小堀遠州作事と伝えられる
…歴史と伝説の合間…の『Title』に興味を覚え≪名勝大乗院≫へ向かう…此処へ来る前に、
年会館で
OSK歌劇団の『真田幸村紅蓮の奏乱』催しを楽しんでおり、終ると同時にこちらに向かったが
講義は既に始まって居た なぜ
この館で行うのか
少々疑問点も在ったが、当該
人物は所謂『作事』で
元々近江に生まれ父は当時の羽柴秀吉の家来だった
そんな経過から弟の秀長の家老となり、揃って大和郡山へ
移り住む 父の奨めもあり大徳寺の『春屋宗園』に参禅する
古田織部に茶の湯を学び始める
歳の時
小堀遠州作事奉行
駿府城作事奉行になり修築の功により従五位下遠江守に
この時、通称名『遠州』を名乗る
話しによると本職は作事乍ら茶道・華道・庭園と幅広く手掛けどれも本職と言える『Totalart派』だった
当時としては非常に珍しい存在だったよお~だ
その後、名古屋城天守作事奉行に大阪夏の陣で、家康の旗本に属す~
38歳の時、伏見城本丸・書院作事奉行に 以降大阪城天守・本丸作事奉行へ
仙洞御所・女院御所作事奉行へ 最終は三代将軍・徳川家光の茶の湯指南役に登り詰め
歳に伏見奉行屋敷にて没する
今回≪作事奉行≫と言う固有名詞の存在やら~有名庭園に関わった功績を知る機会を得る