越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 中村文則『王国』(2)

2012年02月19日 | 書評

 くしくも中村文則の『王国』の中で最後まで見え隠れするのは、女性原理を象徴する「月」だ。

 男根を連想させる「塔」が『掏摸(スリ)』の象徴的なイメージであったのとは対照的である。

「月の王」ルートヴィヒ二世が夜の世界に生きたように、

 本作の主人公たちも、現代日本の夜の「王国」に生きる。

 すなわち、「善悪を超えた純粋な狂気」の支配する倒錯の世界である。

 語り手の「わたし」は、鹿島ユリカという天涯孤独の女性だ。

 児童養護施設で育ち、唯一の友人ともいえるエリすらも事故で失う。

 また唯一自分の生き甲斐になるかと思えた、エリの遺した翔太という少年も突然、奇病に襲われる。

 「わたし」はそんな「運命」に抵抗したいという気持ちを抱き、

 治療にかかる膨大な費用をひとりでまかなおうとする。それが犯罪の世界に足を踏みいれるきっかけだ。

(つづく) 



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書評 中村文則『王国』(1)

2012年02月18日 | 書評

「月の王」との邂逅  中村文則『王国』(河出書房新社)

越川芳明

  澁澤龍彦がいみじくも「奇抜な短篇」と呼んだ、アポリネールによる「月の王」という作品がある。

 アポリネールらしき人物がドイツの山岳地帯を放浪し、樅の森をさまよい、

 ある洞窟の中につくられた地下宮殿で、ルートヴィヒ二世と邂逅する、

 不思議な一夜の出来事が語られている。

 澁澤はエッセイの中で、

 アポリネールがバイエルンの狂王ルートヴィヒ二世を「月の王」と呼んだのはルイ太陽王を意識したからにちがいない、と述べる。

 そして、「一方が現世の絶対権力者、他方が夢の世界、夜の世界に生きる王であることは、わざわざ説明するまでもないだろう」と付け加える

(つづく)

 

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ハバナの12月(6)

2012年02月17日 | キューバ紀行

 夕方には、セントロから45分くらい満員のバスに揺られて

 郊外のマリアナオ地区に行き、

 ガビーの「代理娘」(守護霊がオチュン)である若い女性のために、

 ごみで汚れた川のそばでオチュンに雌鳥の血を捧げる儀式をした。

 生け贄にした雌鳥はそのまま川にながして、持ち帰らなかった。


 これが、ほぼ一週間の出来事である。

 はたして、あの「死者たちに捧げるカホン」の夜に、

 サンテロが死者の霊に代わって私に語ってくれたことは、真実なのだろうか。

 ーーー将来にわたって、おまえには金が儲かる仕事が入る。 


 キューバにはこういう諺がある。

 「真実は、嘘つきが語ったものでも、なんとも信じがたいものだ」と。

 真実とか嘘とか、そうした二分法にとらわれるとハムレットのように解決策のない泥沼におちこむ。

 真実であれ嘘であれ、ともかく私はあのサンテロのことばを信じることにして、 

 先祖の霊にろうそくと花を捧げることにした。(了)

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ハバナの12月(5)

2012年02月16日 | キューバ紀行

 その翌日には、朝に家の居間で、遠くスペインにいる「娘」の母からの依頼で、

 娘の守護霊であるオチュン(愛や出産や黄金を司る)に動物の血を捧げる儀式があった。

 若い司祭であるガビーの息子クーキ(二十二歳)も参加して、部屋の一角にゴザを敷き、

 オルンミラという占いの盆でひと通りイファの占いをおこなってから、雄鶏3羽と雌鳥1羽を生け贄にした。

 それらの血をオチュンのカスエラ(容器)に捧げ、その後、カスエラの上に大皿を乗せ、

 パンとカカリヤと呼ばれる白い粉をまぶしたパンを添え、ろうそくを灯して1週間ほどオチュンに祈りを捧げるのである。

 (つづく)


 

 


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ハバナの12月(4)

2012年02月15日 | キューバ紀行

 翌日の夕方には「死者たちに捧げるカホン」の憑依儀式があった。

 打楽器のカホンや鉦の音、ラム酒や葉巻に誘発されて、神がかりになる人が続出した。

 儀式の最後のほうで、儀式をとりしきっていたサンテロ(司祭)彼自身が死者の霊に取り憑かれている様子で、

 いきなり私を中央に引きずりだした。

 皆が取り囲むなかで、私のめがねを乱暴にはずし、死者たちの口伝をほどこした。

 現在の仕事のほかにもう一つ仕事をやっているか、と訊く。私のマドリーノのブランカが必死で通訳する。

 ろれつがまわらないので、通訳が必ず必要になるのだ。

 シ、シ、シ(はい、はい、はい)。

 私も慌ててそう応じると、現在か将来においてそうとう金が儲かるという。

 そのためにも、亡くなった祖父のために花やろうそくや線香を捧げる必要がある、とサンテロは付け加えた。

(つづく)


 

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ハバナの12月(3)

2012年02月14日 | キューバ紀行

 だが、玄関から入った突きあたりの壁に、死者の霊に捧げる「ボベダ・エスピツアル(精霊ボベダ)」が飾られていた。

 小さなテーブルの奥の方に、赤い服をまとった黒人の人形が鎮座しており、葉巻が添えられている。

 面白いのは、宗教的な混淆をしめすかのように、中央の聖水の入ったコップの中には、磔のイエスの十字架が入っている。

 その他の聖水入りのコップにはバラの花が入っている。

 中央の大きな花瓶には、薄いピンク色のグラジオラス、小さいひまわり、香りのよい白いアスセナ、緑のアルバカ、紅色のバラなど、色とりどりの花が飾られていた。

 壁に飾られたアレカと呼ばれる扇状の葉や、セドルの小枝と葉が鮮やかな緑の森を演出していた。

(つづく)

 



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ハバナの12月(2)

2012年02月13日 | キューバ紀行

 

 12月4日(土)が聖女バルバラの日であることもあり、その週末には行事が相ついだ。

 カトリックの聖女バルバラは「ルクミ」のオリチャ(守護霊)の一人である雷・火・太鼓などを司る「チャンゴ」と習合している。

 守護霊が「聖女バルバラ(チャンゴ)」であるガビーの腹違いの妹イリス・カリダーの家で、夜遅くまでフィエスタがあった。

 そこは対岸の街レグラやカサブランカへ向かうフェリの渡しがあるハバナ湾のちかくにある集合住宅。

 黒木和夫監督の映画『キューバの恋人』(1969年)で、若い頃の津川雅彦がハバナの街で引っかけた(と思った)女性を訪ねていくアパートによく似ていた。

 四階の部屋の入口に立っていると、洗濯物が干してある中央の吹き抜けの部分を、テレビの音や、

 誰かが人を呼ぶ声などにまじって、他の部屋で行なわれているタンボールの演奏や歌声が、

 まるで火山の噴火のように勢いよく下から突きあげてくるのだった。

 フィエスタの前に、チャンゴに捧げるタンボール(太鼓)の儀式があるという。

 ガビーの妹の知り合いの家に行ってみると、演奏はバタと呼ばれるルクミの儀式のための太鼓ではなく、

 カホン(木製の打楽器)と、へちまのような形のグラと、鉦だった。

 オリエンテ(キューバ東部)のやり方だという。

(つづく)


 

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ハバナの12月(1)

2012年02月12日 | キューバ紀行

 昨年の12月に新井高子が主宰する季刊雑誌『ミて』(第117号)に寄せたエッセイです。

「死者のいる風景(番外編)——−ハバナの12月」 越川芳明

  キューバのハバナに来てまだ2週間だが、12月は黒人信仰「ルクミ」(サンテリアとも呼ばれる)の儀式がそこかしこである。

 儀式といっても、キリスト教みたいにどこか決まった教会や礼拝堂でやるわけではない。民家の中でプライベートにおこなうので、伝手(つて)がないと入れない。

 私が泊まっているのは、ニューヨーク・シティのロア・イースト・サイドみたいに、道路はごみだらけで人でごった返すハバナの下町で「セントロ」と呼ばれる地区だ。

 カサ・パルティクラルと呼ばれる下宿を経営しているのはブランカという中年の白人女性で、夫のガブリエル(愛称ガビー)は「ルクミ」の司祭(ババラオ)だ。

 二年前の夏に「マノ・デ・オルーラ」という入門の儀式をおこなって、擬制の親子関係を結んだ。ガビーは私より二十歳ちかく年下だが、私の「パドリーノ(代理父)」である。

 私にとっては、まるで私塾に寝泊まりしているようなものだ。分からないところがあれば、すぐに「師匠」に訊くことができる。家で儀式があるときは、身近で見ることができる。

 夜遅くハバナに到着した日に直接訪ねていき、泊めてもらった。お土産の白いアディダスのスニーカーを渡して談笑していると、パドリーノが言った。

 「あさって、マノ・デ・オルーラがある。三日目のイファ占いだけど」

 ということは、きょう動物の生贄(マタンサ)の儀式をおこなっていたわけだ。何を屠ったのか訊くと−−−−

 「雄鶏を8羽」という返事だった。

(つづく)

 

 

 
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昨夜帰国。

2012年02月11日 | キューバ紀行

昨日、キューバから帰国しました。

昨年末に、ビザが失効。なんども事務所を訪れましたが、ビザの申請が遅々として進まず。

1ヶ月以上「不法滞在」に似たような状態になっていました。

はたして2月9日に出発できるかどうか、全然分からなく不安の日々を過ごしました。

が、ついに前日にビザがでて、キューバを出発することができました。

キューバのひどい官僚制を経験したこの件の詳細にかんしては、いずれエッセイか小説のかたちで書くつもりです。

 

 

 

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