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本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「テレサ・テン」の歌声をAD時代、目の前で聴いた。

2007年05月28日 | 歌・CD
私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実

文藝春秋

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内容(「MARC」データベースより)
スパイ説、本当の死因、中国政府の罠、天安門事件との繋がり…。没後10年、いま明かされる「アジアの歌姫」の真実とは。すべての謎の答えがある。

著者からのコメント
1994年にテレサ・テン本人に「書く」と約束したことをようやく果たすことができました。日本では「演歌歌手」と捉えられている彼女の素顔は、じつはそう単純なものではありませんでした。その背景にあるアジア現代史。中国政府がテレサ・テンの存在を重視し、政治的に利用することを企んだことは、「機密文書」などを発掘することではじめて明らかにすることができました。残念なことは、完成したこの著作をテレサに届けることが叶わないことです。報じられる印象だけではその人物の全体像を知ることはできない。この仕事を終えて痛感したことでした。「テレサ・テンってこういう女性だったんだ」読んでくださったある30代女性の感想です。機会があればぜひお読みください。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
有田 芳生
1952年京都府生まれ。出版社勤務ののちフリーとなり『朝日ジャーナル』で霊感商法批判キャンペーンに参加。同誌休刊後『週刊文春』などで統一教会報道や、都はるみ、阿木燿子、宇崎竜童、服部真澄、石堂清倫などの人物ノンフィクションに取り組む。

テレサ・テン メモリアルベスト-永遠の歌姫-
テレサ・テン
ユニバーサルJ

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曲目リスト
ディスク:1
1. つぐない
2. 空港
3. アカシアの夢
4. 夜のフェリーボート
5. ・(あなた)
6. ジェルソミーナの歩いた道
7. 春を待つ花
8. 香港の夜
9. 逢う時はいつも他人
10. ふたたびの
11. 愛人
12. 時の流れに身をまかせ
13. 別れの予感
14. 恋人たちの神話
15. 悲しい自由
16. 涙の条件
17. 愛の陽差し~アモーレ・ミオ~
18. 夕凪
19. 何日君再来(日本語バージョン)
ディスク:2
1. 情人的關懐(空港)
2. 冬之戀情(雪化粧)
3. 祈望(女の生きがい)
4. 今夜想起・(夜の乗客)
5. ・在我心中(夜のフェリーボート)
6. 小村之戀(ふるさとはどこですか)
7. ・装做不知道(あなたと生きる)
8. 償還(つぐない)
9. 愛人
10. 我只在乎・(時の流れに身をまかせ)
11. 我和・(北国の春)
12. 一片落葉(津軽海峡冬景色)
13. 夜来香
14. 何日君再来
15. 天涯歌女(地の果ての歌姫)(ライヴ)
16. 甜蜜蜜(蜜のように甘く)(ライヴ)
17. 船歌(船歌)(ライヴ)
18. 梅花(梅の花)(ライヴ)
19. 我的家在山的那一辺(私の家は山の向こう)(1089年5月27日 香港ハッピーヴァレー競馬場での音源)

テレサ・テン フォーエヴァー

ポリドール

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商品の説明

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
NHKの持つ貴重なライブラリーから、「紅白歌合戦」「ふたりのビッグショー」「歌謡ホール」「日本作詞大賞」などの映像で構成。「時の流れに身をまかせ」「空港」「つぐない」「別れの予感」「愛人」「悲しみと躍らせて」など、全14曲を収録している。


内容(「Oricon」データベースより)
NHKの持つ映像ライブラリーから、歌番組に出演した時の映像やその他のインタビュー、ニュース映像等で構成した貴重な映像集。

内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
台湾出身のシンガー、テレサ・テン(1953~95)。一昨年の決定版CDボックス『So long テレサ・テン ぱーふぇくと コレクション』に続き、ファン待望の映像が届いた。84~94年までに出演したNHK番組の中から、代表曲14曲をピックアップ。心に響く歌の数々の中でも一番の聴きものはやはり、中国では禁止され、台湾では自由の象徴として親しまれた「何日君再来」だろう。収録日のコンディションが手に取るように見えてくる。また、曲間に波瀾万丈だった彼女の生きざまが、穏やかな語り口で紹介されるのがポイントだ。パリで学生生活を送っていた頃の表情も実に活き活きとしていて印象的。特典として91年紅白出場時の「時の流れに身をまかせ」を収録。 (鈴木賢一) --- 2002年06月号


木村佳乃が台湾で「テレサ物語」PR
 テレビ朝日のスペシャルドラマ「テレサ・テン物語-私の家は山の向こう」に主演した女優、木村佳乃さん(31)は二十八日、台北で記者会見し、日本や台湾、米国など約三十カ国・地域で六月二日に同日放送される同ドラマをPRした。

 台湾出身の歌手テレサ・テンさんは「アジアの歌姫」として日本や香港などでも大きな人気を誇ったが、一九九五年五月、タイで急死。生涯を描いた有田芳生さんの著書がドラマ化された。

 木村さんは「優しく明るい大スター、テレサを演じ、女性として女優として影響を受けた。出身地の台湾などで同日放送され、とても光栄です」と笑顔で語った。
(ディリー・スポーツより引用)



テレサ・テンが日本で歌手として、いちばん絶頂期、僕はADとして音楽番組のスタッフの一員で、「つぐない」「愛人」などをテレサが目の前で歌っているというシーンに立ち会えた。彼女の死は「不可解な部分」もあるが、「テレサ・テン」の「テレサ」は「マザー・テレサ」の「テレサ」である。「マザー・テレサ」は「イエズス会(キリスト教)」で、「テレサ・テン」は「歌声」で「愛を分け与えた」のだと確信している。まもなく、テレビ朝日で「テレサ・テン」のSPドラマを放送する。楽しみにしている。http://www.tv-asahi.co.jp/teresa/
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愛する子どもたちへ―マザー・テレサの遺言

2007年05月28日 | 本・雑誌・漫画
愛する子どもたちへ―マザー・テレサの遺言

ドン・ボスコ社

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内容(「MARC」データベースより)
1997年9月5日、マザー・テレサがカルカッタで帰天した。マザーが共労者に宛てて書いた晩年の手紙や代表的な講演などを収録した「遺言」集。また、写真も多数掲載する。



映画『マザー・テレサ』を観て買った本。写真に写っているマザー・テレサを見るだけでも心が洗われる。彼女の言葉はシンプルだが難しい。そこを考え考え読み進めていくと、「人間の生きている意味」が見えてくる。きっと。
マザー・テレサ デラックス版

ジェネオン エンタテインメント

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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
『ロミオとジュリエット』のオリビア・ハッセー主演、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサの生涯に迫る伝記ドラマ。修道院での活動に限界を感じたテレサは新教会を設立し、困難を乗り越え人々の救済に力を尽くす。


内容(「Oricon」データベースより)
どんな困難にも負けず、人々の救済に力を注いだマザー・テレサの生涯を描いた、オリビア・ハッセー主演で贈る伝記ドラマ。
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紳竜の研究・・・「島田紳助・松本竜介」がかつての漫才ブームの時、何を考えていたか?

2007年05月28日 | 笑い
紳竜の研究

アール・アンド・シー

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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
80年代の漫才ブームの中心を担った島田紳助と松本竜介からなるコンビ、紳助・竜介の漫才を収めた2枚組DVD。「花王名人劇場」や「ザ・マンザイ」に出演した時の映像を中心に、紳助が当時のことを語ったインタビューなど、盛りだくさんに収録する。

内容(「Oricon」データベースより)
最初で最後になるであろう島田紳助・松本竜介の特別企画DVDが登場!お笑いを志す者、コアファン、彼らを全く知らない世代まで全ての人に贈る永久保存版!二人の懐かしい漫才がここに甦る。本人はもちろんのこと、関係者の貴重なコメントが満載。



1980年代の「マンザイブーム」について、ちゃんとした資料が無い。僕はオンタイムで観ていたので、その雰囲気・どの漫才が面白かったか・・・など、いろいろ知っているが、知らない人も一度観ておいて決して損はしない「熱」の様なものを感じる「漫才」である。
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ZARD坂井泉水さん精神的悩み? ナゾ多い死に衝撃

2007年05月28日 | 歌・CD
 27日に不慮の死を遂げた「ZARD」ボーカル、坂井泉水さん(40)。若者から中高年まで世代を越え、その澄んだ歌声に乗せて勇気と生きるメッセージを伝えてきた。ミリオンセラーを連発し、日本の音楽シーンを代表するひとりでもあった。「元気そうだったのに…」。ナゾの多い突然過ぎる死に、衝撃の波紋が広がっている。

 【精神的な悩みも】

 昨年10月、デビュー15周年を記念して発売された「ゴールデンベスト」は、オリコンのアルバムチャート初登場1位となるミリオンセラーに輝いた。

 その制作にかかわった音楽関係者は「もともと入院したのは精神的なことがあったと聞いている。1カ月以上前に会った時は、元気そうだった。もとから細い人だから見た目としては特に変わったところはなかった。信じられない」と急死に驚きを隠せない。

 また、「メディアで見る姿は静止しているものが多いせいか、おとなしいイメージが強いが、実際は音楽好きの明るいお姉ちゃんという感じ。(ミリオンセラーもあり)仕事はしなくても印税で食べていける状態。仕事での悩みではなく、他に問題があったのだろう」と話している。

 密葬は近親者のみで執り行われるが、親しい音楽関係者でさえ参列は丁重に断られたといい、衝撃の大きさを物語っている。

 【実家はひっそり】

 東京都町田市内にある坂井さんの実家は、東急田園都市線つくし野駅から徒歩3分。高級住宅街にあってもひときわ目を引くれんが造りの3階建てだが、カーテンが閉まり、ガレージも閉まったままで、ひっそりと静まり返っていた。

 インターフォンを鳴らすと、親族とみられるグレーのスーツ姿の50代とみられる男性が玄関から姿を見せ、「こういうときなので、お引き取り願います」と手を合わせて頭を下げた。

 「入院前に坂井さんがお母さんと買い物に行く姿をたまにみかけた」という近所の50代女性は、「ZARDの歌はよく聴いていて、『負けないで』には励まされたこともあった。ニュースで知ってまさかと思った。自殺なんでしょうか」と心配そうに話した。

 【事故現場】

 坂井さんが見つかったのは、慶応大学病院の10階建て新棟隣に位置する1号棟。同棟は、新棟と棟続きになっている5階建てで、坂井さんが事故に遭ったのは同棟の先端にあるスロープ状の階段。この棟には救急施設などが入っている。

 坂井さんは26日早朝、日課の散歩から自分の病室に戻る途中、前日の雨で濡れた手すりに腰掛けていて地面に落下し、頭を強く打ったとされる。手すりは1メートル前後で胸の位置ほどの高さだった。

 突然の訃報を受け、同病院にはテレビカメラ数台はじめ、報道ヘリも飛び、数多くの報道陣が詰めかけた。

 病院関係者によると、坂井さんの遺体はすでに別の場所に移されているという。

 隣のビルで勤務するという女性(36)は報道陣の多さにびっくりした様子で、「全然知らなかった。まだ若いのに…」と絶句していた。

 病院に通院しているという無職の男性(66)は「土曜日も用事でこの近くに来たけれど、変わった様子はなかった。まさかそんな有名な人が入院されていたとは知らなかった」と話した。男性によると4階より上階が入院病棟だという。


 【子宮頸(けい)がん】 空洞の洋なし型をした子宮の下方の末端部で、子宮と膣(産道)をつなぐ部分にあたる子宮頸部の組織に悪性細胞が認められる病気。

 女性のがんで4番目に多く、40歳を超える女性の約3%が発症するといわれる。20-30代でも発症する。

 初期の段階では症状がほとんどないため、検診や症状が進行してから発見されるケースが多い。第1期で、手術など適切な治療を受けた場合、5年間生存率は80-85%と有効だが、第4期まで進むと、12%未満である。

 性感染症であるヒトパトローマウイルス(HVP)の感染者に高率で発症するとの報告があるほか、喫煙者や免疫系の低下している女性、初交年齢が若い女性が、リスク因子を持つ。
(ZAKZAKより引用)




「24時間テレビ」のゴールの直前にかかる『負けないで』とか・・・聴いてて明るくなる曲が多かった。老若男女、誰にでも愛される歌だったと思う。ご冥福をお祈りします。
Le Portfolio 1991-2006

ビーヴィジョン

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内容紹介
映像で振り返る15周年!
ZARD初のビジュアルコレクション!!
代表作のPVを中心に、15年間を凝縮した約70分!
楽曲とともに鮮明に焼き付く映像の数々。デビュー以来、多くのリリースへの要望が寄せられていたZARDのPV収録のビジュアルコレクションがついに発売決定!シングルを中心にアルバム曲も含めた代表曲のPV、貴重な写真や映像を、年代順にスペシャル・エディットし70分に凝縮して収録!
ベストアルバム、写真集とともに、15周年を記念した作品です。3タイトル合わせた大展開をお願い致します!
また、2005年にリリースされた初のライブDVD『What a beautiful moment』が品切れ続出となりましたが、今作も大反響必至…!待望の映像作品にご期待下さい!

【収録曲〈約70分収録〉】
●Sequence-1 1991-1993
Good-bye My Loneliness / 不思議ね・・・ / IN MY ARMS TONIGHT / 負けないで / 君がいない / 揺れる想い / もう少し あと少し・・・ / きっと忘れない / この愛に泳ぎ疲れても

●Sequence-2 1994-1995
Oh my love / I still remember / 来年の夏も / こんなにそばに居るのに / あなたを感じていたい / Just Believe in love / ハイヒール脱ぎ捨てて / 愛が見えない / サヨナラは今もこの胸に居ます

●Sequence-3 1996-1997
マイ フレンド / 心を開いて / Today is another day / Don't you see! / 君に逢いたくなったら・・・ / あの微笑みを忘れないで / 風が通り抜ける街へ / 永遠 / My Baby Grand~ぬくもりが欲しくて~

●Sequence-4 1998-2000
息もできない / 運命のルーレット廻して / 新しいドア~冬のひまわり~ / GOOD DAY / MIND GAMES / 痛いくらい君があふれているよ / この涙 星になれ / Get U're Dream

●Sequence-5 2002-2005
明日を夢見て / 瞳閉じて / もっと近くで君の横顔見ていたい / 止まっていた時計が今動き出した / かけがえのないもの / 今日はゆっくり話そう / 君とのふれあい

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
91年に「Good-bye My Loneliness」でデビューし、今年で15周年を迎えたZARDのベストアルバム、写真集と同時に発売される初のPV集。シングルを中心にアルバム曲も含めた代表曲のPV、貴重な写真や映像を年代順にエディットし凝縮した永久保存版。

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芸能界お受験講座 絶対、スターになる!

2007年05月28日 | テレビ
芸能界お受験講座 絶対、スターになる!

マガジンハウス

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内容紹介
この本を読んだら、あなたの子供はスターになる!失敗しない、だまされないための情報満載。第一章:わが子をスターにするための、26の方法。 第二章:わが子をスターにするための、イエローページ。



「芸能界」はとてもとても厳しい世界。テレビの仕事を長年やって来て、強く感じる。たとえ、魅力を持った俳優・タレントでも、「テレビというメディア」は彼らを食い尽くしていく。消費していくと言い換えてもいいかもしれない。その事を覚悟の上で「芸能界」を目指さないと、人生の方向性が見えなくなる事も多々あると思って欲しい。

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ZARD坂井泉水さん、死去。

2007年05月28日 | 歌・CD
略歴
1990年
当時本名でモデルとして活躍していた坂井泉水が、当時B'zやTUBEのプロデューサーだった長戸大幸と出会い、ZARDという新しいボーカルグループをスタートさせる。
1991年
2月10日、1stシングル「Good-bye My Loneliness」でデビュー。デビューシングルにしてオリコン最高位9位を記録。
3月27日、1stオリジナルアルバム「Good-bye My Loneliness」発売。
6月25日、2ndシングル「不思議ね…」発売。
11月3日、東海大学沼津校学園祭にて初ライブを行う。
11月6日、3rdシングル「もう探さない」発売。
12月25日、2ndアルバム「もう探さない」発売。この頃に町田文人、星弘泰、道倉康介、池澤公隆らがメンバーに加入。
1992年
3月、第6回日本ゴールドディスク大賞「THE BEST 5 NEW ARTIST OF THE YEAR」受賞。
4月23日、NACK5「I LOVE CITY」のスペシャル番組のパーソナリティーを担当。今のところパーソナリティという進行的なことを行ったのはこれが最初で最後である。
8月5日、4thシングル「眠れない夜を抱いて」発売。ZARDの下地を作る。以降「ハートに火をつけて」までシングルは全てTOP10入り。
8月7日、テレビ朝日「ミュージックステーション」で地上波テレビ初出演。「眠れない夜を抱いて」を披露。
9月2日、3rdオリジナルアルバム「HOLD ME」発売。アルバムで自身初のTOP10入り。以降「永遠」までオリジナルアルバム連続ミリオン。(ベストを入れれば「ZARD BEST ~Request Memorial~」まで9作連続ミリオン)
9月9日、5thシングル「IN MY ARMS TONIGHT」発売。
1993年
大ヒットシングル・アルバム連発で、この年のアーティスト・トータルセールス1位となった。
1月27日、6thシングル「負けないで」発売。自身初のオリコン首位獲得。初のミリオンヒット。年間チャート6位。
2月5日、テレビ朝日「ミュージックステーション」で最後の音楽番組出演。以降2007年まで音楽番組に出演していない。
4月21日、7thシングル「君がいない」発売。
5月19日、8thシングル「揺れる想い」発売。2週連続1位。ミリオンヒット。年間チャート9位。
6月9日、【ZYYG,REV,ZARD&WANDS featuring 長嶋茂雄】名義で「果てしない夢を」発売。
7月10日、4thオリジナルアルバム「揺れる想い」発売。自身初の首位獲得(通算5週)。年間チャート1位獲得。
9月4日、9thシングル「もう少し あと少し…」発売。
11月3日、10thシングル「きっと忘れない」発売。初登場1位獲得。
1994年
2月2日、11thシングル「この愛に泳ぎ疲れても/Boy」発売。初の両A面シングル。初登場1位獲得。
3月、「負けないで」が春の選抜高校野球入場曲に選ばれる。
3月、第8回日本ゴールドディスク大賞「THE BEST 5 NEW ARTIST OF THE YEAR」受賞。「負けないで」が「BEST SINGLE OF THE YEAR」受賞。
6月4日、5thオリジナルアルバム「OH MY LOVE」発売。ダブルミリオンヒット。年間5位。
8月8日、12thシングル「こんなにそばに居るのに」発売。初登場1位獲得。
12月25日、13thシングル「あなたを感じていたい」発売。
1995年
2月1日、14thシングル「Just believe in love」発売。
3月、日本ゴールドディスク大賞で「OH MY LOVE」が、アルバム賞・ロック・フォーク女性部門を受賞。
3月10日、6thオリジナルアルバム「forever you」発売。年間4位。
6月5日、15thシングル「愛が見えない」発売。
8月28日、16thシングル「サヨナラは今もこの胸に居ます」発売。初登場1位獲得。カップリングの「眠り」は坂井泉水作曲。
1996年
1月8日、17thシングル「マイ フレンド」発売。初登場1位獲得。自身3度目のミリオンヒット。
5月6日、18thシングル「心を開いて」発売。初登場1位獲得。
7月8日、7thオリジナルアルバム「TODAY IS ANOTHER DAY」発売。年間12位。
8月9日、「渋谷フォーラム8」で行われた有線視聴会にゲスト出演。
1997年
この年の後半に「負けないで」が高校の教科書に掲載された。
1月6日、19thシングル「Don't you see!」発売。初登場1位獲得。
2月26日、20thシングル「君に逢いたくなったら…」発売。
4月23日、セレクションアルバム「ZARD BLEND ~SUN&STONE~」発売。ベストアルバムと宣伝されたためか、ダブルミリオンヒットになった。年間5位。
7月2日、21stシングル「風が通り抜ける街へ」発売。
8月20日、22ndシングル「永遠」発売。初登場1位獲得。当時話題となっていた「失楽園」の主題歌となり、TOP10に6週間ランクインし、ZARDの代表曲となった。
12月3日、23rdシングル「My Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~」発売。
1998年
3月、第12回日本ゴールドディスク大賞で「ZARD BLEND ~SUN&STONE~」が「ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」受賞。
3月4日、24thシングル「息もできない」発売。
9月17日、25thシングル「運命のルーレット廻して」発売。初登場1位獲得。
12月2日、26thシングル「新しいドア~冬のひまわり~」、27シングル「GOOD DAY」同時発売。
1999年
シングル・アルバム・コラボレートを合わせて8枚リリース、さらに初ライブまで行うという大忙しな年であった。
2月17日、8thオリジナルアルバム「永遠」発売。
4月7日、28thシングル「MIND GAMES」発売。オリコンチャート1位獲得作品。
5月28日、ベストアルバム「ZARD BEST The Single Collection ~軌跡~」発売。初動ミリオン、累計300万枚突破。年間2位。
6月16日、29thシングル「世界はきっと未来の中」発売。
8月31日、ベストアルバム購入者から抽選された600名を招待して、クルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす」で自身初のライブを行う。応募総数は100万通をはるかに越えた。
9月15日、30thシングル「痛いくらい君があふれているよ」発売。最後の8cmシングル。
9月15日、ベストアルバム「ZARD BEST ~Request Memorial~」発売。年間14位。
9月15日、小西康陽とのコラボレートでCan't Take My Eyes Off Of You発売。
12月1日、31stシングル「この涙 星になれ」発売。ここからマキシシングルに移行。
2000年
1月26日、ライブアルバム「ZARD Cruising & Live ~限定盤ライヴCD~」発売。30万枚限定発売。
3月、第14回日本ゴールドディスク大賞で、アルバム「永遠」「ZARD BEST The Single Collection ~軌跡~」「ZARD BEST ~Request Memorial~」が「ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を3枚同時受賞。
9月6日、32ndシングル「Get U're Dream」発売。オリンピックのテーマソングとして、久々の人気となる。
11月15日、33rdシングル「promised you」発売。
2001年
デビュー10周年。この年の後半から翌年にかけて坂井泉水が体調を崩し、休養を取っている。
2月15日、デビュー10周年記念9thオリジナルアルバム「時間の翼」発売。この作品でオリジナルアルバム連続ミリオンが途絶える(6作)。またアルバム連続ミリオン獲得もここで途切れる(9作、歴代1位)
11月21日、セレクションアルバム「ZARD BLEND II ~LEAF&SNOW~」発売。
2002年
坂井泉水曰く、第二章をスタートさせた。
5月22日、34thシングル「さわやかな君の気持ち」発売。
5月末、ファンクラブ、B-TOWN、ライブ会場限定で、シングルCDコレクション「ZARD BOX」発売。
2003年
本格的に活動再開。2004年のライブツアーまでコンタクトリリースを続ける。
3月27日、hills パン工場のTHURSDAY LIVEで、滴草由実のライブに飛び入り参加。ボーイズ・タウン・ギャングの「Can't Take My Eyes Off Of You」と、ブロンディーの「CALL ME」をカバーする。
4月9日、35thシングル「明日を夢見て」発売。
7月9日、36thシングル「瞳閉じて」発売。
8月27日、【TAK MATSUMOTO featuring ZARD】名義で「異邦人」発売。
11月12日、37thシングル「もっと近くで君の横顔見ていたい」発売。この作品で、シングルTOP10入り作品数が通算35作を達成し、女性アーティスト歴代単独1位を獲得した(この時点では総合歴代5位)。
2004年
1月28日、10thオリジナルアルバム「止まっていた時計が今動き出した」発売。オリジナルアルバムの連続1位獲得がこの作品で途切れる。
3月2日、自身初の全国ツアー「What a beautiful moment Tour」敢行。全11公演。7月23日に日本武道館でファイナルを迎える。
6月23日、38thシングル「かけがえのないもの」発売。ライブの時に発売を告知され、武道館でも歌われた。
11月24日、39thシングル「今日はゆっくり話そう」発売。
2005年
4月20日、40thシングル「星のかがやきよ/夏を待つセイル(帆)のように」発売。11年ぶりの両A面シングル。タイアップ効果がかなり効いて、「世界はきっと未来の中」以来5年ぶりのTOP3入り。
6月8日、自身初のDVD「What a beautiful moment」発売。音楽・総合部門共に初登場1位獲得。
9月7日、11thオリジナルアルバム「君とのDistance」発売。
2006年
デビュー15周年。大きな活動は行われなかったが、久々のベストアルバム、15年の活動を集めたDVDが話題となり、改めてZARDというユニットの存在感を発揮した。
3月8日、41stシングル「悲しいほど貴方が好き/カラッといこう!」発売。
5月10日、42ndシングル「ハートに火をつけて」発売。カップリングの「君へのブルース」は坂井泉水作曲。
10月25日、ベストアルバム「Golden Best ~15th Anniversary~」発売。アルバムでは5年8ヶ月ぶりの1位獲得。
10月25日、今までのPVを集めたDVD「ZARD Le Portfolio 1991-2006」発売。音楽・総合部門共に初登場1位獲得。
2007年
5月27日、入院中の坂井泉水さん、階段から転落し死亡(自殺とも伝えられている)
BEST The Single Collection~軌跡~
ZARD, 坂井泉水, 葉山たけし, 明石昌夫, 長島茂雄, ZYYG, REV, WANDS, 上杉昇
ビーグラムレコーズ

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曲目リスト
1. 負けないで
2. 君がいない
3. 揺れる想い
4. 果てしない夢を(ZYYG,REV,ZARD&WANDS フィーチャリング・長嶋茂雄)
5. もう少し あと少し…
6. きっと忘れない
7. この愛に泳ぎ疲れても
8. こんなにそばに居るのに
9. Just believe in love
10. 愛が見えない
11. マイ・フレンド
12. 心を開いて
13. 永遠(イントロ・ピアノ・ヴァージョン)
14. 運命のルーレット廻して(リミックス・ヴァージョン)


商品の説明

内容(「CDジャーナル」データベースより)
全曲オリコン・シングル・チャートで1位もしくは2位をとった曲のみで構成されるという,ZARDだからこそできた偉業ともいえる前評判も高いベスト。詞・歌声・サウンドに貫かれている潔さ,涼やかさが,このバンドを稀有の存在にならしめていると実感。
Golden Best ~15th Anniversary~ (通常盤)
ZARD
ビーグラムレコーズ

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ディスク:1
1. Good-bye My Loneliness(1st SL)
2. 眠れない夜を抱いて(4th SL)
3. IN MY ARMS TONIGHT(5th SL)
4. 負けないで(6th SL)
5. 君がいない(7th SL)
6. 揺れる想い(8th SL)
7. もう少し あと少し…(9th SL)
8. きっと忘れない(10th SL)
9. この愛に泳ぎ疲れても(11th SL)
10. Oh my love(5th AL OH MY LOVE)
全14曲を見る

ディスク:2
1. マイ フレンド(17th SL)
2. 心を開いて(18th SL)
3. Today is another day(7th AL『TODAY IS ANOTHER DAY』)
4. Don't you see!(19th SL)
5. 永遠(22nd SL)
6. My Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~(23rd SL)
7. 運命のルーレット廻して(25th SL)
8. Get U're Dream(32nd SL)
9. もっと近くで君の横顔見ていたい(37th SL)
10. 今日はゆっくり話そう(39th SL)
全13曲を見る


商品の説明

このCDの仕様
ZARD デビュー15周年を飾る 究極のベストアルバム発売決定!

過去、現在、そして未来。
1991年2月10日「Good-bye My Loneliness」でデビュー以来、時代の傍で流れ続けるZARDサウンド。
150曲以上に及ぶZARD 永遠のスタンダード・ナンバーから、CD2枚組全27曲を厳選した究極のベストアルバム!

1991年に「Good-bye My Loneliness」でデビューして以来、J-POPを代表するアーティストとして、「負けないで」「揺れる想い」「マイフレンド」などに代表される数々のヒット曲を発表し続けているZARD。今年5月にリリースした最新シングル「ハートに火をつけて」で、シングルTOP10入り通算40作品となり、女性ボーカルアーティストとしては最多記録(歴代1位)を更新(オリコン調べ)。15年に渡り揺るぎない支持を獲得し続けているZARDの究極のベストアルバムが、2006年10月25日に登場!多くのリスナーの過ごしてきた時間とともにあり、そしてこれからもその傍らに寄り添い続けるスタンダード・ナンバーの数々、全作品150曲以上の中から厳選された27曲!ZARDの歌を手にしたことのあるのべ3600万人、そしてZARDの歌に触れたことのあるすべての人が、ZARDの歌と共有した時間、そして想い出を鮮やかに、より深く刻み込めるベストアルバムの登場です!
名探偵コナン テーマ曲集 ~THE BEST OF DETECTIVE CONAN~
TVサントラ, 小松未歩, 古井弘人, ZARD, 坂井泉水, 池田大介, B’z, 稲葉浩志, 松本孝弘, GARNET CROW
ヅァインレコーズ

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曲目リスト
1. 謎(小松未歩)
2. 運命のルーレット廻して(ZARD)
3. ギリギリchop(B’z)
4. Mysterious Eyes(GARNET CROW)
5. 恋はスリル,ショック,サスペンス(愛内里菜)
6. 光と影のロマン(宇徳敬子)
7. 君がいない夏(DEEN)
8. 願い事ひとつだけ(小松未歩)
9. 氷の上に立つように(小松未歩)
10. Still for your love(rumania montevideo)
11. Free Magic(WAG)
12. Secret of my heart(倉木麻衣)
13. 夏の幻(GARNET CROW)
14. 少女の頃に戻ったみたいに(ZARD)
15. ONE(B’z)
16. あなたがいるから(小松未歩)



商品の説明

内容(「CDジャーナル」データベースより)
人気アニメ番組『名探偵コナン』のテーマ曲を集め、豪華アーティストが名を連ねたオムニバス盤。97年から3年分のヒット曲に映画版の主題歌3曲もプラス。倉木麻衣、ZARD、愛内里菜らが参加。


内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
97年4月より3年間分の日本テレビ系アニメ『名探偵コナン』のオープニング&エンディング・テーマを集めた一枚。B'zにZARDに倉木麻衣……おいおい、テーマ曲集というよりも他のレコード会社だったら『MAX』や『NOW』ノリのおいしい内容じゃないか!! 90年代後半を彩った思い出のサウンドトラック盤としても十分にいけるアルバム。実はこれと同じ内容のMDやカセットを自分で編集している人もいたりして。ミドル・オブ・ザ・J-POP(ちょっと違うグループもいるけど)な全16曲を収録している。 (兒玉常利) --- 2001年01月号




ZARDの坂井泉水さんの訃報にビックリした。彼女の『負けないで』が好きだった。何か、毎日、考えられない様な事が起こる。悲しい。ホカリスエットのCMソング『揺れる想い』も何度聴いても元気になる曲。絶句・・・
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河瀬直美監督「殯の森」、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞

2007年05月28日 | 映画・DVD・ビデオ
【カンヌ=津久井美奈】第60回カンヌ国際映画祭は27日夜(日本時間28日未明)、コンペティション部門の授賞式が行われ、日本の河瀬直美監督(37)の日仏合作映画「殯(もがり)の森」が、最高賞パルムドールに次ぐ、グランプリに選ばれた。

 授賞式で河瀬監督は「映画を作り続けてきて良かった」と喜びを語った。

 グランプリ受賞は1990年の小栗康平監督「死の棘(とげ)」以来、17年ぶり。同映画祭ではこのほか、54年に衣笠貞之助監督「地獄門」が当時の最高賞であるグランプリを受賞。パルムドールは、黒沢明監督が「影武者」(80年)で、今村昌平監督が「楢山節考」(83年)と「うなぎ」(97年)で2度受賞している。

 河瀬監督は、1969年、奈良市生まれ。劇場映画デビュー作「萌(もえ)の朱雀」で97年のカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を、最年少の27歳で受賞。奈良を拠点に映画製作や執筆活動を続けている。同映画祭コンペティション部門には、2003年にも「沙羅双樹(しゃらそうじゅ)」を出品。このほかの作品に「火垂(ほたる)」や、自身の出産を記録した「垂乳女(たらちめ)」がある。

 受賞作「殯の森」は、河瀬監督の長編4作目。奈良県北部の山あいを舞台に、妻の死を受け止められない認知症の男性と、子供を亡くした女性介護士が、男性の妻が眠る森をさまよう中で死を受け入れ、生きる希望を見いだすまでを描いた。
(讀賣新聞紙面より)



日本映画が元気だ。ハリウッドが「日本」「韓国」の映画をリメイクする様になるとは・・・時代も変わった。
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「24時間テレビ」マラソンランナーに「萩本欽一(欽ちゃん)」が!!!!!

2007年05月28日 | テレビ番組
萩本 欽一(はぎもと きんいち、1941年5月7日 - )は、コメディアンである。また、日本野球連盟茨城ゴールデンゴールズ監督、司会者、舞台演出家としても活躍している。東京都台東区出身。身長162cm、体重65kg。駒込高等学校卒業。血液型A型。浅井企画所属。愛称は「欽ちゃん」、「萩モー」「萩」など。また、彼の番組や舞台から育ったいわゆる欽ちゃんファミリーには「大将」と呼ばせている。香取慎吾から「ハギー」と呼ばれたこともある。

1970年代、1980年代に、「なんでそーなるの!」というギャグや、「欽ちゃん走り」と言われる独特の走り方(原点は東八郎)など体を使った笑い、さらに素人および素人っぽさを残す才能を開花させるなど活躍した。「どっちらけ」、「バンザーイなしよ」等今も語り継がれるギャグも多い。現在ごく普通に使われる「ウケる」(ややウケ、バカウケ等)という言葉も、最初は「欽ちゃんのドンといってみよう!!」から広まったと言われている(芸人言葉を一般にも広めた)。

2007年8月に行われる日本テレビ系「24時間テレビ」の156cmチャリティーマラソンのランナーである。
3子あり(男子)。

来歴

55号以前
萩本は中学卒業と共に、芸人を目指して浅草を代表する喜劇役者・大宮敏充の元へ弟子入りを請うが、「せめて高校を出てからおいで」と断られる。
高校卒業後、浅草公園六区にあった東洋劇場(東洋興業経営)の仲介で再度入門を請うべく大宮が常打ちにしていた浅草松竹演芸場へと赴くが、「だめだったらウチにおいで」という言葉をきいた事で寸前で入門することを取りやめ、その足で同じ近隣の東洋劇場に入団。研究生としてコメディアンの卵となる。
東洋劇場では、先輩芸人である池信一や石田英二、そして東八郎から数多くの指導を受ける。また、彼等の大師匠筋である浅草の首領こと深見千三郎(ビートたけしの師匠)からも薫陶を受け、大いに可愛がられる。(もっとも、テレビ進出後に世間へイメージが良くないと判断し、浅草ストリップ劇場修行の過去を隠蔽し、全く浅草を避けるような行動に走る萩本を見て、深見は『萩本の野郎恩を忘れやがって』と萩本に怒りをぶつけていた。)
東洋劇場で上達した頃、同系列の浅草フランス座へ出向。ストリップの幕間コントで更に腕を磨く。ここで漫才師崩れの専属コメディアン・安藤ロール(のちの坂上二郎)と知り合う。しかし、当時は共演というよりはむしろ競演で、お互いに自分だけがウケようと衝突していたとの事である。彼の坂上に対する印象は「一緒にやったら食われるから嫌い」というものだったそうだ。
その後萩本は東洋興業を辞め、いくつかのコントグループを経て浅草松竹演芸場で劇団浅草新喜劇を旗揚げして座長公演を行う。同時期に、放送作家のはかま満緒に師事してお笑い作りに本格的に取り組む。ここで、後年コント55号の殆どの台本を手掛けた岩城未知男と知り合う。さらに、はかまのツテで、TBSのプロデューサー・向井爽也や芸能マネージャー・浅井良二(浅井企画代表)と知り合い、本格的にタレント活動を開始。向井の手掛ける公開コメディー番組「じんたかパンチ」のコマーシャルに起用される。しかし、ここで緊張したのか気負ったのか、萩本は異例ともいえる21回ものNGを連発し、降板を余儀なくされる。
失意の萩本は、テレビ進出を諦め生涯舞台役者で生きていくことを決意。浅草新喜劇も解散して、熱海つるやホテルの営業で再起を期していた。ここでたまたま考案した一人コント「机」が、後年日本中を席捲したコント55号の端緒となるのである。
また、後に『快獣ブースカ』で脚本家デビューすることになる市川森一と、はかま満緒師事時代に友人であった。市川森一は後年、日本テレビの開局40周年スペシャルドラマ『ゴールデンボーイズ』で、若かりし頃の萩本(演者は小堺一機)の、これらのエピソードを描いている。


コント55号
坂上二郎から誘われる形で、一回の舞台契約だけで、1966年、「コント55号」を結成した(しばらくは、その都度の契約だったが、気づいたらコンビになっていたそうだ)。
前田武彦と組んだフジテレビの公開生放送「お昼のゴールデンショー」(1968年~1971年)で人気に火がついた。以降、「コント55号の世界は笑う」(フジ)、「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」「コント55号のなんでそうなるの?」(ともに日本テレビ)、「チータ55号」、「みんなで出よう!55号決定版」(TBSテレビ)、「ウォー!コント55号!!」「コント55号!!笑ってたまるか!?」(NETテレビ・現在の テレビ朝日)など、テレビを席巻した。その後もコンビとしての活動は続いたが、1975年に始まり、久米宏司会で大人気となった「ぴったし カン・カン」(TBSテレビ)ではグループリーダー役など、昔のコンビ芸とは違い、次第に個々の活動に入っていった。


視聴率100%男
1972年から始まったニッポン放送のラジオ番組「欽ちゃんのドンといってみよう!!」には単独で出演。聴取者からのハガキ投稿が基本の番組で人気が上昇し、1975年には土曜の夜に公開放送で行われた「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(フジ)として、テレビ番組化された。当時同局で司会を担当していた「オールスター家族対抗歌合戦」(1972年~1986年、ただし萩本は1984年6月限りで司会を降板)や、「スター誕生」(日本テレビ)において編み出したともいわれる、ゲストの家族や素人出演者へのツッコミぶりは、「欽ドン!」では素人主体で結成された「欽ドン劇団」や、ロケ先で道行く人々をも巻き込み大きく開花し、のちの番組においても一連の素人扱いぶりは天才的な至芸を極めた。

また、この番組のオファーがあった際に「僕は司会ができないから、ちゃんと司会ができる女の子をつけてほしい」と希望した。これが現在のアシスタントの走りといわれる。

以降、間を置いて1981年には月曜9時に「欽ドン!良い子悪い子普通の子」シリーズ(フジ)が開始。1976年から始まっていたホームコメディ「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(欽どこ)(朝日)、1982年に始まった「欽ちゃんの週刊欽曜日」(TBS)と高視聴率番組が続き、各番組の合計した視聴率の数字から「100%男」の異名を取った。これらの番組から人気芸能人が生まれ、彼らは「欽ちゃんファミリー」として巣立った。

萩本は素人をお笑いタレント化するのが非常に上手かっただけではなく、意外な有名人のお笑いの才能を引き出すことにも長けていた。前川清(歌手、元々はクールな二枚目キャラ)、内山田洋とクール・ファイブ(ムード歌謡グループ)、中原理恵(若手歌謡曲歌手)、真屋順子(元は正統派の舞台女優)、志賀勝(悪役俳優)など、それまでお笑いに縁がなかった面々を自分の世界に引き込み、新たな才能を育てたと言える。

その反面、萩本は自分の番組内で人気と知名度が高まった面々を、あっさりと切り捨てることも多い。萩本の番組に出演したことで強い色が付いてしまった結果、その後の俳優やタレントとしての活動に制約が生じ、完全に低迷してしまう例も多く見られた。彼らが人気と知名度を獲得したのは、多くには萩本の力によるものであるにも関わらず、自分の実力を過信してしまう例もあったと言われる。萩本の唯一の弟子とも言われる斉藤清六も、「欽どこ」出演により一時は人気を博したものの、近年テレビへの出演が少なくなっている。 一連の企画・主演バラエティ番組以外でも、1971年開始の「スター誕生!」(日本テレビ)を皮切りに、先述の「オールスター家族対抗歌合戦」(フジテレビ)では司会者として、また、1978年から現在も続いている「24時間テレビ」(日本テレビ系)と1975年に始まったラジオ・チャリティー・ミュージックソン(ニッポン放送)では初期にメインパーソナリティを勤め、番組の顔ともなった。

1985年3月、充電と称して当時のレギュラー番組をすべて打ち切り、半年間ほど休養する。理由について本人は「『100%男』と言われるまでに至った人気を維持していく事に自信がもてなくなった」と説明、また当時人気のあった「オレたちひょうきん族」などの一連のアドリブ主導のテレビ番組が嫌になったとも言われる。本人は大のアドリブ嫌いで、コント55号のコントでもアドリブを連発する坂上二郎に対し、舞台裏では「二郎さんが台本通りやってくれない」と毎回楽屋で泣いていたという逸話がある。しかし一方では齋藤太朗(日本テレビディレクター)の「台本どおりのコントをやって欲しい」との要求に対し「演者には演者としてのプライドがある」と反発し、舞台ではアドリブを連発していたとのエピソードもあり、決してアドリブを全否定していたわけではないようだ。また視聴率が下降気味であることを指摘されるようになり嫌気が差したとも本人は後に述べている。

チャップリンとの面会
萩本は1971年1月にフジテレビの番組企画で、当時スイスに隠棲していたチャップリンに面会している。これはその頃萩本が「尊敬するコメディアン」としてチャップリンの名を挙げていたことから始まったものであった。実のところ、萩本は「世界で一番有名な人だから」という程度の意識で彼の名を出していたに過ぎず、このときはチャップリン映画も2本しか見たことがなかったという。

その頃、チャップリンは誰にも面会しないと言われており、企画した側も実現するかどうか危ぶんでいたが、萩本はむしろそういう相手だからこそ会ってくれるだろうとスイスに出かけていった。萩本に与えられたスケジュールは4日間。初日は、予想通り警護の人間から「チャップリンはいないから会えない」と謝絶を受ける。翌日、車で帰宅するチャップリンと窓越しの対面を果たすが、邸内にはやはり入れなかった。3日目には、かつてチャップリンの運転手を務めた高野虎市のアドバイス(「女性なら会うだろう」「日本人が好き」というもの)に基づき、土産の博多人形を携えていくが、マネージャーから「預かりはするが、日本からの客人が置いていったとだけ伝える」という冷たい対応を受ける。そして最終日、せめて敬意を持っているという気持ちだけでも伝えたいと粘ったものの、マネージャーはやはり会わせないという返答であった。萩本が怒りと失望から、日本語で「あの(ヒューマニズムにあふれた)映画は嘘だ」などと大声で叫んでいると、それを聞いたチャップリン本人が「何事か」と出てきて暖かく迎え入れた(萩本によると、いろいろとたかりに来るような訪問者がいたため、マネージャーが来客を会わせないようにしていたという)。

この面会以後萩本はチャップリンに対して心からの敬意を抱くようになり、作品も全てきちんと見ることとなった。1977年12月、ニッポン放送のラジオ・チャリティー・ミュージックソンの生出演中にチャップリンの訃報を伝えられると、萩本は思わず泣き出した。


「欽ちゃん」と「チャップリン」が会っているとは知らなかった。完走して欲しい。
コント55号 結成40周年記念 ムービーBOX

東宝

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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
萩本欽一と坂上二郎のふたりから成る国民的コントコンビ“コント55号”の結成40周年を記念して映画出演作を収めた4枚組BOX。『~世紀の大弱点』『~人類の大弱点』『~俺は忍者の孫の孫』『~宇宙大冒険』の4作品に加え、ブックレットなども収める。
欽ちゃんのどこまでやるの! DVDボックス

ポニーキャニオン

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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
テレビ朝日系で10年にわたり放映された、萩本欽一の人気バラエティ全514回の中からベストセレクションを収めた3枚組BOX。最高視聴率42%を記録し、多くのタレントやヒットソングを輩出した同番組の名物コーナーや爆笑コントを前・中・後期に分けて収録。

内容(「Oricon」データベースより)
テレビ朝日で放送、昭和ムード漂う人気バラエティ番組がDVD-BOXで登場!萩本欽一を中心に、萩本家の暮らしの変化を“お茶の間コント”コーナーで披露し、笑いを提供してきた怪物番組。小堺一機、関根勤など今を時めくタレントを多数輩出した番組でもある。
コント55号のなんでそうなるの? DVD-BOX

バップ

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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
萩本欽一と坂上二郎から成る伝説のお笑いコンビ“コント55号”の結成40年を記念して、日本テレビで放映されたバラエティ番組をDVD化した2枚組BOX。「山彦屋」「取調べ」「キャバレーの呼びこみ」「生放送のリハーサル」ほか、珠玉のコントが味わえる。
TBS・フジテレビ・テレビ朝日合同企画 祝!結成40周年記念 コント55号 傑作コント集 永久保存版

ポニーキャニオン

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内容紹介
国民的コンビ「コント55号」の40周年記念DVD!
まさに名人芸、抱腹絶倒の“永久保存版”DVD BOX!!

<収録内容>
●Vol.1フジテレビ編(予定)●
☆『元祖コント55号の笑って笑って』(CX/1977/4/19)
 1.机 2.当たり屋 3.湯島の白梅 4.バス停 5.三つ子とり違え 6.国境線 7.土俵入り他
☆『日本初笑い大賞'79』(CX/1979/1/2)
 1.サラ金 2.交番 3.凧揚げ名人(車だん吉)4.暴力追放
☆『元祖コント55号'92』(CX/1992/10/23)
 1.霊媒師 2.寿司屋A 3.サッカー 4.兵馬が行く 5.寿司屋B 6.寿司屋C 7.帽子屋
●Vol.2 TBS・テレビ朝日編(予定)●
☆『欽ちゃん二郎さん コントで御免!』(TBS/1993 O.A)より「お坊さんの花見」
☆『新春一番!コント55号のトンヒラコッペドビダブジョ'78』(TBS/1978 O.A)より「関取とお医者さん」
☆『欽ちゃん二郎さん コントで御免!』(TBS/1993 O.A)より「野鳥の会」
☆『55号決定版』(TBS/1975 O.A)より「赤忍者と旗本退屈男」
☆『欽ちゃん二郎さん コントで御免!』(TBS/1993 O.A)より「矢ガエル」
☆『日本舞踊のお師匠さん』(テレビ朝日/2002/1/2 O.A)
☆『資料館のガイドさん』(テレビ朝日/1992/12/30 O.A)
☆『「欽どこ!」のコント55号』(テレビ朝日/1979/8/22)
☆『決戦!卓球大会』(テレビ朝日/1992/12/30 O.A)
☆『連続コント「石焼芋屋さん」』(テレビ朝日/1992/12/30 O.A)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
“欽ちゃん”こと萩本欽一と坂上二郎からなる国民的コントコンビ“コント55号”の結成40周年を記念した2枚組。フジテレビ、TBS、テレビ朝日で放映された数々の名演の中から、蔵出しの爆笑コントの数々をピックアップ。ふたりの名人芸が甦る。





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僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実

2007年05月28日 | 本・雑誌・漫画
僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実

講談社

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内容紹介
IQ136の天才少年はなぜ、自宅に火をつけたのか――。
2006年6月20日、奈良県で発生した事件は日本中を震撼させた。全国でも屈指の
進学校・私立東大寺学園高校に通う16歳少年が自宅に火をつけ逃走、焼け跡からは
少年の継母と異母弟妹の3人が遺体となって発見された。事件後、少年は中等少年院
に送られたが、事件の真相は少年法の厚いベールに包まれていまだに明らかになっていない。
著者の草薙厚子氏は、独自に入手した3000枚の捜査資料をもとに、少年と家族の実態に迫る。
警察が作成した供述調書には、少年の振り絞るような肉声が残されていた。

僕はこれまでパパから受けた嫌なことを思い出しました。パパの厳しい監視の下で勉強させられ、
怒鳴られたり殴られたり蹴られたり、本をぶつけられたりお茶をかけられたりしたことを。
なんでパパからこんな暴力を受けなければならないんや。一生懸命勉強してるやないか。
何か方法を考えてパパを殺そう。パパを殺して僕も家出しよう。自分の人生をやり直そう――。
僕はそう思うようになりました。(「第一章 計画/殺害カレンダー」より)

少年は4歳の時から、医師である父親にマンツーマンの勉強指導を受けていた。
指導はやがて鉄拳制裁とセットになり、少年は十年以上にわたって虐待に近い暴力を受け続けた。
少年はついに、父親殺害を決意する。中間テストの英語の点数が平均点に20点足りない――。
直接の引き金となったのは、ただそれだけのことだった。そして実際に犠牲になったのは、
憎んでいた父親ではなく、罪のない継母と弟妹だった。
本書には、少年が父親を殺そうと決意してから家に火をつけるまで、みずからの心の動きを赤裸々に
記した直筆の「殺害カレンダー」が掲載されている。

父親は少年が医師となることを強く望んでいた。医師となるためには良い大学に行かなければならない。
そのためには勉強を強要するのもやむをえない――。
そうしたひとりよがりの愛情が、いつしか少年を追い詰めていた。
今回の事件は、「特殊な家庭の特異な出来事」と言えるのか。過熱する受験戦争の中、
わが子を「所有物」だと思っているすべての親は、この父親の予備軍かもしれない。
本書はいま改めて、「家族のあり方」を世に問う一冊でもある。

著者について
草薙厚子(くさなぎ あつこ)
元法務省東京少年鑑別所法務教官。
地方局アナウンサーを経て、米通信社ブルームバーグL.P.に入社。テレビ部門のアンカー、ファイナンシャル・ニュース・デスクを務める。
その後、フリージャーナリストに転身し、少年事件を中心に週刊誌、月刊誌に多くの記事を発表している。講演活動やテレビ番組のコメンテーターとしても活躍中。
著書に『少年A矯正2500日全記録』(文藝春秋)、『子どもが壊れる家』(文春新書)、『追跡!「佐世保小六女児同級生殺害事件」』(講談社)などがある。



「家族という閉鎖された人間関係」で「悪のスパイラル」が起こると、親密なだけに、余計にとんでもない事が起こる可能性がある。父親自身もその父から暴力を振るわれていた。「虐待の連鎖」。怖ろしいことだ。


永遠の仔 DVD-BOX

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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
天童荒太の傑作ミステリーを、中谷美紀や渡部篤郎が共演し連続ドラマ化。親から虐待を受け児童精神病院に入院する3人が大人になって再会し、押し殺していた意識が覚醒、連続殺人が引き起こされる。全12話を収録したDVD-BOX。

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