「山田太一」という脚本家が大好きだった。『ふぞろいの林檎たち』『男たちの旅路』『獅子の時代』・・・数え切れないくらい山田太一のドラマを観、脚本集を読んだ。僕がドラマのプロデューサーになりたいと思ったきっかけはまさに「山田太一ワールド」をオンタイムで観た事に尽きると思う。
なおかつ、小説家としての「山田太一」も大好き。全部の著書を読破している。
ただ、ここ何年か、スペシャルドラマで「山田太一・作」というものが放送され、録画したりはしていたが、何故か観る気になれなかった。「淡過ぎて」というのが素直な意見かもしれない。
今日は録画予約していたが、早く帰宅できたので、オンタイムで観た。良かった。凄く「行間のあるドラマ」だと思った。渡辺謙、玉木宏、国仲涼子・・・それぞれ凄くハイレベルな芝居を脚本は要求しており、その「玉虫色の様でダイヤモンドの輝きを内臓するキャラクター」を見事に演じきっていた。山田太一脚本の「独特の台詞回し」も「倉本聡」にもある様に、心に気持ち良く染み渡っていった。
今、分かり安すぎるドラマが多いと思う。自ら「遊び」を考えたり、たくさんの本を読んで「情景」を想像したり、人と人が自然に触れ合ったりできるという「子供時代」を経験できたのは、1960年生まれの僕らの世代くらいまでなのではないだろうか?
商品化され、提供されるDSソフトやコミックス、「人間関係を構築できない社会」の中で、子供達は想像力を失い、「行間を読んだり」「人の気持ちの微妙な変化を感じたり」する能力も失いかけている様な気がする。
自分の母親を殺し、首と右腕を切断し、カラオケを歌って、DVDをインターネットカフェで観て、「母親の首を持って自首する」・・・そんな少年を出す様な素地は「昭和」の時代には無かった。
このドラマは「今の社会はこれでいいのか?」という強いメッセージをそ知らぬ顔で発信していた。オンタイムで観られて良かった。明日は次男の運動会。また、僕はカメラを2台持って運動場を走り回っている事だろう。明日は晴れ。暑くなりそうだ。
一つ、『ふぞろいの林檎たち』で全編にサザン・オールスターズの曲を使っていて、ドラマのストーリー、映像とのコラボレーションに当時感動したものだ。初代のプロデューサーで亡くなられた片島謙二が強く提案し、先輩の演出家(多分、鴨下一郎、井下康央)がその熱意に押し切られて、サザンの曲を使ったというエピソードがあった事を付記しておこう。これは、『ふぞろいの林檎たち』の最初のシーズンから最後までスタッフの一員としてドラマを作った人から聞いた話だから、まず間違いは無いだろう。
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
学歴社会にそびえる壁を、四流大学に通う大学生の姿を通して描いた青春群像劇の第1巻。寺山修司の舞台に出演していた高橋ひとみのTVドラマデビュー作で、脚本は山田太一が担当。第1話「学校どこですか」第2話「恋人がいますか」を収録する。
内容(「Oricon」データベースより)
1983年(昭和58年)5月27日~7月29日までTBSで放送された、四流大学生たちの日常を等身大に描いたドラマ・シリーズ第1弾。劇中にはサザンオールスターズの曲も数々使用された。第1、2話収録。
一番好きな小説は↓最高に面白い!!!!!超オススメ。
内容(「BOOK」データベースより)
右足骨折で入院中の、人生に疲れ果てた中年男が、病室の衝立越しに出逢った女と不思議な一夜を過ごす。それからしばらくして彼女と再会したとき、驚くべき奇跡が起こっていた―。孤独を知り尽くした中年の男と、時間の流れに逆行して生きる女との激しい愛の日々。しかし2人で同じ夢を見ることはできない…。男と女の切ない愛と孤独を、ファンタジックに描いた感動の長編小説。
山田 太一(やまだ たいち、1934年6月6日 - )は、日本の男性脚本家、小説家。本名は石坂 太一(いしざか たいち)。東京都台東区浅草出身。
略歴
神奈川県立小田原高等学校を経て、1958年早稲田大学教育学部を卒業。
松竹に入社後、木下恵介監督に師事する。
1965年に退社してフリーのテレビドラマ脚本家になった。
1970年代には倉本聰、向田邦子と共に「シナリオライター御三家」と呼ばれていた。
最近は映画の脚本、戯曲、小説の執筆でも活躍している。
1988年には『異人たちとの夏』で山本周五郎賞を受賞。
人物
最近は映画の脚本、戯曲、小説の執筆でも活躍している。
娘は、フジテレビジョン編成制作局ドラマ制作センター副部長・宮本理江子。ドラマや映画の演出を手がけている。
代表作品
テレビドラマ
『二人の世界』(TBS、1970年)
『藍より青く』(NHK総合、1972年)
『男たちの旅路』(NHK総合、1976年)
『高原へいらっしゃい』(東京放送、1976年)
『岸辺のアルバム』(東京放送、1977年)
『沿線地図』(東京放送、1979年)
『獅子の時代』(NHK総合、1980年)
『想い出づくり』(東京放送、1981年)
『終りに見た街』(テレビ朝日、1982年·2005年)
『早春スケッチブック』(フジテレビジョン、1983年)
『夕暮れて』(NHK総合、1983年)
『ふぞろいの林檎たち』(東京放送、1983年~1997年)
『日本の面影』(NHK総合、1984年)
『職員室』(NHK総合、1984年)
『シャツの店』(NHK総合、1986年)
『時にはいっしょに』(フジテレビジョン、1986年)
『友だち』(NHK総合、1987年)
『夢に見た日々』(テレビ朝日、1989年)
『丘の上の向日葵』(東京放送、1993年)
『ながらえば』(NHK総合、1982年)
『冬構え』(NHK総合、1985年)
『今朝の秋』(NHK総合、1987年)
映画
『少年時代』(東宝、1990年)
戯曲
早春スケッチブック(地人会制作)
砂の上のダンス(地人会制作)
あかるい郊外の店(地人会制作)
ラブ(地人会制作)
ほか
著書・一例
路上のボールペン
いつもの雑踏いつもの場所で
飛ぶ夢をしばらく見ない
異人たちとの夏
丘の上の向日葵
沿線地図
君を見上げて
彌太郎さんの話
その他
劇作家の寺山修司は、大学の同窓であり、在学中影響を受けたという。寺山作品である映画、『夕陽に赤い俺の顔』『わが恋の旅路』(松竹)では、山田太一が助監督を務めている。
賞歴
エランドール賞特別賞(1980年)
第2回向田邦子賞(1983年度)
第33回菊池寛賞(1985年)
第14回日本アカデミー賞優秀脚本賞、最優秀脚本賞(1991年)
山田太一公式ホームページがあった。何故か、英語!!!→http://www.yamadataichi.com/
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/fuki_suki.gif)
なおかつ、小説家としての「山田太一」も大好き。全部の著書を読破している。
ただ、ここ何年か、スペシャルドラマで「山田太一・作」というものが放送され、録画したりはしていたが、何故か観る気になれなかった。「淡過ぎて」というのが素直な意見かもしれない。
今日は録画予約していたが、早く帰宅できたので、オンタイムで観た。良かった。凄く「行間のあるドラマ」だと思った。渡辺謙、玉木宏、国仲涼子・・・それぞれ凄くハイレベルな芝居を脚本は要求しており、その「玉虫色の様でダイヤモンドの輝きを内臓するキャラクター」を見事に演じきっていた。山田太一脚本の「独特の台詞回し」も「倉本聡」にもある様に、心に気持ち良く染み渡っていった。
今、分かり安すぎるドラマが多いと思う。自ら「遊び」を考えたり、たくさんの本を読んで「情景」を想像したり、人と人が自然に触れ合ったりできるという「子供時代」を経験できたのは、1960年生まれの僕らの世代くらいまでなのではないだろうか?
商品化され、提供されるDSソフトやコミックス、「人間関係を構築できない社会」の中で、子供達は想像力を失い、「行間を読んだり」「人の気持ちの微妙な変化を感じたり」する能力も失いかけている様な気がする。
自分の母親を殺し、首と右腕を切断し、カラオケを歌って、DVDをインターネットカフェで観て、「母親の首を持って自首する」・・・そんな少年を出す様な素地は「昭和」の時代には無かった。
このドラマは「今の社会はこれでいいのか?」という強いメッセージをそ知らぬ顔で発信していた。オンタイムで観られて良かった。明日は次男の運動会。また、僕はカメラを2台持って運動場を走り回っている事だろう。明日は晴れ。暑くなりそうだ。
一つ、『ふぞろいの林檎たち』で全編にサザン・オールスターズの曲を使っていて、ドラマのストーリー、映像とのコラボレーションに当時感動したものだ。初代のプロデューサーで亡くなられた片島謙二が強く提案し、先輩の演出家(多分、鴨下一郎、井下康央)がその熱意に押し切られて、サザンの曲を使ったというエピソードがあった事を付記しておこう。これは、『ふぞろいの林檎たち』の最初のシーズンから最後までスタッフの一員としてドラマを作った人から聞いた話だから、まず間違いは無いだろう。
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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
学歴社会にそびえる壁を、四流大学に通う大学生の姿を通して描いた青春群像劇の第1巻。寺山修司の舞台に出演していた高橋ひとみのTVドラマデビュー作で、脚本は山田太一が担当。第1話「学校どこですか」第2話「恋人がいますか」を収録する。
内容(「Oricon」データベースより)
1983年(昭和58年)5月27日~7月29日までTBSで放送された、四流大学生たちの日常を等身大に描いたドラマ・シリーズ第1弾。劇中にはサザンオールスターズの曲も数々使用された。第1、2話収録。
一番好きな小説は↓最高に面白い!!!!!超オススメ。
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内容(「BOOK」データベースより)
右足骨折で入院中の、人生に疲れ果てた中年男が、病室の衝立越しに出逢った女と不思議な一夜を過ごす。それからしばらくして彼女と再会したとき、驚くべき奇跡が起こっていた―。孤独を知り尽くした中年の男と、時間の流れに逆行して生きる女との激しい愛の日々。しかし2人で同じ夢を見ることはできない…。男と女の切ない愛と孤独を、ファンタジックに描いた感動の長編小説。
山田 太一(やまだ たいち、1934年6月6日 - )は、日本の男性脚本家、小説家。本名は石坂 太一(いしざか たいち)。東京都台東区浅草出身。
略歴
神奈川県立小田原高等学校を経て、1958年早稲田大学教育学部を卒業。
松竹に入社後、木下恵介監督に師事する。
1965年に退社してフリーのテレビドラマ脚本家になった。
1970年代には倉本聰、向田邦子と共に「シナリオライター御三家」と呼ばれていた。
最近は映画の脚本、戯曲、小説の執筆でも活躍している。
1988年には『異人たちとの夏』で山本周五郎賞を受賞。
人物
最近は映画の脚本、戯曲、小説の執筆でも活躍している。
娘は、フジテレビジョン編成制作局ドラマ制作センター副部長・宮本理江子。ドラマや映画の演出を手がけている。
代表作品
テレビドラマ
『二人の世界』(TBS、1970年)
『藍より青く』(NHK総合、1972年)
『男たちの旅路』(NHK総合、1976年)
『高原へいらっしゃい』(東京放送、1976年)
『岸辺のアルバム』(東京放送、1977年)
『沿線地図』(東京放送、1979年)
『獅子の時代』(NHK総合、1980年)
『想い出づくり』(東京放送、1981年)
『終りに見た街』(テレビ朝日、1982年·2005年)
『早春スケッチブック』(フジテレビジョン、1983年)
『夕暮れて』(NHK総合、1983年)
『ふぞろいの林檎たち』(東京放送、1983年~1997年)
『日本の面影』(NHK総合、1984年)
『職員室』(NHK総合、1984年)
『シャツの店』(NHK総合、1986年)
『時にはいっしょに』(フジテレビジョン、1986年)
『友だち』(NHK総合、1987年)
『夢に見た日々』(テレビ朝日、1989年)
『丘の上の向日葵』(東京放送、1993年)
『ながらえば』(NHK総合、1982年)
『冬構え』(NHK総合、1985年)
『今朝の秋』(NHK総合、1987年)
映画
『少年時代』(東宝、1990年)
戯曲
早春スケッチブック(地人会制作)
砂の上のダンス(地人会制作)
あかるい郊外の店(地人会制作)
ラブ(地人会制作)
ほか
著書・一例
路上のボールペン
いつもの雑踏いつもの場所で
飛ぶ夢をしばらく見ない
異人たちとの夏
丘の上の向日葵
沿線地図
君を見上げて
彌太郎さんの話
その他
劇作家の寺山修司は、大学の同窓であり、在学中影響を受けたという。寺山作品である映画、『夕陽に赤い俺の顔』『わが恋の旅路』(松竹)では、山田太一が助監督を務めている。
賞歴
エランドール賞特別賞(1980年)
第2回向田邦子賞(1983年度)
第33回菊池寛賞(1985年)
第14回日本アカデミー賞優秀脚本賞、最優秀脚本賞(1991年)
山田太一公式ホームページがあった。何故か、英語!!!→http://www.yamadataichi.com/
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