お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

社会派監督の熊井啓死去…代表作「黒部の太陽」など

2007年05月23日 | 映画・DVD・ビデオ
 社会派映画監督として知られた熊井啓(くまい・けい)氏が23日午前9時51分、くも膜下出血のため、東京都内の病院で死去した。76歳だった。長野県出身。自宅は公表していない。葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。

 熊井氏は1953年、信州大文理学部卒業し、54年日活に入社。64年に「帝銀事件・死刑囚」で映画監督デビュー。社会的な問題を徹底的に調査して映画製作に挑み、日本の映画界を代表する社会派監督となり、69年にフリーに。

 主な作品には「黒部の太陽」「地の群れ」「忍ぶ川」などがあり、「からゆきさん」たちの生涯を描いた「サンダカン八番娼館・望郷」(74年)は米アカデミー賞(外国語映画部門)にノミネートされた。

 95年に紫綬褒章受賞。プロ野球ファンでG党としても知られていた。
(ZAKZAKより引用)


熊井 啓(くまい けい、1930年6月1日 - 2007年5月23日)は、映画監督。現代を代表する社会派監督である。

長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)に、地主の父、元教師の母の息子として生まれる。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校を経て新制の信州大学文理学部を卒業後、独立プロの助監督を経て、1954年日活撮影所監督部に入社する。そこで久松静児、田坂具隆、阿部豊、牛原陽一などの助監督に付くかたわら脚本家としての仕事もこなす。

1964年、帝銀事件を描いた『帝銀事件・死刑囚』で監督デビューする。その後の『日本列島』も含めて、骨太な社会派ドラマを作る監督として評判をとる。

その一方、1968年には、三船プロダクションと石原プロモーションが共同制作した超大作『黒部の太陽』を製作し、興行的にも成功させる。1974年には田中絹代が、元「からゆきさん」を演じてベルリン国際映画祭主演女優賞を受賞した『サンダカン八番娼館 望郷』を撮り、重いテーマを扱いながら、重厚な人間ドラマを完成させた。また、1986年、遠藤周作原作の『海と毒薬』でベルリン国際映画祭審査員特別賞(銀熊賞)を受賞した。

その後も社会性の強いテーマを内包した作品を立て続けに発表し、独自な地位を築いている。

大先輩で日本の巨匠である小津安二郎に対し、会社の言うままに体を任せる「女郎のようだ」と小津本人の眼の前で批判したのは有名だが、後年に至り「NHK」のドキュメンタリーで小津について発言した際にこの放言に対しても反省の弁は無かった。

2001年、「松本サリン事件」を題材にした『日本の黒い夏 冤罪』でベルリン国際映画祭国際功労賞を受賞した。

2007年5月18日早朝に自宅敷地内で倒れているところを発見され、搬送された病院で意識を回復したものの、同月23日午前9時51分、クモ膜下出血の為死去。享年76歳。


映画作品
帝銀事件 死刑囚(1964年)
日本列島(1965年)モスクワ映画祭招待作品
黒部の太陽(1968年)
地の群れ(1970年)ベルリン映画祭コンペティション参加
忍ぶ川(1972年)モスクワ映画祭コンペティション参加
朝やけの詩(1973年)ベルリン映画祭コンペティション参加
サンダカン八番娼館 望郷(1974年)原作:山崎朋子 ベルリン映画祭銀熊賞・主演女優賞、米アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、アジア映画祭グランプリ
北の岬(1976年)原作:辻邦生
お吟さま(1978年)モントリオール映画祭招待作品
天平の甍(1980年)
日本の熱い日々 謀殺・下山事件(1981年)ベルリン映画祭コンペティション参加
海と毒薬(1986年)ベルリン映画祭銀熊賞
千利休 本覺坊遺文(1989年)ヴェネチア映画祭銀獅子賞、シカゴ映画祭銀賞
式部物語(1990年)モントリオール映画祭芸術貢献賞
ひかりごけ(1992年)ベルリン映画祭コンペティション参加
深い河(1995年)モントリオール映画祭エキュメニカル賞
愛する(1997年)モントリオール映画祭コンペティション
日本の黒い夏 冤罪(2001年)ベルリン映画祭特別功労賞
海は見ていた(2002年)サンセバスチャン映画祭コンペティション参加

テレビドキュメンタリー作品
われらの主役(1976年)東京12チャンネル(現:テレビ東京)
 『不世出の大打者・王貞治』(1976年10月18日・10月25日)放送
サンダカン八番娼館 望郷

東宝

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
ボルネオの港町サンダカンを訪れ、かつて“からゆきさん”と呼ばれた日本人娼婦たちの墓などを探す女性史研究家・圭子(栗原小巻)は、かつて九州で出会った元からゆきさんのおさき(田中絹代)から聞いた話の数々を思いかえしていく。戦前、若き日のおさき(高橋洋子)はサンダカンに娼婦として売られてきて、そこで苛酷な半生を過ごしたのだった…。
山崎朋子のノンフィクション・ルポを原作に、名匠・熊井啓監督が描いた社会派女性映画の大傑作。ひとりの女がたどった、まさに想像を絶する地獄の体験を映像はあますところなく捉え続け、観る者に怒りと悲しみを込めて告発していく。伊福部昭の重厚な音楽も、歴史と女の悲劇を見事に奏であげている。ラストに至っては、いつ観直してもショッキングで鳥肌が立つ思いだ。また、それらを裏打ちする名女優・田中絹代の存在感は、まさに映画が与えたもうた文化的財産といっても過言ではない。同年度キネマ旬報ベスト・テン第1位および監督・女優(田中)賞受賞。田中は海外でもベルリン国際映画祭女優演技賞を受賞している。(的田也寸志)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
山崎朋子の小説を、社会派作品で知られる熊井啓が映画化。女性研究家の圭子は、“からゆきさん”の調査のために天草へと出向いた。調査中、サキという老女と出会い、彼女がからゆきさんだと確信した圭子は、彼女の過去を調べ始める。


この映画の田中絹代さんは素晴らしかった。彼女の遺作でもあるはずだ。体の奥深くから出てくる演技(というよりオーラ)が当時既に60代だった田中絹代さんにはあった。彼女が出てくるシーンは釘付けに。是非観て下さい。
「帝銀事件 死刑囚」「海と毒薬」はDVDが絶版。どちらも素晴らしい映画だ。「黒部の太陽」はDVD化もされていない。是非観たい映画だ。その製作現場の事を詳細に書いた本を読んだので、余計に観たい欲望がつのる。
黒部の太陽

新潮社

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
昭和43年公開『黒部の太陽』(製作・主演/三船敏郎・石原裕次郎、監督/熊井啓)は、観客動員733万人、興収16億円(現在の80億円相当)の大ヒットとなった前代未聞の超大作映画である。しかし、完成・公開に至るまでには、想像を絶する苦難の日々があった。五社協定の壁、配給問題、資金調達、裕次郎が骨折した大出水シーンの撮影…。それでも男たちは、ひたすら突き進む。その後、裕次郎の「大画面でのみ、お客様に観ていただきたい」との要望で、再上映もDVD化もされていない。あれから38年。監督だからこそ知りうる秘話を満載し、何かに熱くなることだけがすべてだった“あの時代”が、いま、鮮烈によみがえる。

内容(「MARC」データベースより)
2大俳優が旧態依然の映画界に挑んだ壮大な賭け。未曾有の超大作「黒部の太陽」(昭和43年)の全貌を監督自ら明かす。写真多数、完全シナリオ収録。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「宝島」・・・子供の頃、ワクワクして読んだ。

2007年05月23日 | 映画・DVD・ビデオ
宝島DVD-BOX

ハピネット・ピクチャーズ

このアイテムの詳細を見る

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
『あしたのジョー』などを手掛けた出崎統と杉野昭夫の黄金コンビによるアニメのBOX。宝島の地図を手に入れた少年・ジムが、リプシー先生やトレロー二さんらと共に宝島へと旅立つ。テレビシリーズ全26話と1987年5月に公開された劇場版を収録する。

内容(「Oricon」データベースより)
世界中の人々に愛され続けている、ロバート・ルイス・スティーブンソンの児童文学『宝島』を原作にしたアニメーション。1978年から日本テレビ系列にて放映されたTVアニメシリーズ全26話と、劇場版『宝島』をセットにしたDVD-BOX!
宝島 痛快世界の冒険文学 (6)

講談社

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
さあ一緒に宝探しの旅に出よう。

港の宿屋「ベンボー提督亭」のジム少年は、海賊フリント船長がかくした宝のある島の地図を手にいれた。船を仕立てて、島へ向かうジム一行。しかし、そのなかには、海賊ジョン・シルバーとその手下たちが大勢まぎれこんでいた。宝島への航行中、連中の悪だくみを知ったジムたちは一策を案じるが、海賊たちとの戦いがはじまる。イギリス少年文学の不朽の名作。



内容(「BOOK」データベースより)
港の宿屋「ベンボー提督亭」のジム少年は、海賊フリント船長がかくした宝のある島の地図を手にいれた。船を仕立てて、島へ向かうジム一行。しかし、そのなかには、海賊ジョン・シルバーとその手下たちが大勢まぎれこんでいた。宝島への航行中、連中の悪だくみを知ったジムたちは一策を案じるが、海賊たちとの戦いがはじまる。イギリス少年文学の不朽の名作。

著者紹介
【宗田理】
1928年、東京に生まれる。日本大学芸術学部映画学科卒業。シナリオライター、編集者などを経験して著作活動にはいる。1979年『未知海域』が直木賞候補となる。ユーモア、ミステリー、冒険サスペンスなど幅広いジャンルで活躍。『ぼくらの7日間戦争』にはじまる、「ぼくら……」シリーズは、とくに中・高校生に好評で映画化もされた。
【ロバート・ルイス・スティーブンソン】
1850~1894年。イギリスの作家。大学では工学と法律を学んだが、結婚した夫人の連れ子ロイド・オズボーンのために『宝島』を書いた。代表作には、『ジキル博士とハイド氏』『さらわれたデーヴィッド』などがある。

【画家紹介】
1948年、広島に生まれる。県立甘日市高校卒業。デザインスタジオに勤務後、フリーのイラストレーターとなる。おもな作品に、『どんぐりと山ねこ』『宮沢賢治童話大全』(講談社)、『ゴリラの山に生きる』(金の星社)、『なくなボビー』(学研)、『動乱に生きた少女』(ポプラ社)などがある。



子供の楽しみが「本」か「アニメ」しかない時代、「宝島」「ロビンソン・クルーソー」「ドリトル先生全集」「アーサー・ランサム全集」「怪盗ルパン全集」「少年探偵団シリーズ」等を読んで空想を膨らませたものだった。わが子もそうだが、ほとんど「コミックス」を読んでいて、空想を膨らませる余裕が無い。そこで、父親としての僕は長女に「はじめての宮本輝」、長男に「813の謎」を買って渡した。強制的に読みなさいというのではなく、自然に読み始め、一冊読んだら、また小説が読みたいなぁ~と思ってくれたらという思いである。だから、その後、知らないふりをしている。長男はまだ読んでいない様だ。今は「MAJOR」というコミックスに夢中である。父の思い、子供に届いてくれるかな?
はじめての文学宮本輝

文藝春秋

このアイテムの詳細を見る


813の謎 怪盗ルパン 文庫版第6巻

ポプラ社

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
ダイヤモンド王といわれるケッセルバックが、心臓を短剣でつらぬかれて死亡した。シャツの胸もとに、アルセーヌ・ルパンの名刺がピンでとめられていた…。「いや、ルパンが殺人をおかすわけがない」と、ベテラン刑事ルノルマンが立ちあがる。謎の数字「813」、そして正体不明の王子ピエールをめぐって、くりかえされるおそろしい犯罪。そのさきに、おどろくべき真実が待ちうけている。


ちなみに、父親が集めていたカッパノベルスで初めて読んだのは↓
Dの複合

新潮社

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
作家の伊瀬忠隆は雑誌の依頼を受けて「僻地に伝説をさぐる旅」の連載を始めた。第一回浦島伝説の取材地丹後半島いらい、彼の赴くところ常に不可解な謎や奇怪な事件が絶えない。そして突然の連載打切り。この企画の背後に潜む隠された意図の存在に気づいたとき、伊瀬は既に事件の渦中に巻き込まれていた。古代史、民俗説話と現代の事件を結ぶ雄大な構想から生れた本格的長編推理小説。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
松本 清張
1909‐1992。小倉市(現・北九州市小倉北区)生れ。給仕、印刷工など種々の職を経て朝日新聞西部本社に入社。41歳で懸賞小説に応募、入選した『西郷札』が直木賞候補となり、1953(昭和28)年、『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞。’58年の『点と線』は推理小説界に“社会派”の新風を生む。生涯を通じて旺盛な創作活動を展開し、その守備範囲は古代から現代まで多岐に亘った(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


ちなみに僕が読んだ最初のミステリーは↓
青銅の魔人

ポプラ社

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
銀座大通りのまん中をよろよろと男が歩いていた。しかもその男は鎖つきの懐中時計を何十個もぶらさげていた。魔人と明智の対決。


内容(「BOOK」データベースより)
月光に照らされたのは、三日月形に裂けた口をもつ金属のお面。その怪物のからだのなかからひびきわたる、ギリギリという歯車の音。真夜中の時計店をおそった時計どろぼうは、青銅でできた機械人間だった?!名探偵明智小五郎に、小林少年が新しく結成した「チンピラ別働隊」が大奮闘。ついに青銅の魔人の正体をつきとめるか。

初めて自分のお小遣いで買って読んだ文庫(大人の本)は↓
風神の門 (上)

新潮社

このアイテムの詳細を見る


友だちが読んでいて、かっこいいなぁ~と思い、初めて読んだ歴史小説は↓
宮本武蔵 全8冊 吉川英治歴史時代文庫

講談社

このアイテムの詳細を見る


こうして小説を読みながら「情景」を思い浮かべ、行き帰り毎日2時間×6年間、阪急電車の中でたくさんの本を読んだ。中高の最寄の駅が「阪急六甲」でその二階に「南天荘書店」という本屋があり、ここで何百冊買った事だろう。「阪急六甲」も改築され、今は「ブックファースト(阪急系の書店)」が入っている。「南天荘書店」が無くなったのは寂しい。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DMVとは?

2007年05月23日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
デュアル・モード・ビークル (Dual Mode Vehicle, DMV) とは、

軌道と道路の両方を走る車両(バス、軌陸車)。

概要
日本においては、利用の少ない路線のコストを削減するために北海道旅客鉄道(JR北海道)が開発している。同じコンセプトの車両はイギリス(シルバーティップ・デザイン社、ランカスター大学、ノーザンブリア大学などの共同開発)など数ヶ国で研究されているが、ここではJR北海道のものについて述べる。

外見や基本的な構造はほとんど普通のバスと同じである。気動車と同じくディーゼルエンジンを動力源として走行し、ゴムタイヤと金属車輪の2つを持つ。

道路走行時は金属車輪を持ち上げてゴムタイヤのみを路面に接する。

線路上を走行する際は、前輪ゴムタイヤの前部に格納された金属車輪(前部ガイド輪)をレール上に降ろして案内用とし、前輪ゴムタイヤを持ち上げて浮かせる。一方、後輪ゴムタイヤ後部の金属車輪(後部ガイド輪)をレール上に降ろして案内用とするが、後輪ゴムタイヤも駆動輪としてレール上面に接する。動力を後輪のゴムタイヤから直接レールに伝えることで軌道上を走行する。後輪ゴムタイヤは駆動軸上に左右それぞれ2本ずつ取り付けられており、内側のタイヤのみレールに接する。

道路走行から軌道走行に切り替える時は、車体をうまく線路上に誘導するため、地表に設置された専用のポインター(走行モード切り替え装置、モードインターチェンジ)が必要となる。この装置によってスムーズな切り替え作業が可能となり、約10秒間という短時間で走行モードを切り替えることができる。走行モード切り替え装置は左右のレールの外側に設置された2本のガイドウェイで構成される。車体前部と後部のガイドローラーをガイドウェイに沿わせて車体を前進させることで、車体をレール中心上に誘導する。但し、ガイドウェイとガイドローラーのみでは車体を完全にレール中心にセットすることが困難なため、この装置付近のみレールの幅(軌間)が約70mm広くなっている。これに伴い、車体側の金属車輪の踏面の幅も広めになっている。

前史ともいうべきアンヒビアン・バスでは、この走行モード切り替えに多大の手間を要したことから実用化が断念された経緯(後述)があり、この点には特に注意が払われている。1車両当たりの定員が少ないが、車両同士を連結可能として総括制御が可能なシステムとされ、輸送単位の小ささを補う。運行管理にはGPSが用いられる。最小限の設備投資で路線を拡張できるとして、地方ローカル線や路面電車への導入が各地で検討されている。

乗り心地は、道路上走行時はバスと同じで、レール上走行時もやはり列車と同じである。レール上走行時は、列車特有の「ガタンゴトン」という音がするが、外見そのものがバスとそっくりなため、その様子はバスが線路の上を走っているように見える。


車両試作および走行試験
2004年(平成16年)にマイクロバス(日産・シビリアン)を改造した定員34名の試作車(サラマンダー901)が完成し、日高本線で走行試験が行われている。翌2005年(平成17年)には2両を背中合わせに連結できる新型の試作車(911・912)が製造され、同年10月3日に石北本線北見駅~西女満別駅~女満別空港間で実用化を前提とした走行試験が行われた。いずれも鉄道車両としての車籍は有していない。

2006年(平成18年)現在、動力性能及び乗車定員を改善するため、進行方向向きに連結し総括制御できる形式を開発中である。

2006年11月より、静岡県富士市がJR北海道より車両を借り入れ、岳南鉄道線でテスト走行を行っている。これは富士市制40周年記念事業でなされるものである。先に24日から26日までの3日間の夜間に走行試験が行われた。続いて2007年(平成19年)1月14日と21日にデモンストレーション走行が行われ、岳南原田駅にモードインターチェンジが作られ、市場踏切との間で片道鉄道・片道道路の往復運転が行われた。


試験的営業運行
2007年4月14日から釧網本線浜小清水駅~藻琴駅間で試験的営業運行が行われる。片道は釧網本線、片道は国道244号(斜里国道)を通る循環ルートで、軌道の方はJR北海道の団体臨時列車として、道路の方は網走バスの貸切バスとして運行されるという。運転日は土曜・日曜・祝日のみとされる。運行本数や運賃などは2007年1月15日に公表された。浜小清水駅駅発着の旅行商品という形になる。2007年6月以降は一部ルートが変更される可能性がある。

2007年4月14日、小雪のちらつくあいにくの天候であったが、試験的営業運行が行われた。初便は満席の12人の乗客を乗せ往路は鉄道線路、復路は並行する国道244号線を走行した。藻琴駅では「あっという間に」道路に降りてバスに変身した。定員の増加や運行システムの改善など今後の課題はあるが、6月までの予約は80%をこえ、7月以降は周辺の湖を周遊するコースを予定しているという。
http://www.jrhokkaido.co.jp/new/dmv/

前史 - アンヒビアン・バス
1962年(昭和37年)、日本国有鉄道(国鉄)は赤字ローカル線活性化の切り札として、鉄軌道と道路の両方を走行することのできるバスの開発に着手した。これがアンヒビアン・バスである。アンヒビアン (amphibian) とは英語で両生類を意味する。

開発にあたっては、軌道走行用の車輪を車体に内蔵する方式と、別途用意された台車にバスの車体を装架する方式とが考えられたが、前者の方式では、構造が複雑になる上、内蔵する台車の重量が嵩み、特に道路走行時に自重の半分にも及ぶ死重を抱えることになることから、台車の着脱を行う後者の方式が選択された。

国鉄では、三菱日本重工業(現・三菱ふそうトラック・バス)製R-480形のシャーシを用いて試作車を製造し、043形と命名した。同車は、6月に鉄道開業90周年を記念して開催された「伸びゆく鉄道科学大博覧会」に出品された。

しかしながら、この043形は軌道に乗せるために専用のジャッキを必要とし、変速機からのプロペラシャフトやブレーキ配管の接続を必要とするなど、軌道走行モードと道路走行モードの転換に多大の手間と時間を要したため、結局実用化されることはなかった。


DMVのメリット・デメリット
メリット
線路上に土砂崩れや落石などの障害が発生した場合や、線路の定期的な保守作業が必要な場合なども、近くに道路さえあれば運休することなく迂回して目的地に向かうことが可能である。これがDMV最大のメリットといえる。
同様に近くに道路があれば、線路が単線であっても片方の車両を迂回させることで交換設備がなくても交換が可能である(ただし閉塞区間を設ける必要がある)。
バス側から見ると、道路を経由するバスを線路に迂回させることによって、高速運転が可能な他、渋滞に巻き込まれるのを防ぐことができる。
DMVは、気動車などの普通の列車と比べて車体が小さく、重量が軽いため、メンテナンス代、燃料費、維持費が抑えられる。
道路の上を走る区間については線路のメンテナンス、維持費が不要である。また新たな線路を建設することなく路線を拡張できる。
複数台のDMVが道路に設けた複数のルート上のバス停で客を乗せ、特定の駅でDMV同士を連結し、以後は1つの列車として運行することで(すなわち複数のバス路線を走行するバスを特定の駅で連結するような形をとることで)、集客の効率化及び人件費の節約が可能になる。逆に特定の駅で列車の切り離しを行い、道路において複数のルートを設けて客を降ろすことも可能なため、需要に合わせたサービスを提供することも可能である。
運転方法はバスと全く同じだが、線路上を走行時のみハンドル操作が不要になる。

デメリット
同程度の大きさのバスと比べ、価格が高い。
道路上も走ることがあるため、渋滞などの交通状況に左右され易い。
道路から線路上に移る時には、専用のポインタが必要になる。
列車と比べてエネルギー効率が悪い。またバスと比べても道路走行定員1人当りではエネルギー効率は良いとは言えない。道路走行時は車輪が、レール走行時はタイヤが、それぞれデッドウエイトとなるからである。
車体構造の違いによる耐衝撃性の低下。踏切事故や衝突事故での衝撃は従来車両以上と推測される。
鉄道車両と自動車の2つの規制を受けるために、安全対策やシステム構築に無駄ができる可能性がある。
DMV1台を旅客運行するためには、鉄道上を走るための動力車操縦者免許を持つ者と、道路で旅客を運ぶのに必要な大型第二種運転免許を持つ者の計2名、もしくは両方の免許を持つ者1名が最低でも必要であり、人件費や人材確保の面で問題がある。
乗客定員が少なくてもドア操作や運賃授受のためにDMV1台当りに乗務員1人が必要であり、連結運転を行うと人件費からかえってコストが高くつく。
また、試作車の場合はマイクロバスを改造したものであるために以下のような問題がある。今後製作されるであろう実用車両でこれらの問題点を解消できるかどうかは不明。

ベースとなったマイクロバス自体の定員数が1両あたり28人しかなく、車両改造に伴う重量増加を補うために、バス(道路走行)モードで17人と定員が更に減らされており、一般の鉄道車両ほどの大量輸送に向いていない。二両連結は技術的には可能で安全性実験は行い実証済みだが国土交通省の通達で認められていない。
一般の鉄道車両と乗降口の高さが違い、既存ホームの改造または専用ホームの新設が必要になる。さらにドアも片方だけなので乗降所1ヶ所につき2つホームを設置する必要がある。

解決課題と法的整備
解決課題
北海道の厳冬期における安定運行の確保。北海道では線路が雪に埋まったり低温によりポイントが凍結したりして、列車が長時間立ち往生してしまうことが日常的に起こる。このような事態に備え、JR北海道の旅客列車には必ずトイレが装備されているが、現在のDMVにはトイレの装備がなく、設置をどうするかも課題である。
運行に必要な免許、車体の規格などの法的な扱いは、専用の軌道上と、一般道路上の双方を運行できるバスであるガイドウェイバス、あるいはIMTSと同じ扱いになると思われるが未定である。

法的整備
2007年の通常国会において、地域公共交通の活性化及び再生に関する法律案の成立が予定されている。この法律では、同一の車両(など)を用いて鉄道事業法による鉄道事業(など)と一般乗合旅客自動車運送事業の両方の運送サービスを提供する場合を「新地域旅客運送事業」として、DMVや水陸両用車につき、運賃・料金・各種認可届出などの整備を行おうとするものである。

DMVの導入を計画又は検討中の都市・事業者所在地
日本
千葉県(小湊鐵道・いすみ鉄道)
静岡県富士市(富士駅~新富士駅間及び岳南鉄道)
DMV登場後いち早く導入の意向を示し、2006年11月からJR北海道の協力の下で走行試験を行っている。
島根県大社町
宮崎県高千穂町他(神話高千穂トロッコ鉄道)
経営を断念した高千穂鉄道の線路にDMVを走らせ、鉄橋流出区間は一般道を通る計画を立てている。
熊本県高森町他(南阿蘇鉄道)
国土交通省九州運輸局は2006年11月29日に、「南阿蘇地域における新交通システム(DMV)導入による公共交通活性化に関する調査について」という文書をプレスリリースしている。
 長崎県島原鉄道 廃止区間の活用案。南島原市方面。
「一部廃止方針の島原鉄道にDMV導入、市長が提案へ
スロバキア ジリナ県(スロバキア国有鉄道)

その他
線路と道路を走ることから反響も大きく、地方紙の特集にも載ったり、実用化前にも関わらず漫画『D-LIVE!!』の一エピソードとして登場したり、DMVのチョロQも発売された。
D-LIVE!! 1 (1)

小学館

このアイテムの詳細を見る




この「DMV」・・・「鉄チャン」の僕としては是非乗ってみたい。釧網本線にも久しぶりに乗りたいし・・・大学時代以来かなぁ~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「趣味の雑誌」が安く買える。

2007年05月23日 | 本・雑誌・漫画
「アニメージュ」↓
http://www.fujisan.co.jp/Product/85/

「アニメディア」↓
http://www.fujisan.co.jp/Product/87/

「声優グランプリ」↓
http://www.fujisan.co.jp/Product/1481/

「Newsweek Japan」↓
http://www.fujisan.co.jp/Product/5766/

「週刊ダイヤモンド」↓
http://www.fujisan.co.jp/Product/5771/

「姉キャン」↓
http://www.fujisan.co.jp/Product/1281681854/

「ヴァンサンカン ウェディング」↓
http://www.fujisan.co.jp/Product/1245666/

「月刊バレーボール」↓
http://www.fujisan.co.jp/Product/778/

「鉄道ファン」↓
http://www.fujisan.co.jp/Product/1697/

「キネマ旬報」↓
http://www.fujisan.co.jp/Product/495/


雑誌でも年間購読すれば安くなるんだ。知らなかった・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする