のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

新年はウインナワルツ胸躍る

2017年01月10日 08時43分21秒 | うたごえ

昨日の夕方から 突然Gooブログがおかしくなり何を試しても 自分のブログが開かない

何か外部から変なウイルスでも入り込んだと思うほど どうやっても開かない

パソコンの修復プログラムでも試すが これも出来ない ああどうしよう

 

2.3時間いろいろやってもだめで 疲れて寝ることにした

今朝 おそるおそる開けたら ブログの開くスピードは遅いが何とか開いてほっとした

しかし 自分へのコメントがまだ開かない ずっと待っても開かない

 

これはGooブログの方に原因がある ようやく分かって他の方たちのブログを見た

同じ書き込みがあってホッとしたと同時に Gooの対応にいささか怒りを覚える

もしかしたらGooの方かと 昨夕はサイトのトップページを見たが何も書いてなかったのだ

 

 

それはさておき 気分を良くするために 昨日テレビ録画を見たこと・・・・

毎年1月1日 ウイーンで行われるニューイヤーコンサートが中継されるのが楽しみだ

現地からの中継だが クラシックは音量に高低があり 夜聴くにはマンションに気を遣う

 

 

それで録画しておき 昼間多少大きくして聴く

あの豪華な学友教会のホールで演奏されるウインナワルツ 軽快で心も躍る

一度も行ったことの無い西欧 憧れの音楽の都ウイーン そのコンサートが聴けるのだ

 

 

最後のアンコール曲は決まって ラデッキー行進曲 聴衆と共に手拍子が入る

これはコンサートでも難しいが ここで入るのだよと指揮者が身振りで教える

聴衆は楽しそうに手拍子を入れる 私も心の中で手拍子に加わる 楽しい時間だった

 

 

今日からは また3日間の予定が続く

今日と明日は 介護施設の音楽訪問 皆さんが楽しそうに待ち そして歌う

そして3日目は下町のうたごえ 本所地域プラザでの今年初のうたごえである

 

     最後までお読みくだ-さいまして有難うございました m(_ _)m

 

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家宝あり七福神の祝い絵図

2017年01月09日 09時09分50秒 | うたごえ

我が家に掛け軸が一軸ある

正月にはふさわしい七福神の絵だ

父の残した唯一の遺産(笑) 価値はそんなにない 手入も悪く一部傷もある

 

 

我が家は どん底 極貧の戦後を生きたが 明治のころの家系は良く多分恵まれていた

祖父の代から昭和の初期に至るまで 掛け軸など多数蒐集していたようである

江戸時代は現在では遠く感じるが 当時は明治に変わって そんなに時期がたっていない

 

戦後すぐ 信州の山奥に開墾をしながら 電気もガスも水道もないところに住んだ

食べ物にも困窮して わずかに持ってきた掛け軸も母の多くの着物も 食糧に消えて行く

そして 父も気に入っている この七福神の掛け軸を手放そうとした時に祖父が夢枕に立ったそうだ

 

これだけは手放すな こう言われて 以後 どんなに貧しくても大切にしてきた

父は正月になるとこの掛け軸を飾っていたのを思い出す

画は狩野派の誰かが書いたことは間違いない

 

 

画風も確かに 似たようなものが美術館に飾られてる

しかし そんなに有名な作家では無かろう

狩野派は室町時代から江戸時代まで 時の将軍にも重宝され 江戸城の襖絵なども描く

 

ただ江戸時代になると およそ300人くらいの絵師が居て 系図だけでもかなりの数だ

祖父か父か定かではないが 少しでも有名な人の作である様に 肝心の落款を消してしまった

現在の技術なら消した後も レントゲンその他で浮かび上がることも可能だろう

 

しかし消したと言うことは それほど有名な画家では無いことが分かる

江戸以前の作品であることは分かる 祖父の代は江戸時代 血筋は良い家系だ

数年前 東大近くの本郷の美術商に無料鑑定してもらった

 

江戸後期の作品であることは間違いないと言う

1万円なら引き取りますよと言われた

表層も悪く傷もある これを飾るにふさわしいまでに修復するとして 30万円くらの価値なのだろう

 

我が狭いマンションに飾る場所も無く 隅っこに無造作に置いてある

とても私の後に残す代物では無い いつか欲しい方に譲った方が価値がありそうだ

もう一つ 小さな仏像がある 高さ17センチの像 何の仏か分からない

 

 

これは父が鉄くずを拾い集めて生活の足しにした頃 隅田川から拾い上げた

浅草の観音様の様だねと私が笑ったことがあるが そんなに威厳が無い

これも売るには忍びなかったようで そのまま 現在は母たちの写真のそばに置いてある

 

 

片足のつま先部分が 何かの災害で焼けたのか完全でなく焼け欠けている

これも簡単には処分できないからそのままだが いずれ断捨離の一部になろう

本当は この他に美人画の掛け軸が2軸あったが これはボロボロにしてしまい棄てた

 

 

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東大に触れて逍遥学の道

2017年01月08日 09時28分19秒 | うたごえ

湯島の天神様 菅原道真を祀る学問の神様である

正月が開けると 学生たちはセンター試験が全国一斉に行われ猛勉強に突入する

志望校に入れるか これによって人生が大きく変わることには変わらない

 

中国でも昔 学校ではないが採用試験として 科挙 が行われていた

1300年も前に有った制度で 官僚の登用試験である

これが素晴らしいのは 貧富の差が無く受験できることであった

 

日本のことわざのように 中国にも数々の教訓や詩がありものの考え方や生き方を教える

私の好きな言葉に 日本語にすれば 『人間死ぬまで勉強だ』 まさしくそう思う

中国語で言うと 『活到老 学到老』 老いるまで生きる 老いるまで勉強する意味だ

 

東大病院

 

55歳頃になって 中国語を学びたいと思った 英語は難しいし 漢字があるだけ入り易い

そんな単純では無かったけれど 参考書を何冊も買って 部屋やトイレや風呂にも置いた

まずは単語を覚えること 本も読むが街を歩けば目に見えるものや看板を単語に置きかる

 

ラジオの講座もたまに聴いたが 深夜などで勤めている関係からそんなに聴けない

発音が難しい 4声と言って しゃべる時の発音が語尾を上げたり下げたりが分からない

参考書に発音はカタカナのルビがあって これが何とか着いて行ける

 

もっと良いのはやはり英語の発音記号が付いていて こちらの方が良さそうだが綿には不能

どうやら本当の初歩の会話くらい出来たか その判定に会話検定に行って見た

準4級 旅行会話やあいさつ程度 これは難なくパスすることが出来た

 

東京大学龍岡門への道

 

もう少し続けてみよう 更に勉強を続けた 

会社の同僚も 英語なら素晴らしいねと言うが中国語を勉強すると言ったら反応は無い

むしろ物好きだね と馬鹿にされかねない様子である

 

次の会話検定は4級である これは出題が中国語で出される

この意味が分からないと 回答が出来ない 自分にはかなり難しかったが合格が出来た

以後 取っては見たが使う場面が無く ここで終わり 現在ではみんな忘れた 都忘了!

 

東大の赤門 下は校内側からみた赤門

 

学問の神様から横道にそれたが それこそ足を延ばして 東大構内に行く

ここは日本の最高学府 少しこの秘められた力に触れ 自分を引き締めたいと思った

東大病院が古い建物で現存する 他の学内の建物もレンガ造りなど古く威容を保っている

 

安田講堂

 

坪内逍遥もここの卒業であり 政治や学者など多くの有名人もここで学んだ

私の甥も東大卒ではないが医学博士 妻が東大医学部卒で同じく医学博士である

遺伝子研究で留学したり 医学の役に立つことで どこかに寄与しているだろう

 

三四郎池

江戸時代 ここは加賀大聖寺藩上屋敷であった

ベルツ博士などの胸像

 

3日の日に行ったので まだ人影もまばら 静かな校内を それこそ 逍遥 する

三四郎池 安田講堂 何度も訪れたが ここへ行くと何か心が引き締まる

普段は決して褒められない ずぼらな生活と性格の私に たまには良い場所だ

 

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おめでとう笑顔若やぐ歌い初め

2017年01月07日 08時44分23秒 | うたごえ

やっぱり良いなぁ 下町のうたごえ 歌の好きな方たちが集まること その笑顔に会えること

初めての方もお見えだが 会った瞬間に笑顔がパッと咲く これが胸が弾む

グランドピアノに向かう 10日も練習できずに本番 と言ってもピアノが家に無いので練習は出来ない

 

始まるまでの間 これが練習である やはり指が少しぎごちない

その上に眼の焦点が少し合わない 小さい音符の楽譜が見えずらい

ちょっと不安があったが とにかくスタートした

 

 

短い最初の挨拶 一昨日の火事の話をした 皆さんびっくりされていた

同じ棟の階下の出火だ 幸い住民は室内は全焼だが無事らしい これからの生活が心配だ

その話もとにかく 火事の教訓 煙についてちょっと紹介して覚えておくように話す

 

私はほんの数分 下から湧き上がる煙を吸ってしまった

あっという間に喉を痛めた これが酷いと吸気器障害は良く火事のニュースで聴く

昨日の朝まで風邪の時のように喉が痛かった 皆さんも煙にはもしもの時 絶対気を付けるように

 

新年を迎えて 菜に新しいものに挑戦していく方 居られませんか

私は鹿児島のFM銀河の縁で 川柳を昨年から始めたのですよ へぇーと感心している

この歳ではもう なんて方も居ますね この歳だから更に意欲を燃やして何かに挑戦して下さい

 

遠くへ行きたい 思えば私はこれが弾きたいと 足踏みオルガンで挑戦した いわば教科書です

30代後半のことです 何とか右左弾けるようになったのは 半年もかかりましたが それで今があります

決して諦めてはいけません 最初はみんな素人 かくいう私もまだ素人の域のピアノではある

 

うたごえを進めていてトークをしていると 痛みが遠のいていた

いつもの迷解説で時折笑いを誘ったり シーンとさせてしまったり これがのびたワールド

独学の30過ぎに覚えたピアノの素人の腕は トークの世界で補充して楽しかったと言って貰う

 

 

ふるさと 100年以上歌われ 赤とんぼ とともに国民的愛唱歌の抜きんじてトップの歌でもある

思い出すのは北朝鮮拉致被害者の一人 曾我ひとみさん 今は佐渡で暮らしている方である

拉致されて永い間 北朝鮮での辛い生活 その中で故郷を想いだしては心の中で歌っていたと言う

 

もちろん日本語も禁じられている拉致生活である

帰国してしばらく経ち 当時の同級生が曾我さんを囲んで励ます集いをした

そして歌ったのが この歌 ふるさと である 彼女は感涙して泣きながら歌ったと言う

 

ある日 私は羽田空港で 同じく娘さんを北朝鮮に拉致された めぐみさんの両親に会った

見かけたと言う方が正しい その横田夫妻の後ろ姿の何と寂しげに見えたことか

本来なら 孫たちを交えて幸せな人生を送っていた方である

 

来週火曜日まで その横田めぐみさんの写真展が新宿高島屋で行われていると聴いた

もうかなりの高齢である めぐさんは死亡されたと北朝鮮からは報告されていたが信頼は出来ない国だ

他の拉致被害者と共に 活きているうちに日本へ帰国させたいものだ こんな話も皆さんの前でした

 

夕陽の丘 石原裕次郎さんと浅丘ルリ子さんのデュエット この歌を歌うと胸がきゅんとしましたね

その浅丘ルリ子さん 今でいうオーディションで選ばれた国民的美少女だったのです

デビュー作 緑はるかなり は総天然色と宣伝文句にありました

 

カルメン故郷に帰る と同時頃 日本では初めての 総天然色・・・・初めて見るカラー映画でした

今では当たり前だ 最近では白黒映画を観ると妙に郷愁に感じたものがある

先日 テレビで チャップリンの ライムライトを観たが 少し哀しい落ちぶれた芸人の恋でした

 

  

 

こんなトークを加えたりして 皆さんがたのしかったわと帰って行く

先生 いつまでも若くて元気ね こんなことも言う 皆さんに元気を貰っているのですよ~

昨日も82名の参加者だった 亀戸文化センターは今日から工事に入る 来週12日から本所での開催だ

 

昨日は歌い初め いっぱい写真も撮ろうと思ってカメラの充電もして持って行った

だが なんとコンデジのメモリーカードが入っていない パソコンに刺したままだった

ああ写真無し 心は若いが脳が劣化し始めている! これ以上ボケないように頭を使おう!

 

 

昨日のリクエスト 30曲

 

一月一日 冬の夜 冬の星座 早春賦 月の沙漠 もずが枯れ木で 夢路より ふるさと

花  夕陽の丘 あざみの歌 切手の無いおくりもの 山のロザリア 下町の太陽

雪の降る街を 高原の旅愁 坊がつる賛歌 365歩のマーチ 南国土佐をあとにして

 

芭蕉布 緑の地平線 津軽の花 惜別の歌 真白き富士の根 岸壁の母

忘れな草をあなたに 真夜中のギター 港町十三番地 人生いろいろ 今日の日はさようなら

 

 

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悲喜こもごも秘めて乗り超え情深く

2017年01月06日 10時29分59秒 | うたごえ

FM銀河のタイトルが 劇場の幕のように画面に映し出されている

いきなり録画のスタジオ放送が開始された わらべ歌が先に流れてきた

♪ホンホンしょうがつ~心地良い数え歌のようなメロディと歌詞 そこには私たちの郷愁があった

 

 

いつものパーソナリティの方が素敵な着物姿である スタジオ内に花が咲いたようだ

この方たちがオープニングにそのわらべうたを歌っていたのだ 心憎い演出である

でもそれぞれの忘れられない過去を語り出すと 涙がぽろぽろ溢れ泣かされた 

 

正月早々 こんなに泣かすなよ ブログに書き始めた今でも涙が出そうだ

上床さんの哀しい話は いのち に触れる過去であり 秘めて乗り超えた今がある

誰にでも波乱万丈の悲喜こもごもがあるが いのち だけは切なくて哀しいものだ

 

妊娠 それはそろそろ出産の時期 いつものように検診に行く 胎児の順調な心音があった

自宅に帰ってきていきなり異常事態が発生した 大量の出血である 助産婦でもある姉にも電話した

救急車で病院に連れ込まれた やがて医師の診断は 思いもかけない言葉が伝えられる

 

お子さんは助かる可能性は99%無い 但し1%の可能性に掛けて手術をしてみよう

あまりにも残酷な現実が迫る その頃は姉やご主人も駆けつけてきた

気が動転している暇はない その準備をしている時 何のことか自然分娩が始まり出産した

 

泣き声も起こらない 静かな冷酷な時間 何が起きたか分からない

やがて みんながゆっくり休んでねと声をかける これ以上に言葉がなかっただろう

医師が言う せめて顔を見てあげてください 可愛い女の子ですよ

 

むごいことである 10カ月のいのちは 声も出さずに終わった

小さい遺体 どんなにか哀しく厳しい現実だったろうか

時にはお腹の中では動いていた我が子である ごめんねと泣きながら声をかけた

 

せめて あの世では幸せに生きて欲しい 名前は 幸子 と命名した

私も聴いていて涙が止まらない 幸子ちゃん お母さんを見守ってね と心から祈る

月命日を祈る 命日も 何十年経っても それは忘れられない いのち であろう

 

今の世は 自分が産んでも邪魔だと捨てたり 虐待する母親を良く聞く

子どもが可哀想で仕方がない 子どもは親を選べないのだ

大人たちも簡単に人を傷つけたり殺したりする事件が絶えない いのちは地球より重いとは遠い

 

 

3人のパーソナリティの方の想い出を綴り それを違う方が代読する

読んでいる方も本人も 涙を流し続ける このような事はかなり聴く

cihidoriさんも お子様を一週間のいのちで亡くされていた 

 

今は明るく振る舞っているが 心のうちは哀しみを秘めていることをブログで知る

私の母は3歳で亡くなった姉のこと ただ一回も私たちには話さなかった

昔は幼児の生存率が低かったから そんなことは話せない環境もそうさせたのかも知れない

 

私の子ども 長男と長女の二人だが その間にこの世で見なかった いのち があった

4カ月で流産である 胎児の姿も見ないままの わずかな時間を生きていた

旅先で 水子地蔵を見ると 多くの哀しみが そこにある

 

エプロンであったり 悲しい音を立てる風車が廻ったりしていた

手向けるお線香が あの世とこの世を結び付ける

いのちと平仮名で書くと生きていること 漢字で命と書くと これは主に亡くなったものと言う

 

向井さんの話された神話のこと イザナギ イザナミの話も興味が尽きないが長くなってしまい書けない

ここにも 生命の誕生 亡くなった人への想いなど 命にかかわる話が秘められている

神武天皇以前の歴史は 神話の時代であり 神秘的な現実が宮崎 信州 など各地に残る

 

cihidoriさんの よい子の家 転地して鹿児島に行き 保育園を誕生させた活動

うたごえの活動に携わった期間 コーラス団体の指導 民生委員の仕事 淡々と語るがその努力は尊い

一週間のいのちの我が子のこと 胸に秘めて明るく振る舞う背景に生きている

 

前迫さんの故郷 大隅半島での祖父時代からの茶畑 開墾の話が私に共通する

藁屋根の家 ランプでの生活 水は井戸水 スカンポやイタドリを食べ ウサギもタヌキも食糧になった

いろりを囲んで ソバガキを食べながら祖父が話をする どこか唱歌の 冬の夜 を思い出す

 

私の同じ時代 食べるものも無く やせ細ってお腹だけが膨らんでいたと言う

親父が出稼ぎに出るたび 私とはもう会えないだろうと言っていたくらいだ

それでも こうして生き残り 皆さんと楽しい時を過ごす 命を大切に その有難さを感謝する日々である

 

ここからは余談 昨夜の私のマンションの火事 夕方 下の階が燃えた

度が燃えているか確認のために廊下に出たら 煙がもうもうと上がってくる

外へ出ればとエレベーター脇の階段へ向かったら ここも煙で視界が分からないほどだ

 

もっと火災が拡がれば 地上へ逃げられないことを身を持って悟った

この煙で喉を痛めた 風邪でせき込んだ時のように 喉が痛くイガイガ感がある

火事の煙で呼吸器がやられる話を痛感する 寝るまで取れなかった

 

今朝になって ようやくイガイガ感は無くなったが 風邪の時の喉の痛み それと同じように痛い

しかし それを言っている場合では無い 他人のことが心配するのは 自分が何も無かったからだ

まだ現場を見ていない 下の住民は無事だったのか 家が焼けてしまって 今後どうするのだろう

 

ようやく朝になってそんなことを思うなんてと反省をする

焼け出された人のこと それに想いを遣るのが人としての生き方であろう

これから下町のうたごえ 私を待っている方が大勢集まる みんな歌が好き 人情の深い方たちでもある

 

てんがらもんラジオ 録画風景を見られます 下のアドレスをクリックして下さい

http://www.ustream.tv/recorded/98637765

 

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