お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

『パッチギ! LOVE&PEACE』の主演・井坂俊哉は凄くいい。

2007年05月19日 | 映画・DVD・ビデオ
平熱48度超え!? 『パッチギ! LOVE&PEACE』の熱きオトコが編集部にパッチギ訪問!


さわやか笑顔と、パーフェクトな肉体の井坂くん!
 井筒和幸監督の最新作『パッチギ! LOVE&PEACE』の公開を目前に、本作で主人公キョンジャの兄アンソンを熱演している井坂俊哉が、シネマトゥデイ編集部を訪れた。

 井坂は公開初日まで、全国各地で「全国1万人握手キャンペーン」を展開中。この日、1万人との握手の記録を目 前にした井坂は、編集部全員と固い握手を交わし、記録を更新すると、作品への熱き思いを語ってくれた。

 『パッチギ!』を観たときから、井筒監督と仕事をする日を夢みていた井坂にとって、本作のオーディションは大きなチャンスだった。「それでも、最初は“アンソン”役のオーディションということすら知らなかったんです(笑)。ドキドキしながら監督に会ったんですが、必死に熱意を伝えたものの、井筒監督はまったく目を合わせてくれませんでした(笑)。そしたら3日後に“関西弁”のテストをすると言われて……」

 静岡県出身の井坂にとって、“関西弁”はオーストラリア留学中に勉強した英語よりも難しいものだった。「3日間、死に物狂いで、“アホ、ボケ、カス!”などの関西弁を勉強しました。“やすし&きよし”さんのお笑いのDVDを見たり、関西の友だちと飲みに行ったり……、とにかく寝ているときも関西弁のテープを聞いていました」

 関西弁との戦いは、アンソン役が決まってからも続いたが、井坂にとってのさらなる試練は“ケンカ”のシーンだった。「“幻星神 ジャスティライザー”でアクションをしていたんですが、逆にそれが仇になりました。見せるアクションはできたんですが、監督が作りたいのは“リアル”なケンカシーンだったので……。監督には、現場で、“当てろ!当てろ!”と怒鳴られながらケンカしていました。」

 現場では、自分の放ったパンチが相手の役者に入ってしまうこともしばしば。クライマックスのケンカシーンの撮影は4時間にも及んだ。「ワンカットで、つぎつぎに殴り、殴られていかなければいけなかったんです。向こうの蹴りが思いっきり入ってクラッとなったとしても、「アンソン、ここで倒れたらアカーン!」と気合を入れながら突っ走りました」

 ハードな撮影にボロボロだった井坂に火をつけたのは、息子チャンスを演じた今井悠貴の存在だった。「アボジ頑張って!と言われ、こいつのために頑張らなきゃ!と思いながら、アンソンとして戦いました」

 戦いの連続だった撮影を終え、いま、映画の公開は目前。「ドキドキしてます! 撮影中から寝れなかったんですが、最近はより一層眠れなくなりました……」と不眠症気味の井坂だったが、映画への愛は人一倍。映画への熱い思いを全国各地を回り、握手で伝えてきた。「リ・アンソン一家を通して、生き抜くことの大切さを感じてください!」と熱いコメントを残して編集部を去っていった。

 現在、井坂の握手記録は9571人(5月16日時点)。明日の公開初日に1万人を超えるのか気になるところだ。平熱48度ほどあるんじゃないか? と思わせるほど編集部の室温をガツンと上昇させた男、井坂俊哉の情熱は、明日からは多くの観客に伝わっていくことだろう。

『パッチギ! LOVE&PEACE』は、5月19日より全国一斉ロードショー。
(シネマトゥデイ より引用)
http://www.pacchigi.jp/loveandpeace/←映画公式サイト

井坂 俊哉(いさか しゅんや、1979年5月10日 - )は、静岡県磐田市出身の俳優。身長181cm。血液型は、A型

サッカーチーム・ジュビロ磐田のジュニアユースのゴールキーパーを経験。サッカー留学中の怪我をきっかけに俳優に転身。その経験を生かし「スポーツマン決定戦」にも参加している。

2006年にNHK朝ドラ「純情きらり」で注目され、2007年に「パッチギ! Love&Peace」の主演、アンソン役に大抜擢される。

主な出演作品

映画
零 ゼロ
愛と資本主義
GO
超星艦隊セイザーX(2005年.ライザーガント/平賀真也役)
RAINBOW DRIVEINN
パッチギ! LOVE&PEACE(2007年5月公開予定)主演

ドラマ
恋は戦い!(2003年、テレビ朝日)三沢洋介役
幻星神ジャスティライザー(2004年~2005年、テレビ東京)ライザーガント/平賀真也役
零のかなたへ~THE WINDS OF GOD~(2005年、テレビ朝日)
純情きらり(2006年4月~9月、NHK)、高島キヨシ役
14才の母(2006年10月~12月、日本テレビ、原口和明役)

TV
2005年 「最強の男は誰だ?スポーツマンNo.1決定戦」
2005年 「世界ウルルン滞在記」イタリア編
井坂俊哉の事務所サイト→http://www.hot-road.jp/biography/isaka/isaka.html





前作『パッチギ』より脚本は散漫になっているが、主演の井坂俊哉は素晴らしくいい。画面を見ていてもオーラが出ている。絶対、これから開花する俳優だと思う、絶対。
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質屋の看板なのだが・・・

2007年05月19日 | エッセイ・日記・意見
URLに「にこにこしちや」と書かれても・・・質屋に行く時って、お金に困ってる状況な訳で・・・「にこにこ」笑顔では行けないと思うのだが。
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「たつた」という読み方が書いてあるが・・・

2007年05月19日 | エッセイ・日記・意見
下の「漢字」は初めて見た。これも深夜の高円寺。
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深夜の高円寺で見かけた看板。

2007年05月19日 | エッセイ・日記・意見
カワイイ
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「感念物語」とは?????

2007年05月19日 | エッセイ・日記・意見
いつも閉まっている本屋の看板の上の「感念物語」という表示。これは何だろう?
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花・・・その3.

2007年05月19日 | エッセイ・日記・意見
「白雪姫の小人」の置き物もいい。
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花・・・その2.

2007年05月19日 | エッセイ・日記・意見
明るい気持ちにさせてくれる「朝の花」。
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通勤途中で見かけた花・・・心が癒される。

2007年05月19日 | エッセイ・日記・意見
自宅近くに咲いていた。花を見て「季節感」を感じられるという事は「心に余裕がある証拠」だと思う。
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「異常な犯罪」の犯人に「男性」が多いのは何故か?

2007年05月19日 | エッセイ・日記・意見
10代の少年が実の母親を殺し、首と右腕を切断して、ネットカフェに行って、母親の首を持って警察に自首する事件・・・一昨日からの「立てこもり事件」・・・男性教諭による痴漢・・・今迄に起こり得なかった数々の事件。その多くが「男性」が起こしている。

男性は社会的生き物である。日本の社会は「新しいものを作り、それを売るという行為」で太平洋戦争後、成長を続けてきた。「もの(文明)を信仰する宗教」に「男性」は生きるよりどころを見出してきたのである。欧米人やアラブ系の人々は「キリスト教」「イスラム教」等の宗教と強い繋がりを持っている。だから、「神に対しての自分」という位置付けが出来ているのである。

日本の場合、キリスト教のお祭りである「クリスマス」を祝い、神道の神社へ初詣し、仏教の墓参りをする。

今、現代社会は「ものが飽和している」。つまり、「男性」にとって、「生きる為の目的が無い状態」になっているのである。それゆえ、精神的に歪みが生まれ、自分の心を抑えられずに犯罪に走ってしまう・・・そんな構図になってはいないだろうか?
それと「五感」を感じにくい時代にもなっていて、「生き物としての人間」の「心のバランスが狂ってきている」という事も考えられる。

じゃあ、「女性」が何故、犯罪に走る率が少ないのだろうか?ここからは僕の私見だが、「女性」は「子供を産むという能力」を持っている。もちろん、結婚しない女性もいるし、子供を産まない女性もいる。だが、「生理」が一定周期で来るという事で「生き物としての人間」を認識できる。出産を体験すると、確実に「五感」を体感できる。なんせ、自分の体の中から、新しい命が誕生するのだから。「産みの苦しみ」というが、その感覚は忘れることは無いと思う。自分が生んだ子供が育っていく、育てていくという、これまた「五感」に感じることと常に接している。もちろん「社会」で働いている女性も多く、ちゃんと「社会性」を身に付けている女性もたくさんいる。しかしながら、日本は未だに「男性社会」であることは否めないと思う。

僕は今、「仏教」に興味を持っている。吉川英治の『親鸞』を読みたくなり、高校以来、久しぶりに吉川英治の作品を読んだ。そして、親鸞の悩みや生き方を知り、とても感銘を受けたのは事実である。比叡山・延暦寺に久しぶりに行ってみたくなり、「宗教」の奥の深さを知れたことは良かったと思う。

話が上手くまとまらないが、僕は今、こんなことを考えている。

親鸞〈1〉

講談社

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出版社/著者からの内容紹介
義経が牛若といって鞍馬にあった頃、同じ源氏の血をうけて十八公麿(まつまろ)(親鸞)は生れた。平家全盛の世、落ちぶれ藤家(とうけ)の倖として育った彼は、平家一門のだだっ子寿童丸の思うままの乱暴をうけた。彼は親鸞に生涯つきまとう悪鬼である。9歳で得度を許された親繋の最初の法名は範宴。師の慈円僧正が新座主となる叡山へのぼった範宴を待っていたのは、俗界以上の汚濁であった。
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「巨乳」「美人教師」・・・

2007年05月19日 | エッセイ・日記・意見
テレビには今、「放送禁止用語」というのはほとんど無い。もちろん、ある「言葉」が差別的に使われたりした場合はもちろんNG。

そうした中、「新聞のテレビ欄」で使えない言葉が「巨乳」。「豊乳」や「貧乳」はOKなのだが。不思議な話である。「巨乳」というとエッチな行為を想像させるという事なのだろうか?

それと話は少しずれるが、週刊誌やスポーツ誌などで、事件の被害者が女性の場合、「美人秘書」「美人OL」「美人教師」という「美人」を付けた表現がよく使われる。「美人」という「尺度」は誰が決めるのだろうか?もちろん、「美人」を付けた方が男性読者の想像を掻き立たせ、販売部数にも影響が出てくるのかもしれないが。


美人(びじん)とは、容貌の美しい女性をさす言葉。もともとは男性を指す言葉であり、古語にも用例がある。例えば、美しい少年は「美少人」と呼ばれた。女性の場合は美女という言葉を用いる。近代以降、男性の場合は美男子(びなんし)と称されることが多くなり、終戦後は「美人」が美男ではなく、美女を指すようになる。なお、未成年者に対しては、それぞれ美少年、美少女と呼ぶことが多くなっている。

文化や時代によって美人の基準は異なる。過去には美人の代名詞的存在(銀幕女優の山本富士子など)がいたが、同じ地域でも時代により美人の定義は変化し、同時代であっても地域・文化圏の違いによって基準は異なる。又、ある共同体での一般的な美人像が全ての個人に共通している訳ではない。価値観の多様化が進んだ社会であれば美人に対する基準にも個人差がある。

美人という言葉は内面を指す事もあるが、一般には外見の判断である事が多い。ミスコンテストなど、美人を基準にした社会での女性の扱いについては、フェミニストなどから問題提起される事もある。又、ジェンダーの問題とも関連する。

日本の美人像
江戸時代以来、日本では色白できめ細かい肌、すらりとした手足、涼しい目元、鼻筋が通り、豊かな黒髪が美人の条件とされた(浮世絵で見られる小さな目で描かれた女性は、当時の美人像と必ずしも一致しない事に注意が必要である。)。関東大震災後から、パーマネントや断髪、口紅を唇全体に塗るなど、欧米の影響を受けて従来の美意識と相容れないような美容が広まった。戦後の日本では、アメリカの影響を受けて、白人に近い顔立ちが美人とされたり、健康的と考えられた小麦色の肌が美しいと思われて、一部で日焼けが流行するなどした。


美人の比喩
日本では木花咲耶姫以来、神代から、美人を指すのに花の比喩をよくつかう。

やまとなでしこ
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花
ただしこれは飽くまでも大和民族の伝統的美意識による発想である。たとえば金田一京助は、アイヌ人をつかまえて「お前、桜の花きれいだと思わないか」と訊いたところ「きれいだ」との返答だったので、「じゃ美人のときに、花のようだと言ったら」と重ねて問うと、アイヌ人から「だって全然違うじゃないか。花はこんな形をしているし、顔とは全然違う」と笑われたと伝えられる(金田一春彦と團伊玖磨の対談「別れのことば『思うわよォ』」~「週刊読売」1972年12月16日号)。


平均美人説
Judith LangloisとLori Roggmanは、無作為に抽出した顔写真の合成写真を被験者に示した時に、その写真が魅力的であると判断される事が多いとする研究結果を発表した(Psychological Science 1990)。この事から、美人とはそのコミュニティにおいて最も平均的な容姿を持つものであるという仮説が提唱された。この説によると、美人像の変遷は、そのコミュニティの構成員の変化を背景としているものと考えられる(鼻が高い人が多くなれば、鼻が高い事が美人の要素となる)。


世界の三大美人(日本)
日本で言われる歴史上の「世界の三大美人」。もちろん世界的には小野小町が挙げられる事はなく、代わりにヘレネが選ばれている。また三人目にオチとして「うちのかあちゃん」とするバリエーションも。

小野小町
楊貴妃
クレオパトラ7世




何となく納得がいく様でいかない今日この頃。

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「プリンセス天功」とは・・・

2007年05月19日 | エッセイ・日記・意見
二代目・引田 天功(ひきた てんこう)は日本の奇術師、イリュージョニスト。(UFOに乗って地球に降り立った。とアメリカのプロフィールでは紹介されている・公式プロフィールでは、1995年より全てのパーソナル・データが不詳、又は未公開になっている。現在多くのアーティストが、データ不詳としているが、引田天功が日本メディアで初めて、この表記を使用し一般的にさせた。)別名プリンセス・テンコー (PRINCESS TENKO)。日本奇術協会国際交流委員長。初代引田天功の死後1980年12月15日に襲名した。


人物
初代引田天功に1976年から師事。これは親類が初代の事務所の社長だった縁からである。1977年に倒れた初代引田天功の代役で<空中ケーブルからの大脱出/日本テレビ>を行った後、1978年6月21日に『朝風まり(あさかぜ まり)』の芸名で、キャンディーズとピンクレディの制作スタッフが、フジテレビとタッグを組み、マジックを披露しながら歌う異色のアイドル歌手としてデビューさせた。しばらく歌手として活動した(デビューシングルは「ザ・マジック」、セカンドシングル「くせになるから」)。しかし、初代の死去後、初代の後援会の要望で1980年12月15日に二代目を襲名(襲名披露はホテルニューオータニ)し先代の遺志を受け継いで命がけのイリュージョンを展開するようになる。世界各地で公演を展開し「プリンセス・テンコー」の愛称で知られるようになる。朝風まり時代から後援会長は、佐川急便創業者であり会長であった佐川清氏である。

契約では「引田天功」と「プリンセス・テンコー」は別のキャラクターとして設定されており(例:彼女によれば「引田天功」は日本人だが、「プリンセス・テンコー」はアメリカ出身のアメリカ人と言う設定が与えられている)、演じるマジックやイリュージョンも全く別々のものである。また、「引田天功」は喋らない設定であるため、テレビ番組には「プリンセス・テンコー」として出演する場合が多い。なお、後者は「プリンセス天功」と表記されることもままある。 また、かなりの笑い上戸で、笑っていいとも!に出演したときは大爆笑するシーンがかなり多く見られた。イメージを守るためと安全確保の為に、契約によって電車に乗ったりコンビニに行ったりすることを禁じられている。

北朝鮮の金正日総書記は彼女の大ファンだと伝えられており、1998年4月にはピョンヤンに招聘されてマジックショーを披露し、金正日主催の盛大なパーティーで歓待された。また貴重な天然記念動物豊山犬を贈られ、また彼女の名を冠した奇術専門の劇場が建てられたといわれている(もっとも天功自身は北朝鮮滞在中に原因不明の病気で倒れ入院、帰国の予定が遅れる羽目にあい、帰国後も身辺に連続して奇怪な事件〔愛車の盗難やレア物のミッキーマウスのぬいぐるみ摩り替わり事件等〕が起こったと特番等で証言している)。

ハリウッド俳優との婚約が発表されているにもかかわらず、当の婚約者については、素性は一切明らかにされていない。天功の大ファンである金正日総書記から逃げるために、架空の婚約話を持ち出したのではないか、という説が通説になっている。彼女自身、結婚の件についてはノーコメントを貫いていたが、2007年GW合併号の週刊文春で初めてコメントを出している。

愛犬家、愛猫家として知られているが、日本に初めてジャックラッセルテリアを輸入し、今のブームを作り上げている。

本人曰く「和食は99%食べない」とのこと。幼い頃、成長しても頭蓋骨が閉じないままなので18歳まで生きられないと言われ、学校にはほとんど行かなかった。18歳のときに病院で「ゆっくりとしか年を取らない病気」と診断され、食餌療法を始めた。


来歴
1980年8月、電子戦隊デンジマンにゲスト出演し、マジシャンである父親を殺され、自身がその志を継いでマジシャンになるという女性・朝風まり役(当時の芸名と同名の役)を演じた。
1982年10月、宇宙刑事ギャバンに本人役でゲスト出演。
1987年9月、超人機メタルダーに本人役でゲスト出演。
1990年、米国マジックアカデミー賞の大賞である「90マジシャン・オブ・イヤー」をビバリーウィルシャーホテルで受賞。また同年、米国でインターナショナル・ベストエスケープアーティスト大賞を受賞。
1995年、米国で、プリンセス・テンコーをモチーフにしたアニメ、Princess Tenko and the Guardians of the Magicが、11月より1放映され、毎回本人が実写で登場し、イリュージョンを演じた。尚#0の回では、本人がこのシリーズの紹介をする、特別編が放映されている。
1996年、AWF(アフリカ野生動物保護基金)の日本事務局親善大使に就任。
2000年、2代目引田天功襲名20周年を記念し、フジテレビにより最後の脱出マジックが行なわれた。
2001年、Jリーグ・J2のヴァンフォーレ甲府を経営危機から建て直すために同球団のユニホームスポンサー(背番号部分)になり話題を集め、チームもその後躍進を遂げ、2006年シーズンにはJ1に昇格した。2004年からは同リーグのサガン鳥栖を支援、米国では、2006年からプロ野球3Aのチーム ラスベガス51’sを支援して、地元LVで話題となっている。
2003年より、年間約300ステージをこなしている他、テレビのバラエティー番組やワイドショーへの出演も多い。森田一義アワー笑っていいとも!の水曜放送分に、隔週レギュラーとして出演していた(2004年9月まで)。
2005年11月発売 GQ USA版にて 北朝鮮緊急インタビューが掲載された。
2007年4月1日よりオフィシャルブログを、アメブロにて開始。
2007年4月16日 イギリスBBCにて 特別インタビュー番組(MCジョナサン・ロス)が放送

彼女がブログを始めた→http://www.tenko.ne.jp/


プリンセス天功は「謎」の部分が多い。年齢は何歳なのだろう。北朝鮮で何故人気があるのか?日々思っていた疑問・・・調べてみると面白い事実がたくさん出てきたのだ。
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