お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

急逝のZARD・坂井泉水さんに1200人超えるファンが献花

2007年05月30日 | 歌・CD
 ZARDの坂井泉水さん(享年40、本名・蒲池幸子、写真)の突然の訃報から一夜明けた29日、坂井さんの通夜が都内の斎場で密葬として営まれた。東京・六本木の所属事務所には1200人を超えるファンが献花に訪れ、早すぎる死を悼んだ。また、ZARDのCDが全国のレコード店から消える事態も発生。来月27日には東京・青山葬儀所でファンに向けた「ZARD/坂井泉水さんを偲ぶ会」を執り行うことも決まり、音楽葬で坂井さんを天国へ送る。
 

 26日早朝に非常用スロープ(高さ約3メートル)から転落し、翌27日に脳挫傷で急逝した坂井さん。突然の訃報は全国のファンに衝撃を与えた。

 一夜明けた29日、東京・六本木の所属事務所、ビーイングでは午前7時から入り口を開放。出勤前のサラリーマンやOLらが事務所玄関に設けられた献花台に花を供え、記帳した。遺影を前に号泣するファンも続出。記帳の列は正午過ぎからさらに増え始め、夕方になると仕事帰りのファンが長蛇の列をなした。同社によると、この日午後8時までで1200人を超え、大阪の同社本社と合わせると28、29日の両日で2000人を数えた。


 音楽チャートでも“ZARD異変”が起こった。28日付オリコン・デイリーアルバムランキングで、前日まで100位圏外だった最新ベスト盤「Golden Best~15th Anniversary~」(昨年10月発売)が一気に6位へ再浮上。同盤のトップ10入りは約半年ぶりだった。また、最後のオリジナルアルバム「君とのDistance」が53位、他の2枚のベスト盤は64位、95位に急上昇し、100位以内に4作も同時ランクインした。

 訃報を聞いたファンが買い求めたためで、全国のレコード店でZARDのシングル、アルバムの在庫が底をつく事態が発生。所属レコード会社のビーグラムには「至急出荷してほしい」との問い合わせが殺到し、急ピッチで追加注文のプレスに追われた。

 東京・信濃町の慶応大病院から同・町田市の実家に無言の帰宅をした坂井さんの遺体は29日午後2時半過ぎ、実家近くの斎場へと運ばれた。通夜は同6時から約1時間、十数人の近親者のみでしめやかに営まれた。関係者によると、遺影にはZARDのアーティスト写真が使われた。告別式は30日、同所で密葬として営まれる。音楽関係者や友人には、来月27日に青山葬儀所で執り行われる「坂井泉水さんを偲ぶ会」に参列してもらうよう勧めたという。

 また、「-偲ぶ会」はZARDのヒット曲を流す音楽葬になることが決定。坂井さんは日本中の人々を励まし、心の支えとなった自身の歌声で天国へと送られる。最後の別れを告げるために、全国からファンが集まりそうだ。


◆記帳に訪れたデビュー以来のファンの30代男性会社員
「今でも信じられません。これだけの人が集まっているのは、多くのファンに愛された証拠。あまりに早すぎる死が残念でなりません」


★大黒摩季「『戦友』だった…」
 1990年代、ZARDとともにビーイング系サウンドを牽引した歌手、大黒摩季(37)は、28日付のブログで坂井さんへの追悼コメントを発表。「彼女を心から尊敬し、同じ時代をともに過ごした戦友でもあり、この突然の悲報に胸が詰まる思いでいっぱいです。病気の痛み苦しみから解放され、どうか安らかにお眠りくださいますよう心からのご冥福をお祈りしています」とつづり、故人をしのんだ。
(サンケイ・スポーツより引用)


僕も坂井泉水さんの訃報を聞いてから、心の奥に「強い悲しみ」を抱えたまま、仕事をしている。記帳に行きたいと強く思った。植木等さんの「お別れの会」にも行きたかった。もちろん、おふたりと何の面識も無いが、植木さんは「笑い」で、坂井さんは「歌声」で、僕を勇気づけてくれた。



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前代未聞の“未完成披露”!石原真理子、試写会でまたもお騒がせ

2007年05月30日 | 映画・DVD・ビデオ
初メガホンを取った石原真理子(左)と後藤理沙。前代未聞の“未完成披露”試写会となった=東京・東新橋(撮影・戸加里真司)
 元祖“プッツン女優”石原真理子(43)の初監督映画「ふぞろいな秘密」(6月16日公開)の完成披露試写会が29日、東京・東新橋のFS汐留で行われた。同映画は石原とスタッフの意見の食い違いから、土壇場で再編集。舞台あいさつで石原は「完成の4歩手前です」と説明するなど、前代未聞の“未完成披露”となった。


 暴露本出版やストーカー事件など、数々のトラブルを引き起こした石原の初メガホン作は、期待に違わず?“お騒がせ”となった。

 完成披露試写会での舞台あいさつという、晴れの場に立った石原だが、冒頭から製作スタッフへの不満をペラペラ。「プロデューサーが音信不通になり、フィルムを勝手に焼かれて(完成品とされて)しまいました」。

 自伝本の映画化ということもあり、気合の入っていた石原。恋人に暴力を振るわれた場面での救急車の音などの効果音をめぐり、フィルム納期だった4月27日ギリギリまで、笠原正夫プロデューサーらと折衝を続けたが、石原の望む形にならないまま納品された。

 納得いかない石原は数百万円の私費を投じて再編集に取り組んだ。編集作業は終了したものの、フィルムの焼き付けはこの日の試写会には間に合わず、“不満ありバージョン”が上映された。

 石原は「きょういらっしゃった方はある意味ラッキー。仕上がりは完成の4歩手前ですが、本番でどこが変わったか、間違い探しを楽しんでください」と奇妙な論理で押し通した。

 舞台あいさつ終了後の会見でも、元祖“プッツン女優”の面目躍如。報道陣から「いろいろとトラブルが起こるが」と突っ込まれると、「キレイで、才能があって、頭がいいと、イジめられるんです」と“怪答”して笑わせた。

 出演者の石原に対する評価も微妙。20代の石原を演じた後藤理沙(23)と恋人役の河合龍之介(24)は「役者目線の監督でやりやすかった」と話したが、10代の石原役の堀澤かずみ(17)には「『ヨーイ』とか『カット』ちゃんとやっていた」と妙なほめられ方をした。

 山あり谷ありのデビューを飾った石原。次回作への意欲を問われると、「現在、短編の恋愛小説を書いています。映画ならSFをやりたい。スピルバーグみたいな」。際限なく野望はふくらむようだった。


■あらすじ
 中学生のころ、両親の離婚を経験した石原マリコ(堀澤、後藤)は芸能界入りするとまたたく間にトップ女優となる。妻のいるミュージシャン、山置洋二(河合)と運命的な恋に落ちるが、山置は次第に暴力をふるうようになり…。


★河合との関係は?「ウフフ」

 一部で熱愛が報じられた石原と河合の関係について、河合は「いろいろ言われていますが、監督と役者として良好な関係です」とかわしたが、石原は「ウフフ」と笑うだけで肯定も否定もしなかった。

 映画関係者は「石原の方は熱を上げているようだが、河合にはその気はなく、表と裏の態度を使い分けている」と解説。米国留学中に2人の男性へのストーカー行為で服役したことのある石原だけに、片思いが暴走しならなければいいが…。
(サンケイ・スポーツより引用)


「ふぞろいの林檎たち」の頃は普通の女優さんに見えたが・・・こんなに変わるとは。男優さんで「変わっている人」もいるが、そういう男優さんは元々「変わっている」のだ。「変化」する事は無い。
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紀香&陣内サプライズ披露宴

2007年05月30日 | テレビ番組
 女優の藤原紀香(35)とお笑いタレント、陣内智則(33)夫妻がきょう30日夜、神戸市のホテルオークラ神戸で披露宴を開く。2人の地元にちなんだ豪華な晩餐がふるまわれるパーティーは、午後7時から日本テレビ系で2時間半にわたって生中継。“視聴率対策”のサプライズも、さまざま仕掛けられている。

 【豪華な晩餐】

 新郎の陣内は、同局系で放送される披露宴の“番宣”を自ら買って出る芸人根性で、この日朝からワイドショー「スッキリ!!」をはじめ、自身が司会を務める読売テレビの「なるトモ!」と、日テレの「ラジかるッ」などに、それぞれ中継で出演。紀香からは「(番組出演を)頑張ってメールが来た」と明かし、「とくに緊張していません」とにこやかに話した。

 披露宴には、紀香の希望で、「料理の鉄人」として知られる坂井宏行さん(65)も参加したフランス料理を用意。2人で試食をして吟味したという主な晩餐メニューは、次の通り。

 蝦夷アワビとゴボウのピューレのエレガントなハーモニー▽伊勢海老と神戸神出産有機人参海草のジュレの輝き▽明石天然鯛の巻きもの▽淡路由良のウニ十三穀米のリゾット▽加古川産小松菜ソースとアメリケーヌの彩り▽“こころにおいしいごはん”丹波篠山米と南高梅まぐろとアボカド、明石鯛

 【破局寸前?!】

 この日に合わせ引き出物として紀香の告白本が用意された。結婚の経緯を初めて明かした著書『紀香魂』(幻冬舎)。
紀香魂―ハッピー・スピリット

幻冬舎

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 それによると、幸せの絶頂だったはずの2月17日の挙式10日前に、2人は険悪な関係になった。陣内が出演番組で2人の交際内容をしゃべりすぎた。紀香は「女性として、とても傷つく内容だった」ことから、その夜、陣内を電話で問いつめ、「別れましょう」と切り出した。メールアドレスも、携帯番号も変えた。紀香は円形脱毛症もできるほどのマリッジブルーになったことも。

 結局、陣内が「僕が好きになって結婚したいと思った人は『女優藤原紀香』じゃないから」と打ち明け、事態は収束したそうだ。

 【目玉ゲストは…】

 披露宴は同ホテル最大の「平安の間」に約700人の招待客を予定。気になるゲストには、一時、来日中のキャメロン・ディアス(34)もうわさされたが、ビデオメッセージに。関係者によると、「紀香と番組を通じ親交があったK-1戦士の何人かが、サプライズゲストとして呼ばれている」という。

 司会は数多くの有名人披露宴を経験してきた徳光和夫さん(66)。あいさつには、島田紳助(51)や、宇津井健(75)、舘ひろし(57)らが立つ。

 また、郷ひろみ(51)は結婚の定番ソング「お嫁サンバ」を熱唱して祝福する。

 【視聴率どうなる?】

 注目の平均視聴率は、どこまで伸びるか。

 「日テレ内では、この日のために“陣内・藤原・結婚”の頭文字から取ったJFKのコードネームで会議が繰り返され、大物ゲストの招待や演出など練りに練ってきた。最近で高視聴率だった谷佳知・田村亮子夫妻の披露宴の17.2%(関東地区、ビデオリサーチ)は何としても超えたいところ」と局関係者は語るが…。


【主な有名人の結婚披露宴中継と平均視聴率】
85年 6月24日 神田正輝・松田聖子 テレ朝/34.9%
86年10月 1日 森進一・森昌子 日テレ/45.3%
87年 6月12日 郷ひろみ・二谷友里恵 フジ /47.6%
01年 2月26日 野口五郎・三井ゆり 日テレ/13.4%
02年11月22日 小室哲哉・KEIKO TBS/15.5%
03年12月20日 谷佳知・田村亮子 日テレ/17.2%
※氏名は当時。数字はビデオリサーチ調べ、関東地区
(ZAKZAKより引用)



とても温かな「披露宴」だった。二時間半の放送時間では「どんな人が出席しているのか?」が分かり辛かった。ただ、二時間半より長いと「テレビ番組」としてはダレるかもしれない。陣内智則のピアノを弾きながら、歌を熱唱するところは盛り上がったが、「ピアノを弾く手のアップ」が最初のワンカットしか無かったのは・・・何故?絶対音感のある嫁さんが「ほんとに弾いているの!?」とつぶやいた。

明日出る視聴率、関西は30%、関東は23%と予想!


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お父さんは神経症―大原さんちのムスコたち

2007年05月30日 | 病院・薬・病気
お父さんは神経症―大原さんちのムスコたち

文藝春秋

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大原さんちのダンナさん―このごろ少し神経症

文芸春秋

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内容(「MARC」データベースより)
「指が油で汚れるとさ、発狂しそうにならない?」 うっかり結婚した夫は「神経症」!? わたしの結婚生活って天国? それとも…? 結構たいへん、でも意外と楽しい2人の暮らしを描いたコミックエッセイ。

大原さんちのムスコさん―子どもが天使なんて誰が言った!?

文藝春秋

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内容(「BOOK」データベースより)
神経症のダンナさんに超神経質な子どもができた。ダンナとムスコに振り回される日々を描いたコミックエッセイ。

内容(「MARC」データベースより)
生まれてきた子どもは、神経症のダンナさんにそっくりの超神経質息子だった! ダンナに加えて息子にまで振り回される、ユキコの受難の日々を描いたコミックエッセイ第2弾。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大原 由軌子
長崎県佐世保市出身。1970年生まれ。短大卒業後、グラフィックデザイナーとして14年間、都内に勤務(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



この著者のダンナは僕にそっくり。僕も「油で指が汚れたら、すぐに手を洗うか、ウェットティッシュで完全に拭き取る」まで、心が不安定になる。
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「鉛筆」の歴史を調べてみた。

2007年05月30日 | 教育・学校
歴史
古代、文字は鉛を動物の皮などにこすって記述した。のちに、細長い鉛と錫の合金(ハンダ)を用い、外側に木軸を巻きつけた、現在の鉛筆の原型がつくられた。これと同じ原理のものは、現在も美術家が使用している。やがて芯の部分が黒鉛に変わり、削って使うようになったことで現代の鉛筆の原型ができあがったと言える。

黒鉛を使った鉛筆が最初に記述に現れるのは、1565年、スイスのドイツ系博物学者コンラート・ゲスナー(Konrad Gesner)の『とくに石と岩にふくまれる化石の形とイメージについて』である。ゲスナーが使用した鉛筆の本体は丸い筒状の木でできており、先端に黒鉛の小さな塊を詰めるものだった。黒鉛がなくなると新しいものを詰めた。本に記載するくらいには珍しかったようだが、記述によればゲスナー自身はしばらく前からこの道具を使っていた。野外で化石を記録する際、インクつぼの不要な鉛筆はゲスナーにとって大変に便利なものであった。

16世紀の終わりには、イギリスのボローデールでカンバーランド黒鉛鉱が発見され、鉛筆が作られるようになった。ゲスナーのものも、芯はカンバーランド産黒鉛である可能性が高い。1610年までには、ロンドンの市場で鉛筆は普通に売られていた。初期のものはゲスナーの使ったもののような、木や金属で作った軸の先に、黒鉛の塊を詰めるものだった。黒鉛を木ではさんだり、針金で巻いたようなものも実在した。

2枚の細長い木の板の間に、芯となる細長い黒鉛の棒をはさんで固定した、現代のように削って使用する鉛筆は、1616年までに発明された。

記録に残るこの種の鉛筆の最初の製造業者は、ドイツのニュルンベルクに住むフリードリッヒ・ステッドラー(Friedrich Staedtler、後のステッドラー社の創業者の先祖にあたる)で、1662年に町当局に鉛筆製造許可願いを出したが、町はこの仕事は指物師のものだとして却下した。しかし、1675年には、ステッドラーと同業者は、鉛筆製造業者のギルドを作ることが許されるようになっていた。

削って使う鉛筆は当初、芯は四角く、軸は8角形だった。ただし、初期は指物師が鉛筆を作ったので、製造者によっては丸や6角形のものを作った者もいる。長さは6インチまたは7インチで、幅と厚さは1/3ないし1/2インチだった。現代のものと大差ない。

黒鉛はイギリス特産で、この時代、鉛筆はイギリス産のものが多く使われた。また、輸出産業を保護するため、しばしばイギリスは黒鉛を禁輸にし、完成品の鉛筆のみを輸出する政策をとった。イギリスの黒鉛鉱は19世紀までに掘り尽くされ、現在では中国、ブラジル、スリランカなどで地下から黒鉛を採掘している。初期の鉛筆は、芯は途中までしか詰められなかった。末端部分まで削ってしまうと持てなくなるので、捨てる部分には最初から芯を入れなかったのである。この工夫は19世紀まで続いた。

鉛筆が普及し、黒鉛が不足すると、黒鉛を節約し、黒鉛くずも活用する方法が考えられた。最初の着想は1726年までにドイツで実現された。黒鉛くずと硫黄をまぜて溶かし、固めるというものだったが、筆記時に引っかかりが生じて滑らかな筆記性に欠け、のちにカルノー式鉛筆が登場するとすぐに消えた。

20世紀の終わりに、日本で伊達政宗の墓所・瑞鳳殿から鉛筆が発見された。これはゲスナーの使ったのとほぼ同じ構造だったが、芯は練って作ってあった。政宗の鉛筆は1636年までには製造されていたと考えられるため、練って作る芯の使用は少なくとも90年はさかのぼることになった。

日本には、17世紀に製造された鉛筆として、政宗の鉛筆のほか、徳川家康の鉛筆も残っている。これについては後述する。

1770年に消しゴムが発明された(詳細は消しゴムの記事を参照)。

1793年、イギリスとフランスの間で戦争がおきると、フランスに黒鉛と鉛筆が輸入できなくなった。戦争大臣のラザール・カルノー(Lazare Carnot)は、技師のニコラ・ジャック・コンテ(Nicholas Jacques Conte)に代替品の開発を命じた。1795年、コンテは、黒鉛と粘土を混ぜて焼いて作る、現在と同じしくみの芯を開発した。カルノーの開発した方法では、黒鉛が非常に節約でき、また黒鉛くずも利用できた。更に、粘土の量によって書く文字の色の濃さも変化させることができるようになった。

アメリカのハイマン・リップマン(Hyman L. Lipman)は、1858年3月30日、消しゴムをニカワで鉛筆に固定させる消しゴム付き鉛筆を発明した。リップマンはこの特許をジョセフ・レケンドーファー(Joseph Reckendorfer)に10万ドルで売り莫大な富を築いた。エヴァーハード・ファーバー(Eberhard Faber)はこの特許の前に、金属片を押し付けて鉛筆に消しゴムをつける方式を考案し、別に特許をとった。この2者の間で特許紛争となったが、連邦最高裁は、消しゴムつき鉛筆自体に新規性が認められないとし、両方の特許を無効とする判決を下した。

鉛筆削りは19世紀の終わりに発明された。ポケットに入れられる小さなものが若干早く市場に出た。机に設置する大きなものは少し遅れて開発された。当初は、ハンドルを回すことによってヤスリが回転するというしくみだった。

1870年代までは、鉛筆の芯は四角のままだった。また、19世紀中ごろまでは、鉛筆の形も8角形のものが主流で、外見は17世紀のイギリスのものからほとんど変化しなかった。19世紀末までには、鉛筆の形は丸、6角形または3角形になり、芯も丸くなった。8角形で芯が四角いものは、工程上、芯が中央からずれる場合があり、その場合鉛筆削りではうまく削れなかったのでしだいに消えていった。3角形のものは製造工程の都合上安価にできず、あまり普及しなかった。

イギリスの次に鉛筆生産国になったのはドイツだった。20世紀初期まで、主な鉛筆輸出国はドイツだった。しかし、第一次世界大戦が起きるとドイツ製鉛筆が入手できなくなり、1915年ごろからは日本製のものが世界で使われた。ただし、日本製のものは両端にしか芯のないキセル鉛筆など粗悪品が多く、国際的には評価が低かった。第一次大戦が終わると日本製品の輸出は極端に低下した。

しばらくはドイツと日本が主な鉛筆製造国だったが、第二次世界大戦の影響で、1940年代はどちらの国も輸出がほぼ止まった。

印刷付き鉛筆は、1949年、日本のトンボ鉛筆が最初に製造した。これ以前は印字は箔押しであった。精巧な曲面印刷技術を用いたものは、1951年までに、日本の伊藤意匠研究所(現在のいとう鉛筆意匠)創業者伊藤一喜と本多鉛筆印刷の本多信によって始められた。これにより、社名等を印字した贈答用鉛筆が多く作られるようになった。


日本の鉛筆の歴史
17世紀初頭に使われた徳川家康と伊達政宗の鉛筆が保存されている。ただし、定着しなかった。本格的に輸入が始まるのは19世紀後半、明治時代になってからだった。明治初期の日本では鉛筆は珍しく、東京や横浜の輸入品専門店で少量が売られるのみだった。

日本での鉛筆製造は、1874年、ウィーンで鉛筆製造技術を学んで戻った2名の政府伝修生井口直樹と藤山種重によって製造法がもたらされ、同年、小池卯八郎によって始められたとされる。小池の製造は1890年までは続いたがその後記録がない。このほかにも若干の製造者がいた。現在まで続く製造業者は後述する真崎鉛筆製造所が最も古い。

このほか、安政年間に仙台の士族樋渡源吾が少量の鉛筆を生産し売ったという記録もある。

日本で最初の鉛筆の量産は、1887年、東京の新宿で、真崎鉛筆製造所(現在の三菱鉛筆)創業者・真崎仁六(まさき にろく)によって開始された。なお、三菱財閥とこの会社は昔も今も全く関係がなく、「三菱マーク」は真崎鉛筆が最初に使用し、後から三菱財閥が許可をとり使用した。日本では長く文書を毛筆で書くしきたりがあり、鉛筆の普及は遅れた。1885年、英語教育に関する書籍が相次ぎ発刊され、同年、大量の鉛筆がアメリカから輸入された。この頃から学校では徐々に鉛筆が使われはじめるようになった。

1901年に、逓信省(現在の日本郵政公社)が真崎鉛筆を採用。郵便局内のみとはいえ、全国に鉛筆が供給されるようになった。この後1920年までに小学校で毛筆から鉛筆への切り替えが順次行われ、一般生活に深く浸透するようになったと考えられている。

第一次世界大戦中の、1915年ごろから輸出が本格化。日本の主要輸出品の1つになった。ただし質が悪く、大戦終了後に輸出は激減する。1940年代は第二次世界大戦の影響で輸出がほぼ停止した。輸出は大戦後に復活し、現在に至る。

近年は、学齢人口の減少、シャープペンシルの利用増、ワープロ・パソコンの普及などが原因で鉛筆の需要は大きく落ち込んでいる。

雑貨統計によれば、日本の輸出量は1950年ごろが最大で188万グロス。1997年は45万グロス。日本製鉛筆の生産高は1966年ごろが最大で962万グロス。1997年は367万グロスであった。

1998年には、労働省が「事務用品の買い控えによる生産量の減少」を理由として鉛筆製造業を「雇用調整助成金の指定業種」に指定した。


徳川家康の鉛筆
1616年に死んだ徳川家康の鉛筆は、現存する日本で最も古い鉛筆で、削る種類のものである。

鉛筆は、久能山東照宮で、硯箱に入った状態で発見された。硯箱は1664年に作られた宝物目録『具能山御道具之覚』に記載があるが、鉛筆の記載はない。硯箱に入っていたことから、家康のものとされる。

大きさは、長さ11.7cmで芯の長さは6cm、先端は削ってあり、太さ0.7cm、重量6g。産地は日本ではなく、黒鉛、軸木ともに外国産だが、産地ははっきりしない。黒鉛はメキシコ産に質が似ている。軸木は、中米かフィリピン産。製品そのものは、ヨーロッパ製である可能性が高いと考えられている。


伊達政宗の鉛筆
鉛筆は、政宗の墓地である瑞鳳殿の発掘調査団長・伊東信雄により発見された。政宗の鉛筆は、先端に黒鉛の塊を詰めるもので、原理的にはゲスナーの使用したものに近い。

政宗は1636年に死んだ。副葬品の中から見つかったため、政宗の愛用品であったと考えられている。

発掘は1974年に行われ、鉛筆は発掘品の中から1988年に発見された。全長7.4cm、太さ0.4cm、芯は先に詰めてあり、芯の長さ1.3cm、最大直径0.43cm。キャップがついていた。キャップは木製で長さ3.0cm、直径0.6cm。鉛筆はさらに木筒に収められた状態で発見された。軸の素材はササで、日本産かその近種。芯は何かで固めてあるが、当時ヨーロッパで使われたと考えられる硫黄やアンチモンは検出されなかった。黒鉛の産地は不明。

輸入品の鉛筆を愛用した政宗が、配下のものに命じて自分の使いやすいものを作らせた可能性がある。

政宗の鉛筆は発掘後極端に風化し、現在は原型をとどめていない。ただし、完全に風化する前に複製品が2つ作られている。


俗説
一般的な形状が六角柱であるのは、しばしば発明の例として「円柱では机の上で転がってしまうから、六角柱が発明された」というような説明がなされることがある。これは誤りであり、実際には製造法が理由である。

「鉛筆」という名称や、鉛筆の芯の材料の「黒鉛」の物質名から、「鉛筆には鉛が使われている」と信じている者があるが、これも誤りである。実際の黒鉛は炭素の結晶であり、近代以降の黒鉛鉛筆に重金属は用いられていない(ただし、塗装に使用されたことはある)。



中学受験で塾に通っていた昭和45年頃、金持ちの子供は「三菱鉛筆Hi-Uni(1本100円)」を使っていた。次に高かったのが「Uni(1本50円)」。それより安い「Uni-P」というのもあった。僕は濃い緑色の普通の鉛筆を使っており、「入試試験」の時、「Uni」を母に買って貰ったのがとても嬉しかった。「Uniシリーズ」には「オマケ」が付いていた時期があり、「ジャンボUni」だったり、「Uniの丸い消しゴム」だったりした。シャープペンシルが1本500円で売られる様になったのもこの頃である。考えてみれば、シャーペンの値段は昔より下がっている。
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THE3名様

2007年05月30日 | 映画・DVD・ビデオ
THE3名様

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石原まこちんの脱力ギャグ漫画『THE 3名様』を原作としたオリジナルビデオ作品。そこそこいい歳してフリーター生活のミッキー(塚本高史)、まっつん(岡田義徳)、ジャンボ(原作では"ふとし"。佐藤隆太)の3人。夜な夜なファミレスに集まってはひたすら無駄話ばかりしている彼らのバカバカしく笑える様子を、原作のだらけた雰囲気を再現しつつ、独特のハイテンションも交えて全10話のオムニバス作品として映像化。主演3人は『木更津キャッツアイ』『ロッカーズ』でも共演し、私生活でも仲が良いというだけに、見事に息の合った芝居で楽しませてくれる。主人公たちはいわゆる社会的弱者ではあるが、(原作同様に)そのような問題意識を微塵も感じさせない内容も心地よい。(田中 元)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
「ビッグコミックスピリッツ」で不定期連載中のコミックを、「木更津キャッツアイ」の佐藤隆太、岡田義徳、塚本高史を迎えて実写化したショートコメディ。真夜中のファミレスに居座る3人の若者の奇妙なやりとりが展開する。


内容(「Oricon」データベースより)
石原まこちん原作の話題のコミック「THE3名様」を映像化した爆笑コメディー。人気テレビ作家と佐藤隆太×岡田義徳×塚本高史が笑いのツボを刺激する、抱腹絶倒の作品。
THE3名様 みんなが選んじゃったベスト11 これってどーよ!?

ポニーキャニオン

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内容(「Oricon」データベースより)
石原まこちん原作の話題のコミック「THE3名様」を映像化した爆笑コメディ。ファミレスを舞台に繰り広げられる、佐藤隆太×岡田義徳×塚本高史のショートコメディ!第1~5弾までのDVDシリーズから、ファン投票によって選出された抱腹絶倒のエピソードを収録した傑作選!このDVDのために撮り下ろしたショートストーリー「ファミレズの今夜はオールナイト!」を特典映像として収録。
THE3名様 1 (1)

小学館

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出版社 / 著者からの内容紹介
▼第1話/愛は吐息のように▼第2話/シスコはロックシティ▼第3話/ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ▼第4話/今夜はビート・イット▼第5話/伝説のチャンピオン▼第6話/まるっきりパラダイス▼第7話/そよ風の贈り物▼第8話/夢見るNo.1▼第9話/ビートに抱かれて▼第10話/おしゃれフリーク▼第11話/プリーズテルミーナウ▼第12話/ニューヨーク・シティ・セレナーデ▼第13話/華麗なる激情▼第14話/地獄へ道づれ▼第15話/アイ・ハード・ア・ルーマー〔噂〕▼第16話/恋の手ほどきインユアルーム▼第17話/悪魔のハイウェイ▼第18話/青春の傷あと▼第19話/銀河のアトミック▼第20話/ハートにファイア▼第21話/悪魔のドクター・ラブ▼第22話/君はトゥーシャイ(前編)▼第23話/君はトゥーシャイ(後編)▼第24話/夢見るトレイシー▼第25話/原子心母▼第26話/ハイスクールはダンステリア▼第27話/夜明けのランナウェイ(前編)▼第28話/夜明けのランナウェイ(後編)▼カラオケ番外編●主な登場人物/ミッキー(森原幹夫。26歳。カラオケは苦手といいつつも、吉川晃司を熱唱。基本的に「ま行」は「みゃ行」の発音で。例『ミョニカ』)、まっつん(松田謙介。25歳。何があったか知らないが、幼稚園の時の運動会以来、フランク・ザッパを師とあおぐ。デスメタル・マニア)、ふとし(木村卓也。26歳。携帯の着メロは、自分で作曲した『放課後の教室で』。シンコペーションの効いたスローバラードだ。どうやら詞もあるらしいが、未発表)●本巻の特徴/何をするでもなく、ただなぁ~んとなく、深夜のファミレスで時間をつぶす、ミッキー、まっつん、ふとしの3人。UFO、携帯の着信音、一発ギャグ、心理テスト…どうでもいいようなことをテーマにした虚無的な会話が、ひたすらかったるく、またときには熱く、悠久の時間の中をたゆたっていく“裏癒し系”コミック。よく見ると各回のタイトルが、'70 ~'80年代の洋楽ヒット曲の題名で統一されている点が小粋(アーティスト名が全部言えるあなたはかなりの通)。●その他の登場人物/もっちゃん(彼らのもう一人の仲間。亀戸の「TSUTAYA」で『鉄道員(ぽっぽや)』を借りるも、返却を忘れたまま免許合宿のため地元・長野に帰省。その後、消息不明に…)

出版社からのコメント
深夜のファミリーレストラン。奥のシートには、いつものさえない3人組が…。モラトリアムと笑わば笑え。彼らの青春はここにある……のかもしれない……。



「脱力系」・・・今の時代にぴったりカンカン!自然流で流されて生きよう!
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「ドラえもん」の最終回!?

2007年05月30日 | 本・雑誌・漫画
ドラえもんの最終回(ドラえもんのさいしゅうかい)は、藤子・F・不二雄による未完の漫画作品『ドラえもん』に存在する、三種類の最終回のこと。

また、都市伝説として広まった藤子Fによらない創作の最終回も多数存在し、インターネットを通じてさまざまなバリエーションのものが公開されている。本項ではこれらについても言及する。

概要
結論は、

ドラえもんには最終回に相当する真正のエピソードが3本存在する。
理由
未完である『ドラえもん』に最終回が存在する理由の一つは、連載されていた学年誌は毎年3月で読者が進級して読まなくなる(1学年上の学年誌を読み始める)ため、当時『ドラえもん』が連載されていなかった『小学五年生』を新たに購読する事になる、『小学四年生』3月号読者への配慮であったと思われる。
実際に当時の他の学年誌連載作品でも、毎年4月号には新たに購読を始める新学年生のために『第1話的』な内容を書き、年度末の3月号には『最終回的』な内容の物語を掲載することが慣例的に行われていた。
当初はこのような事情もあって最終回を執筆した藤子であったが、後に『小学五年生』・『小学六年生』にも連載が拡大されたことや、単行本が発売されたこともあり、ドラえもんについてはこの趣旨に則って書かれた最終回は2本だけで、以後は3、4月号ともに通常のエピソードを掲載するようになった。
またこの結果、二本目の最終回を読んだ読者は、『小学六年生』からまた読めることになった(『小学五年生』購読の一年を空けて)。そのため『小学五年生』3月号で、ドラえもんがのび太の元へ帰ってくるという1ページ漫画が掲載された。
また、2006年9月1日の「ドラえもん誕生日SP」でも、ドラえもんが引退するかもしれないというストーリーが放送された。なおこの話は下に示すものとは違い、「ションボリ、ドラえもん」(TC24巻)と「ハツメイカーで大発明」(TC30巻)の2つを原作にしている。

藤子・F・不二雄による最終回として書かれた作品
『小学四年生』1971年3月号(てんとう虫コミックス未収録) - ドラえもんによると「未来からの渡航者たちのマナーが非常に悪く、過去の人間に迷惑をかけるために過去への渡航が禁止となり、ドラえもんも帰らねばならなくなった」のび太は泣いて止めるが、否応なしにドラえもんは未来へと帰っていったというストーリー。
『小学四年生』1972年3月号(同上) - のび太が自転車に乗れない事でドラえもんに道具を出してもらいに行ったところ、ドラえもんが未来へ帰らねばならなくなったというストーリー。帰る理由は、ドラえもんに頼りっきりののび太の自立心を養うため。のび太は泣いて止め、困ったドラえもんとセワシはのび太にウソをついて帰ろうとするが、のび太がそのウソを素直に信じ、ドラえもんのために我慢すると言ったので、感激したドラえもんは正直にのび太に告げて、のび太もそれを受け入れてドラえもんは未来へと帰っていった(これが日本テレビ版のアニメの最終回のもととなった)。尚、この最終回には後日談があり、後述する通り1973年4月号より『小学六年生』にも連載が拡大されたため、その前月に当たる『小学五年生』1973年3月号に於いて、再びドラえもんがのび太の元に帰って来るという形式の予告漫画が掲載されている。
この二つは連載雑誌が学年誌で読者が進級後に購読する『小学五年生』にはドラえもんが連載されていなかった為、年度末に最終回としただけの事であり、翌年度の『小学四年生』には『ドラえもん』がちゃんと連載されている(その後に当たる1973年3月号には最終回は掲載されていない。1973年4月号より『小学五年生』『小学六年生』にも連載が拡大されたためである。同年4月から日本テレビ版のアニメが放映されることが決まっていたためという説もあるが)。

しかし下記に記載した3本目の最終回は、一般には一時は本当に最終回になる予定のものであったといわれているが、後述の通り真相は不明である。

『さようなら、ドラえもん』(『小学三年生』1974年3月号(掲載時は『未来の世界に帰る』)・てんとう虫コミックス6巻に収録) - いつもの通り、ジャイアンにいじめられて帰ってきたのび太。ドラえもんに甘えるが、ドラえもんは未来に帰らなければいけなくなったとのび太に告げる(理由は不明)。最初は泣いて引き止めたのび太だが、パパとママに説得されてこれを受け入れ、最後の夜に二人で夜の散歩に出かける。涙をみせまいとしたドラえもんと途中で別れたのび太は夜中に寝ぼけて徘徊するジャイアンに出会い、喧嘩になる。ジャイアンに何度も何度も倒されるが、ドラえもんに頼ることなく自分がしっかりしないとドラえもんが安心できないと、必死でジャイアンに掴みかかり、ついに最後には自分の力のみでのび太はジャイアンに「悪かった、おれの負けだ、許せ」と言わせる。そこに駆けつけたドラえもんはボロボロになったのび太を担いで家に帰った。眠るのび太の横顔を涙ながらに見守っていたドラえもんは、朝の陽光が差すときにはもういなかった…。
1997年にテレビ朝日系で放送されていた歴史バラエティ番組「驚きももの木20世紀」内で、当時の小学館の担当者が経緯を説明したところによると、この話は前年に日本テレビ版のアニメが終了した事や作者が新しい連載(『みきおとミキオ』など)を抱えていた事情などがあり、一時期は本当の最終回にするつもりで構成したものの、次の作品を考えていても作者はドラえもんの事が頭から離れず、思い直して『帰ってきたドラえもん』を構成、翌月号である『小学四年生』4月号に掲載されてドラえもんは続けられたとのことであった。この二作品を合わせた話が『帰ってきたドラえもん』として1981年にTVアニメ化、1998年に映画化されている。しかし雑誌掲載時は「4月号に続く」と書かれていたため、本当に最終回とするつもりが思い直したのか、最初から続くつもりで描かれたのかは不明。また、当時『ドラえもん』は『小学一年生』から『小学四年生』まで連載されており、『小学三年生』にだけ最終回が掲載されるというのも不自然とも言え、真相は不明である。


『帰ってきたドラえもん』
(てんとう虫コミック7巻収録)

ドラえもんがいなくなった後、暗い毎日を過ごしていたのび太だったが、ついに気をとりなおして明るく暮らす事を決意する。外へと繰り出すと突然ジャイアンが現れ、のび太にドラえもんを見かけたという。ドラえもんが帰ってきたのだと思ったのび太は大はしゃぎだったが、しかしその日は4月1日。つまりドラえもんを見かけたというのはエイプリルフール、すなわち『四月バカ』の嘘だったのだ。

残酷な仕打ちの嘘にだまされて泣いているうちに、のび太はドラえもんが「ぼくが出て行った後、どうしても我慢できないことがあったらこれを開け」と言って残して行った、本人を模った箱を思い出す。これを開ければそのときに必要なものが出てくるというのだ(アニメ版では“使えるのは一度だけ、開封の瞬間が最初で最後”と説明されている)。出てきたのは、喋った事が嘘になる、つまり、喋った事と逆の事柄が起こる飲み物「ウソ8OO(うそえいとおーおー、元ネタは『嘘八百』)」。これを飲んで、のび太はジャイアンやスネ夫に嘘をついた仕返しをする(「今日は良いお天気だね~」とのび太が二人に言うと大雨が降り、「大雨だね」と言うと日本晴れになったり)。しかし、仕返しを終えると虚しくなってしまい、「ドラえもんは帰ってこないんだから」、「もう、二度と会えないんだから」と独り言をいう。

部屋に戻ると、奇跡が起こった。そこにはドラえもんがいた。ウソ8OOを飲んでいたので、先ほどの「ドラえもんは帰ってこないんだから」、「もう、二度と会えないんだから」という独り言が嘘になり、「ドラえもんが帰ってくる」、「また会える」という事になったのだ。のび太は「嬉しくない。これからまた、ずうっとドラえもんと一緒に暮らさない。」と逆さ言葉で再会を泣いて喜ぶのだった。


日本テレビ動画版アニメにおける最終回
ドラえもんのアニメは、現在テレビ朝日系列で放映されているシンエイ動画版以前に、日本テレビ・日本テレビ動画で製作された、通称「旧ドラ」がある(作品の詳細に関してはドラえもん (日本テレビ版テレビアニメ)の項を参照のこと)。

このシリーズは2クール53話27週で完結したため、「最終回」が描かれている。内容は、自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をするところを、未来の世界から見守るところで物語が終わるというもの。原作において発表された3本の「ドラえもんの最終回」のうち、単行本未収録の1本を映像化したものである。

日本テレビ版ドラえもんの最終回では、最後の放送だったにもかかわらず、いつもの放送の最後と同じセルで「次回をお楽しみに」というアイキャッチを表示した(前週までは「次週お楽しみに」)。これはただの手抜きやミスではない。日本テレビ動画再建と続編の製作を、「再びいつかドラえもんを……」という希望を込めて、スタッフたちはあえて、「次回お楽しみに」との言葉を表示したのである。
これに対し、何らかの配慮が働いたものか、テレビ朝日版では第1話に“ドラえもんが未来からやって来る”という原作第1話のエピソード『未来の国からはるばると』を避け、「ゆめの町ノビタランド」とした。ドラえもんがやってくるエピソードは後に特番で番外編的に描かれた。

ドラえもんの最終回についての都市伝説
1990年代の終わりごろから『ドラえもんの最終回』と称するチェーンメールが出回り始めた。その中でも最も有名なのが「のび太植物人間説」と「ドラえもんの発明者はのび太」の2つである。


のび太植物人間説
1986年頃に一時期子供たちの間で流行した都市伝説であり、このチェーンメールの最終回はそれを少し改変したものである。内容は、「ある日、事故にあって植物状態になったのび太を、ドラえもんが天国へと連れて行く」というものや、「植物状態ののび太が見ていた夢」「実はのび太は心身障害者で、ドラえもんは彼による作り話(妄想・羨望といった派生型あり)」といったものである。ちなみに、「植物状態に陥った人物のうわ言がドラえもんのヒントになった。よってこのような最終回になった」という話を根拠にしたと推測されている。この最終回の噂はマスコミなどでも大きく採り上げられたため、原作者の藤子不二雄が正式に「流言飛語で根拠のないデマ」・「ドラえもんはそのような悲観的な終わり方にはしないつもりだ」とするコメントを発表する事態となった。
又、同じ植物状態説でも「動かないのび太にドラえもんが自分の全エネルギーを与え、自身の命と引き換えに助けた。その後、のび太が停止したドラえもんを抱きしめ、泣きながら『ドラえもーん』と叫ぶと、垂れた涙がドラえもんに当たった瞬間にドラえもんが復活し、オープニングテーマが流れスタッフロールが出てきてフィナーレ」というハッピーエンドになるものもある。ちなみにこのエピソードは1991年にアニメ化された『丸出だめ夫』の最終回ほぼそのままの話である。

ドラえもんの発明者はのび太説
「ある日突然ドラえもんが動かなくなってしまった。未来の世界からドラミを呼んで原因を調べたところ、バッテリー切れが原因だと分かった。しかし、旧式の猫型ロボット(この場合はドラえもん)のバックアップ用記憶メモリーは耳に内蔵されているが、ドラえもんは既に耳を失っていたので、バッテリーを交換してしまえば、のび太とすごした日々を完全に忘却(リセット、すなわち『消去』)してしまう事が分かった。バックアップを取ろうにも方法が分からず、開発者を呼ぼうとするも設計開発者の情報は訳あって超重要機密事項となっていた。のび太は迷いの末、とりあえずドラえもんを押入れにしまい込み、皆には『ドラえもんは未来へ帰った』と説明したが、ドラえもんのいない生活に耐えられず、猛勉強をしてトップクラスのロボット工学者に成長する。工学者になってから、しずかちゃんと結婚し、しずかちゃんの目の前で、修理したドラえもんのスイッチを入れ、ドラえもんがいつものように『のび太君、宿題終わったのかい?』と言い復活する。つまりドラえもんの製作者はのび太であった」という話である。
この話は、あるドラえもんのファンページの作者が、あくまで「自作の最終回である」と言明しウェブサイト上に公開していたものがチェーンメール化したものである。ちなみに、後の脚色で「のび太は15歳で海外に留学した(飛び級で大学に入ったとする事もある)」、「修理には妻となったしずかちゃんが立ち会った」などが付け足されている場合もある。このファンページの作者は当時「チェーンメールはまことしやかに流布され、原作に対する権利の侵害、熱心なファンに対する冒涜であり、このような騒ぎになったのは私の責任」だとし、ファンページを閉鎖したが、その後もチェーンメールは真実の確認がなされぬまま流され続けた。2007年現在も未解決の問題である田嶋安恵による同人誌が作られた際にはファンページの作者とは連絡が取れなかったことが想像できる(ただし、作者が現在どういった立場にあるかについては、2007年1月の中日新聞特集記事上で明らかにされているし、またそれ以前にもインターネット検索で容易に知ることができる)。さもなければファンページの作者が最も憂慮した結果にはならなかったはずである。
鈴木蘭々などのドラえもんファンのタレントが、深夜番組などで「最終回は~(のび太発明者説)なんだって」等と語った事から広範囲に流布し、一部ではこれを真の最終回だと誤解した人もいたという。また、この話に対する反論として、「原作に出る高校生のび太は馬鹿なままだ」とか「大学生のび太がタイムマシンでやってきた時、ドラえもんを見て何のリアクションも見せないのはおかしい」「ドラえもんのエネルギーは食べたものを使う原子力エネルギーだからバッテリー切れをするのはありえない(原子炉のトラブルで22世紀に飛んで帰る話がある)」「ドラえもんは1年に1回は22世紀へ行ってバッテリー交換をしていると漫画で紹介されたから、バッテリー切れなんてあり得ない」「そもそも、耳は無くても生活に支障は無いと医師が公言している」などが挙げられる。また、「出来る範囲で頑張る」という作品の中で示されるのび太の成長が、「一生懸命頑張って立派になる」というように変わってしまっており、『ドラえもん』のテーマを完全に取り違えているとの批判もある。

田嶋安恵による同人誌
2005年よりこの話を基にした田嶋安恵による同人誌作品が執筆され、同人誌では異例の1万5千部ものヒットとなり、この作品に共感したファンの手によってフラッシュムービー化されWebで公開されていた。これは後に小学館よりクレームがつき公開終了、が現在もYouTube、その他Webで見ることができる。

この同人誌について、ドラえもんの版権を持つ小学館はこの同人誌の反響の多さに対し厳しく対処するために、2006年に田嶋安恵側に販売中止と回収、ネット公表の中止を要請し、刑事告訴も視野に入れていると産経新聞により報道された。2007年には出版元の小学館と著作権を持つ藤子プロに謝罪し、売上金の一部を支払っていたことがわかった。

なお、著作権法上、『絵』の著作権は保護されているが、『キャラクターの性格』には著作権が存在しないという「ポパイ・ネクタイ事件」のような過去の判例もある。そのため実質、勝手な続篇製作や最終回などは本質的には問題がないため、こういった事例が今後同人誌などでどのように扱われるかが注目されている。前述の「ポパイ・ネクタイ事件」は1997年に最高裁まで争い、結果的に「漫画のキャラクターは、漫画の著作物から独立して保護される著作性は無い」としている。つまり、ポパイやドラえもんのような同じキャラクターが一定の役割、絵柄で書かれている『一話完結』の漫画作品はそれらのキャラクターの登場したそれぞれの漫画が著作物となり、具体的な漫画を離れてキャラクターのみに著作性を問うことはできないということである。

確かに「漫画のキャラクター」自体は著作物とはならないものの、他人の著作物を基礎として作成した二次的著作物は、勝手に作成すると著作権侵害を構成する可能性がある。また、二次的著作物とまでならなくても、著作権が発生している「漫画の著作物」を実質的に複製したものであるととして、「漫画のキャラクター」自体は著作物でないため著作権侵害を生じないと判断するのは著作権を侵害する可能性がある。結論として、いずれにしても同人誌の作成は著作権侵害が生じている可能性が非常に高く、専門家の意見として、拙速である。

詳しくは→http://nikkanyoutube.livedoor.biz/archives/50835903.html
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出版社 / 著者からの内容紹介
●日本を代表する漫画家藤子・F・不二雄先生の傑作作品『ドラえもん』。未来の国からやってきたごぞんじ、ネコ型ロボットのドラえもんが親友のび太とともにくりひろげる友情ファンタジー。四次元ポケットから取りだされる不思議な道具で日本じゅうを笑いに包みこむ。しずちゃんやスネ夫、それにジャイアンも元気いっぱい。大きな夢をあたえてくれるワクワクドキドキ素敵な道具でキミを心温まるドラえもんワールドにご案内。
▼第1話/未来の国からはるばると▼第2話/ドラえもんの大予言▼第3話/変身ビスケット▼第4話/秘(丸囲み)スパイ大作戦▼第5話/コベアベ▼第6話/古道具きょう争▼第7話/ペコペコバッタ▼第8話/ご先祖さまがんばれ▼第9話/かげがり▼第10話おせじ口べに▼第11話/一生に一度は百点を▼第12話/プロポーズ大作戦▼第13話/◯◯が××と△△する▼第14話/雪でアッチッチ▼第15話/ランプのけむりオバケ▼第16話/走れ! ウマタケ

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四次元ポケットの中からいくらでも出てくる、ふしぎな道具とゆかいなお話。日本中を笑いでつつむ、人気者ドラえもん。
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●日本を代表する漫画家藤子・F・不二雄先生の傑作作品『ドラえもん』。未来の国からやってきたごぞんじ、ネコ型ロボットのドラえもんが親友のび太とともにくりひろげる友情ファンタジー。四次元ポケットから取りだされる不思議な道具で日本じゅうを笑いに包みこむ。しずちゃんやスネ夫、それにジャイアンも元気いっぱい。大きな夢をあたえてくれるワクワクドキドキ素敵な道具でキミを心温まるドラえもんワールドにご案内。
▼第1話/うきわパイプ▼第2話/ドラえもんが重病に?▼第3話/強力ハイポンプガス▼第4話/南海の大冒険▼第5話/自然観察プラモシリーズ▼第6話/四次元くずかご▼第7話/ボトルシップ大海戦▼第8話/タイムワープリール▼第9話/人間すごろく▼第10話/身がわり紙人形▼第11話/何が何でもお花見を▼第12話/人間うつしはおそろしい▼第13話/地図ちゅうしゃき▼第14話/トロリン▼第15話/ガラパ星からきた男

出版社からのコメント
四次元ポケットの中からいくらでも出てくる、ふしぎな道具とゆかいなお話。日本中を笑いでつつむ、人気者ドラえもん。




「ファン」の「ドラえもん」を愛する気持ちが行き過ぎた行動を起こしたのではないか?僕も手塚治虫の「火の鳥」の最終回を見てみたかった。
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