ローズオニールのおいたち
「キューピー」の生みの親はローズオニールという名の美しい女性天才アーティストです。1874年6月25日、アメリカのペンシルバニア州で誕生したローズオニールは、幼い頃から驚くべき芸術の才能を示しました。社会に出た後も若くしてイラストレーターとして自活し、20才から30才前半には人気イラストレーターとして活躍しました。また、芸術絵画・彫刻・小説・詩なども多才に発表し、アーティストとしての地位を築きました。そして1909年、世界的な素晴らしいキャラクターを誕生させることになります。
キューピー誕生
ロ-ズオニールは、2度の結婚をしています。しかし結婚は必ずしもローズを幸せにはしませんでした。2度の離婚に傷ついたローズは、活躍していたニューヨークから両親やきょうだいの住むミズーリ州のボニーブルックにもどってきました。広大な自然の中で深いインスピレーションをえたローズオニールは、1909年永遠の偉大なキャラクター、キューピーを誕生させました。キューピーが最初に発表されたのは、アメリカの婦人雑誌「レディースホームジャーナル」誌12月号でした。それはローズオニールから、世界の子供たちと子供のような無垢な心をもった大人たちへ贈る、愛のクリスマスプレゼントだといえるでしょう。
発表当時のキューピーは、ほっそりしていましたが、2~3年たつとコロコロと丸味のある現代のイメージの完成されたキューピーキャラクターをつくりあげました。
『キューピーの名前の由来』
キューピーKEWPIEという名を創作したのもローズオニールです。「ローマ神話に登場するキューピッドCUPIDは、人々のこころにいたずらをするけれど、わたしのキューピーには愛だけをはこんでほしい…」という願いで、KEWPIEという名前を考えだしました。
キューピッシュラブあふれる キューピー物語
キューピーたちは、物語と共にこの世にデビューしました。物語の作者もローズオニール自身です。キューピーたちの活躍する数多くの物語のどれもが、キューピーらしい愛“キューピッシュ・ラブ” にあふれた物語です。キューピーたちの精神は、いつも「いいことを、たのしんでする」こと。物語に登場するキューピーたちのしぐさのひとつひとつが実に自由自在に描かれ、見ているだけでキューピーの世界に引き込まれます。ローズオニールが表現したキューピッシュ・ラブにあふれる世界。それは人々が永遠に求め続ける理想の世界といえるでしょう。
キューピー人形の誕生
雑誌に発表されたキューピーはたちまち大人気となり、ローズオニールのもとには子供たちから「お人形がほしい」という手紙が山のように届けられました。そして1913年ついに彫刻にも非凡な才能をもつローズオニールによってビスクのキューピー人形が誕生しました。
キューピー人形誕生へのローズオニールの熱い思いは、キューピー人形のパッケージの上に書かれているローズオニールの詩によく表れています。キューピーのイラストと詩で構成された絵本のようなこのパッケージラベルは、イラストはもちろんデザインも詩もローズオニールによるものです。詩は、次のように語りかけています。
『なぜ、そんなに急いでいるのか、聞きたい?
わたしたちは、人形になるためにでかけるの。
子供たちは、キューピーを待っているの。
だから一番いい方法は、人形になって子供たちのところに行って、いっしょにあそぶこと。
キューピー人形はキューピーからはなれたくないかもね。
でも空を飛びながら覚えたキューピーの微笑みを、毎日みんなにあげてね。
ひとつひとつの微笑みがローズオニールのキューピッシュラブを伝えてくれるように。』
ローズオニールのキューピー人形製作過程で幾つかのエピソードが残っています。キューピー人形は、当時人形の生産が盛んであったドイツで製造されることになりました。工場から最初におくられてきた人形の原型は、あまりにもローズのイメージとはかけ離れていたためローズは自らドイツに行き、しばらくドイツに留まり9種のサイズの原型をつくりあげました。これらの原型が全てのキューピー人形の基本となりました。また、あるドイツ工場を訪れたおり、一番小さな安価なキューピーが職人たちによって雑に扱われているのを目にし、「この一番小さな安いキューピーを買うのは、貧しい子供たち。だからこそ、大きなキューピーにまけないぐらい心をこめてつくってください」これを聞いた職人たちは大変感動し、その後は小さなキューピーもていねいに製造したということです。
ローズオニールの手と愛から誕生したキューピー人形は、キューピーブームにさらに拍車をかけ、アメリカ中を大キューピーブームにしました。
初めての 世界的キャラクターブーム
キューピー人形の第1号は、日本でもおなじみのキューピーポーズ、パッと手を広げてたっているスタンディングキューピーでした。ひきつづき、アクションキューピーと呼ばれる様々なポーズのキューピー人形が登場しました。幼児のなにげない無垢なしぐさや、自然なポーズのエッセンスをとらえたこれらのキューピーたちに人々は夢中になり、アメリカではキューピークレイズ(キューピー狂)時代とまで呼ばれる大ブームを巻き起こしました。人形だけでなく、食器・時計・文具・石鹸・おもちゃなど、ありとあらゆる物にキューピーが登場しました。また広告にも活躍、アイスクリームやゼリーなどお菓子をはじめ石鹸などの広告にも採用されました。このブームは、ヨーロッパをはじめ世界中に広がり、地球の裏側の日本にも広がっていきました。
日本に初めてキューピーが登場したのは大正4年頃(1915年)と考えられます。海を渡ってきたキューピーは、大ブームを起こし、土製やセルロイド製のキューピー人形をはじめ絵はがき、本、手芸、おもちゃなどにキューピーが登場しました。戦前・戦後をとおして何世代にもわたり日本で愛されつづけてきたキューピー。1990年代後半からは、作者ローズオニールとキューピーのお話などが日本でも本格的に紹介されはじめ、偉大なキャラクター、キューピーの魅力が再認識されています。
テーマパークのはじまり キューピーヴィレ
テーマパークと言えばディズニーランドが有名です。ディズニーランドがアメリカに初めて誕生したのは1955年のことです。キューピーの世界では、1925年、ディズニーランドのなんと30年も前にキューピーランド(キューピーヴィレ)が、雑誌に登場しています。キューピーたちの住むキューピーヴィレには、現代のテーマパークの重要な要素が登場しています。シンボルであるお城、お客様を迎えるゲート、ショッピング街、ファンタジックなのりもの、パレード、ホテル…。ローズオニールが構想し、誌上に展開したキューピーヴィレは、現代のテーマパークの原型を確立しています。
世界的キャラクタ-抱き人形のはじまり
ビスクキューピーの次に登場したのは、だっこできるソフトな布製のキューピー人形。カドルキューピーです。顔はシルクの布に、目・鼻・口がシンプルに描かれ、体はシルクやコットンで作られています。手足は、一本の大きな棒のように単純化され、かすかに指や足首はふくらみをもっています。カドルキューピーは雑誌や新聞でも大きくとりあげられました。世界的なキャラクター抱き人形のはじまりとなったカドルキューピーはその後の布製人形に大きな影響をあたえました。
キャラクター丸論のはじまり
「キャラクターは丸で構成される」ことを世界で初めて実証したのもローズオニールです。1936年「キューピーヴィレのスクートルズ」誌の中で、キューピーが丸から誕生することを実際に絵にかいて実証しています。明快な顔のりんかく、小さな丸点の鼻、点のようなまゆ、一本の曲線で描かれた口。キャラクターの基本である丸と単純化されたライン。20世紀の後期から世界中を巻き込んだキャラクターの原型を、ローズオニールが形作っていたといえるでしょう。
キユーピー株式会社(読みはきゅーぴー、英語表記はQ.P. Corporation)は1919年に設立されたマヨネーズなどの調味料を主力としている食品メーカーで、キユーピー・アヲハタグループを形成している。
概要
母体は現在の中島董商店で、創立者の中島董一郎が若い頃のアメリカ留学時代にマヨネーズと出会い、1919年、東京都中野区小滝町に食品工業(株)を設立。1925年3月に国産初のマヨネーズ(キユーピーマヨネーズ)の製造を開始、1957年に社名を「キユーピー株式会社」に変更。 現在でも母体の中島董商店がキユーピー・アヲハタグループの中核となっている。
有名なマヨネーズのほかにも様々な食品、調味料、業務用製品も手がけている。食品流通トップのキユーソー流通システムはキユーピーから独立した会社。
社名と商標
社名・商標は小字を用いず「キューピー」ではなく、「キユーピー」である。
この理由について、キユーピー側では、デザイン上の理由であるとしている(同様の例としてキヤノン、シヤチハタ、富士フイルムなどがある)。 国語国字改革前の創業の会社には歴史的仮名遣で拗音を小書きにしない会社もいくつかある。
ロゴマークの由来はキューピーちゃん人形であるが、背中に羽根がないところがオリジナルのものと異なる。
キユーピーの社名は「Q.P.」と綴るが、製品のマヨネーズに印字される文字は常にキューピー人形と同じ「KEWPIE」である(公式のドメインもkewpie.co.jpである)。瓶入りマヨネーズなどごく一部の製品にこの文字が印字されている。
キユーピーのマークは1922年に日本で、1965年にアメリカで商標登録を行っている。
企業キャッチフレーズは「Food, for ages 0-100」。
上記コピーについては、一部で「100歳以上お断り」と誤解されることがある。
1998年、ローズ・オニール遺産財団からキューピーの日本での著作権を譲り受けた「日本キューピークラブ」の代表が、キユーピーマヨネーズのロゴマークは著作権侵害に当たると裁判を起こしたが、原告の請求は棄却された。
東京都世田谷区に「キューピータクシー」という社名のタクシー会社があったがキユーピー本社が商標使用で訴えた為、2000年3月1日付けで「ビゲスト」(Biguest=BigとGuestの合体語)に社名を変更した。
沿革
1919年11月 現在の中島董商店が中心となり食品工業株式会社設立。
1925年3月 食品工業株式会社 マヨネーズの製造開始。
1957年9月 食品工業株式会社、キユーピー株式会社と社名変更。
1966年2月 キユーピーの倉庫部門が分離・独立し、「キユーピー倉庫株式会社(現キユーソー流通システム)」として設立。
1968年3月 本社新社屋、渋谷に竣工。
1972年12月 キユーピー株式会社、中島董商店の販売部門を継承。
その他
キユーピーマヨネーズの広告に関しては、ライトパブリシティの秋山晶と細谷巌らが40年以上一貫したトーン&マナーでクオリティの高い作品を制作している。
2004年秋に放送を開始した「キユーピー あえるパスタソース たらこ」のCMは、たらこの格好で行列行進するキユーピーちゃん人形CM(通称:たらこキユーピー)・たらこを連呼するCMソング(『たらこ・たらこ・たらこ』、唄:増山加弥乃(AKB48)→キグルミ)という内容で、各方面に大きな衝撃を与えた。このCMを制作したのはCM監督の加藤良1。
たらこキユーピーはキモかわいいとして人気を集め(これに対し加藤良1は2006年11月6日付の日本経済新聞朝刊のインタビューで「僕にはかわいいとしか思えない。感覚がずれているのかなあ」と語っている)、CMで本来宣伝するはずだった「あえるパスタソース」よりも有名になった。キユーピー社内では本来、たらこキユーピーのキャラクター商品を販売する予定はなかったが、関係者らに配布した携帯ストラップが評判になったため、商品化に踏み切った。
2006年にはロックバンドthe brilliant greenのボーカルの川瀬智子のソロプロジェクト「Tommy heavenly6」がリリースしたシングル「I'm GONNA SCREAM+」のPVで、たらこキユーピーがゲスト出演している。
新聞広告
キユーピーマヨネーズの新聞広告は、キユーピーマヨネーズ300g瓶とシルエット、それをバックに料理皿を持ったキユーピーのイラストが描かれたレイアウトになっている。キユーピーが持っている皿に乗っているのはマヨネーズをかけたサーモンである。これはキユーピーマヨネーズが世に出た当初(1920年代)まだ日本では生野菜を食べる習慣がなく、マヨネーズは主に魚料理に使うよう発売されていたためである。このレイアウトが60年以上使用されており、現在の広告には「毎日のお食膳に」と記されている。
「キユーピーマヨネーズ」の会社が「キューピー」を作り出したのかとずっと思っていた。それが違っていて、「キューピー」の方が先にできたものという事を知り、結構驚いている。