エジプト、

 小アジアあたりから中央・東アジアまでをカヴァーしたその思想は、

 教団としては、いまイラン、イラクのマンダ教を遺すのみとなっているようだが、

 クルト・ルドルフによれば、

 グノーシスに特徴的なのは、

 みずからの救済論を他のオリエントの土着の宗教の中に溶け込ますことをためらわない、

 宗教的なシンクレティズム(混淆)だという。

 木崎の思考の中に奇妙にも溶け込んだグノーシス救済論は、

 「わたし」の次のような言葉につながる。

 「この窒息しそうな世界で、もがいている全ての人達に対して、

 何かできないだろうか・・・翔太のような子供の運命を裏切る、わたしらしい何か」

(つづく)


 

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書評 中村文則『王国』(7)

2012年02月22日 | 書評

 木崎は、SM論のほかに、世界の異端思想にまつわる知識を披露する。

 たとえば、原始キリスト教時代の異端宗教グノーシスの世界観だ。

 木崎によれば、グノーシス主義者たちの考えは、人々が天災や疫病、

 貧困や飢えに苦しむような世界を創った神が完全な神であるはずがない、

 むしろ悪意に満ちた存在であるというものだ。

 彼らは聖書に書かれた神を崇めるのをやめて、

 もっと上位にいるはずの神を崇めねばならぬと考える。

 木崎は「わたし」に言う。

 「この発想は、施設で虐げられている孤児が、周囲の人間達にではなく、

 自分には本当の両親がいるのではないかと希望を抱く構図に似ている」と。

(つづく) 


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