お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

前代未聞の“未完成披露”!石原真理子、試写会でまたもお騒がせ

2007年05月30日 | 映画・DVD・ビデオ
初メガホンを取った石原真理子(左)と後藤理沙。前代未聞の“未完成披露”試写会となった=東京・東新橋(撮影・戸加里真司)
 元祖“プッツン女優”石原真理子(43)の初監督映画「ふぞろいな秘密」(6月16日公開)の完成披露試写会が29日、東京・東新橋のFS汐留で行われた。同映画は石原とスタッフの意見の食い違いから、土壇場で再編集。舞台あいさつで石原は「完成の4歩手前です」と説明するなど、前代未聞の“未完成披露”となった。


 暴露本出版やストーカー事件など、数々のトラブルを引き起こした石原の初メガホン作は、期待に違わず?“お騒がせ”となった。

 完成披露試写会での舞台あいさつという、晴れの場に立った石原だが、冒頭から製作スタッフへの不満をペラペラ。「プロデューサーが音信不通になり、フィルムを勝手に焼かれて(完成品とされて)しまいました」。

 自伝本の映画化ということもあり、気合の入っていた石原。恋人に暴力を振るわれた場面での救急車の音などの効果音をめぐり、フィルム納期だった4月27日ギリギリまで、笠原正夫プロデューサーらと折衝を続けたが、石原の望む形にならないまま納品された。

 納得いかない石原は数百万円の私費を投じて再編集に取り組んだ。編集作業は終了したものの、フィルムの焼き付けはこの日の試写会には間に合わず、“不満ありバージョン”が上映された。

 石原は「きょういらっしゃった方はある意味ラッキー。仕上がりは完成の4歩手前ですが、本番でどこが変わったか、間違い探しを楽しんでください」と奇妙な論理で押し通した。

 舞台あいさつ終了後の会見でも、元祖“プッツン女優”の面目躍如。報道陣から「いろいろとトラブルが起こるが」と突っ込まれると、「キレイで、才能があって、頭がいいと、イジめられるんです」と“怪答”して笑わせた。

 出演者の石原に対する評価も微妙。20代の石原を演じた後藤理沙(23)と恋人役の河合龍之介(24)は「役者目線の監督でやりやすかった」と話したが、10代の石原役の堀澤かずみ(17)には「『ヨーイ』とか『カット』ちゃんとやっていた」と妙なほめられ方をした。

 山あり谷ありのデビューを飾った石原。次回作への意欲を問われると、「現在、短編の恋愛小説を書いています。映画ならSFをやりたい。スピルバーグみたいな」。際限なく野望はふくらむようだった。


■あらすじ
 中学生のころ、両親の離婚を経験した石原マリコ(堀澤、後藤)は芸能界入りするとまたたく間にトップ女優となる。妻のいるミュージシャン、山置洋二(河合)と運命的な恋に落ちるが、山置は次第に暴力をふるうようになり…。


★河合との関係は?「ウフフ」

 一部で熱愛が報じられた石原と河合の関係について、河合は「いろいろ言われていますが、監督と役者として良好な関係です」とかわしたが、石原は「ウフフ」と笑うだけで肯定も否定もしなかった。

 映画関係者は「石原の方は熱を上げているようだが、河合にはその気はなく、表と裏の態度を使い分けている」と解説。米国留学中に2人の男性へのストーカー行為で服役したことのある石原だけに、片思いが暴走しならなければいいが…。
(サンケイ・スポーツより引用)


「ふぞろいの林檎たち」の頃は普通の女優さんに見えたが・・・こんなに変わるとは。男優さんで「変わっている人」もいるが、そういう男優さんは元々「変わっている」のだ。「変化」する事は無い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀香&陣内サプライズ披露宴

2007年05月30日 | テレビ番組
 女優の藤原紀香(35)とお笑いタレント、陣内智則(33)夫妻がきょう30日夜、神戸市のホテルオークラ神戸で披露宴を開く。2人の地元にちなんだ豪華な晩餐がふるまわれるパーティーは、午後7時から日本テレビ系で2時間半にわたって生中継。“視聴率対策”のサプライズも、さまざま仕掛けられている。

 【豪華な晩餐】

 新郎の陣内は、同局系で放送される披露宴の“番宣”を自ら買って出る芸人根性で、この日朝からワイドショー「スッキリ!!」をはじめ、自身が司会を務める読売テレビの「なるトモ!」と、日テレの「ラジかるッ」などに、それぞれ中継で出演。紀香からは「(番組出演を)頑張ってメールが来た」と明かし、「とくに緊張していません」とにこやかに話した。

 披露宴には、紀香の希望で、「料理の鉄人」として知られる坂井宏行さん(65)も参加したフランス料理を用意。2人で試食をして吟味したという主な晩餐メニューは、次の通り。

 蝦夷アワビとゴボウのピューレのエレガントなハーモニー▽伊勢海老と神戸神出産有機人参海草のジュレの輝き▽明石天然鯛の巻きもの▽淡路由良のウニ十三穀米のリゾット▽加古川産小松菜ソースとアメリケーヌの彩り▽“こころにおいしいごはん”丹波篠山米と南高梅まぐろとアボカド、明石鯛

 【破局寸前?!】

 この日に合わせ引き出物として紀香の告白本が用意された。結婚の経緯を初めて明かした著書『紀香魂』(幻冬舎)。
紀香魂―ハッピー・スピリット

幻冬舎

このアイテムの詳細を見る


 それによると、幸せの絶頂だったはずの2月17日の挙式10日前に、2人は険悪な関係になった。陣内が出演番組で2人の交際内容をしゃべりすぎた。紀香は「女性として、とても傷つく内容だった」ことから、その夜、陣内を電話で問いつめ、「別れましょう」と切り出した。メールアドレスも、携帯番号も変えた。紀香は円形脱毛症もできるほどのマリッジブルーになったことも。

 結局、陣内が「僕が好きになって結婚したいと思った人は『女優藤原紀香』じゃないから」と打ち明け、事態は収束したそうだ。

 【目玉ゲストは…】

 披露宴は同ホテル最大の「平安の間」に約700人の招待客を予定。気になるゲストには、一時、来日中のキャメロン・ディアス(34)もうわさされたが、ビデオメッセージに。関係者によると、「紀香と番組を通じ親交があったK-1戦士の何人かが、サプライズゲストとして呼ばれている」という。

 司会は数多くの有名人披露宴を経験してきた徳光和夫さん(66)。あいさつには、島田紳助(51)や、宇津井健(75)、舘ひろし(57)らが立つ。

 また、郷ひろみ(51)は結婚の定番ソング「お嫁サンバ」を熱唱して祝福する。

 【視聴率どうなる?】

 注目の平均視聴率は、どこまで伸びるか。

 「日テレ内では、この日のために“陣内・藤原・結婚”の頭文字から取ったJFKのコードネームで会議が繰り返され、大物ゲストの招待や演出など練りに練ってきた。最近で高視聴率だった谷佳知・田村亮子夫妻の披露宴の17.2%(関東地区、ビデオリサーチ)は何としても超えたいところ」と局関係者は語るが…。


【主な有名人の結婚披露宴中継と平均視聴率】
85年 6月24日 神田正輝・松田聖子 テレ朝/34.9%
86年10月 1日 森進一・森昌子 日テレ/45.3%
87年 6月12日 郷ひろみ・二谷友里恵 フジ /47.6%
01年 2月26日 野口五郎・三井ゆり 日テレ/13.4%
02年11月22日 小室哲哉・KEIKO TBS/15.5%
03年12月20日 谷佳知・田村亮子 日テレ/17.2%
※氏名は当時。数字はビデオリサーチ調べ、関東地区
(ZAKZAKより引用)



とても温かな「披露宴」だった。二時間半の放送時間では「どんな人が出席しているのか?」が分かり辛かった。ただ、二時間半より長いと「テレビ番組」としてはダレるかもしれない。陣内智則のピアノを弾きながら、歌を熱唱するところは盛り上がったが、「ピアノを弾く手のアップ」が最初のワンカットしか無かったのは・・・何故?絶対音感のある嫁さんが「ほんとに弾いているの!?」とつぶやいた。

明日出る視聴率、関西は30%、関東は23%と予想!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お父さんは神経症―大原さんちのムスコたち

2007年05月30日 | 病院・薬・病気
お父さんは神経症―大原さんちのムスコたち

文藝春秋

このアイテムの詳細を見る


大原さんちのダンナさん―このごろ少し神経症

文芸春秋

このアイテムの詳細を見る

内容(「MARC」データベースより)
「指が油で汚れるとさ、発狂しそうにならない?」 うっかり結婚した夫は「神経症」!? わたしの結婚生活って天国? それとも…? 結構たいへん、でも意外と楽しい2人の暮らしを描いたコミックエッセイ。

大原さんちのムスコさん―子どもが天使なんて誰が言った!?

文藝春秋

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
神経症のダンナさんに超神経質な子どもができた。ダンナとムスコに振り回される日々を描いたコミックエッセイ。

内容(「MARC」データベースより)
生まれてきた子どもは、神経症のダンナさんにそっくりの超神経質息子だった! ダンナに加えて息子にまで振り回される、ユキコの受難の日々を描いたコミックエッセイ第2弾。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大原 由軌子
長崎県佐世保市出身。1970年生まれ。短大卒業後、グラフィックデザイナーとして14年間、都内に勤務(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



この著者のダンナは僕にそっくり。僕も「油で指が汚れたら、すぐに手を洗うか、ウェットティッシュで完全に拭き取る」まで、心が不安定になる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「鉛筆」の歴史を調べてみた。

2007年05月30日 | 教育・学校
歴史
古代、文字は鉛を動物の皮などにこすって記述した。のちに、細長い鉛と錫の合金(ハンダ)を用い、外側に木軸を巻きつけた、現在の鉛筆の原型がつくられた。これと同じ原理のものは、現在も美術家が使用している。やがて芯の部分が黒鉛に変わり、削って使うようになったことで現代の鉛筆の原型ができあがったと言える。

黒鉛を使った鉛筆が最初に記述に現れるのは、1565年、スイスのドイツ系博物学者コンラート・ゲスナー(Konrad Gesner)の『とくに石と岩にふくまれる化石の形とイメージについて』である。ゲスナーが使用した鉛筆の本体は丸い筒状の木でできており、先端に黒鉛の小さな塊を詰めるものだった。黒鉛がなくなると新しいものを詰めた。本に記載するくらいには珍しかったようだが、記述によればゲスナー自身はしばらく前からこの道具を使っていた。野外で化石を記録する際、インクつぼの不要な鉛筆はゲスナーにとって大変に便利なものであった。

16世紀の終わりには、イギリスのボローデールでカンバーランド黒鉛鉱が発見され、鉛筆が作られるようになった。ゲスナーのものも、芯はカンバーランド産黒鉛である可能性が高い。1610年までには、ロンドンの市場で鉛筆は普通に売られていた。初期のものはゲスナーの使ったもののような、木や金属で作った軸の先に、黒鉛の塊を詰めるものだった。黒鉛を木ではさんだり、針金で巻いたようなものも実在した。

2枚の細長い木の板の間に、芯となる細長い黒鉛の棒をはさんで固定した、現代のように削って使用する鉛筆は、1616年までに発明された。

記録に残るこの種の鉛筆の最初の製造業者は、ドイツのニュルンベルクに住むフリードリッヒ・ステッドラー(Friedrich Staedtler、後のステッドラー社の創業者の先祖にあたる)で、1662年に町当局に鉛筆製造許可願いを出したが、町はこの仕事は指物師のものだとして却下した。しかし、1675年には、ステッドラーと同業者は、鉛筆製造業者のギルドを作ることが許されるようになっていた。

削って使う鉛筆は当初、芯は四角く、軸は8角形だった。ただし、初期は指物師が鉛筆を作ったので、製造者によっては丸や6角形のものを作った者もいる。長さは6インチまたは7インチで、幅と厚さは1/3ないし1/2インチだった。現代のものと大差ない。

黒鉛はイギリス特産で、この時代、鉛筆はイギリス産のものが多く使われた。また、輸出産業を保護するため、しばしばイギリスは黒鉛を禁輸にし、完成品の鉛筆のみを輸出する政策をとった。イギリスの黒鉛鉱は19世紀までに掘り尽くされ、現在では中国、ブラジル、スリランカなどで地下から黒鉛を採掘している。初期の鉛筆は、芯は途中までしか詰められなかった。末端部分まで削ってしまうと持てなくなるので、捨てる部分には最初から芯を入れなかったのである。この工夫は19世紀まで続いた。

鉛筆が普及し、黒鉛が不足すると、黒鉛を節約し、黒鉛くずも活用する方法が考えられた。最初の着想は1726年までにドイツで実現された。黒鉛くずと硫黄をまぜて溶かし、固めるというものだったが、筆記時に引っかかりが生じて滑らかな筆記性に欠け、のちにカルノー式鉛筆が登場するとすぐに消えた。

20世紀の終わりに、日本で伊達政宗の墓所・瑞鳳殿から鉛筆が発見された。これはゲスナーの使ったのとほぼ同じ構造だったが、芯は練って作ってあった。政宗の鉛筆は1636年までには製造されていたと考えられるため、練って作る芯の使用は少なくとも90年はさかのぼることになった。

日本には、17世紀に製造された鉛筆として、政宗の鉛筆のほか、徳川家康の鉛筆も残っている。これについては後述する。

1770年に消しゴムが発明された(詳細は消しゴムの記事を参照)。

1793年、イギリスとフランスの間で戦争がおきると、フランスに黒鉛と鉛筆が輸入できなくなった。戦争大臣のラザール・カルノー(Lazare Carnot)は、技師のニコラ・ジャック・コンテ(Nicholas Jacques Conte)に代替品の開発を命じた。1795年、コンテは、黒鉛と粘土を混ぜて焼いて作る、現在と同じしくみの芯を開発した。カルノーの開発した方法では、黒鉛が非常に節約でき、また黒鉛くずも利用できた。更に、粘土の量によって書く文字の色の濃さも変化させることができるようになった。

アメリカのハイマン・リップマン(Hyman L. Lipman)は、1858年3月30日、消しゴムをニカワで鉛筆に固定させる消しゴム付き鉛筆を発明した。リップマンはこの特許をジョセフ・レケンドーファー(Joseph Reckendorfer)に10万ドルで売り莫大な富を築いた。エヴァーハード・ファーバー(Eberhard Faber)はこの特許の前に、金属片を押し付けて鉛筆に消しゴムをつける方式を考案し、別に特許をとった。この2者の間で特許紛争となったが、連邦最高裁は、消しゴムつき鉛筆自体に新規性が認められないとし、両方の特許を無効とする判決を下した。

鉛筆削りは19世紀の終わりに発明された。ポケットに入れられる小さなものが若干早く市場に出た。机に設置する大きなものは少し遅れて開発された。当初は、ハンドルを回すことによってヤスリが回転するというしくみだった。

1870年代までは、鉛筆の芯は四角のままだった。また、19世紀中ごろまでは、鉛筆の形も8角形のものが主流で、外見は17世紀のイギリスのものからほとんど変化しなかった。19世紀末までには、鉛筆の形は丸、6角形または3角形になり、芯も丸くなった。8角形で芯が四角いものは、工程上、芯が中央からずれる場合があり、その場合鉛筆削りではうまく削れなかったのでしだいに消えていった。3角形のものは製造工程の都合上安価にできず、あまり普及しなかった。

イギリスの次に鉛筆生産国になったのはドイツだった。20世紀初期まで、主な鉛筆輸出国はドイツだった。しかし、第一次世界大戦が起きるとドイツ製鉛筆が入手できなくなり、1915年ごろからは日本製のものが世界で使われた。ただし、日本製のものは両端にしか芯のないキセル鉛筆など粗悪品が多く、国際的には評価が低かった。第一次大戦が終わると日本製品の輸出は極端に低下した。

しばらくはドイツと日本が主な鉛筆製造国だったが、第二次世界大戦の影響で、1940年代はどちらの国も輸出がほぼ止まった。

印刷付き鉛筆は、1949年、日本のトンボ鉛筆が最初に製造した。これ以前は印字は箔押しであった。精巧な曲面印刷技術を用いたものは、1951年までに、日本の伊藤意匠研究所(現在のいとう鉛筆意匠)創業者伊藤一喜と本多鉛筆印刷の本多信によって始められた。これにより、社名等を印字した贈答用鉛筆が多く作られるようになった。


日本の鉛筆の歴史
17世紀初頭に使われた徳川家康と伊達政宗の鉛筆が保存されている。ただし、定着しなかった。本格的に輸入が始まるのは19世紀後半、明治時代になってからだった。明治初期の日本では鉛筆は珍しく、東京や横浜の輸入品専門店で少量が売られるのみだった。

日本での鉛筆製造は、1874年、ウィーンで鉛筆製造技術を学んで戻った2名の政府伝修生井口直樹と藤山種重によって製造法がもたらされ、同年、小池卯八郎によって始められたとされる。小池の製造は1890年までは続いたがその後記録がない。このほかにも若干の製造者がいた。現在まで続く製造業者は後述する真崎鉛筆製造所が最も古い。

このほか、安政年間に仙台の士族樋渡源吾が少量の鉛筆を生産し売ったという記録もある。

日本で最初の鉛筆の量産は、1887年、東京の新宿で、真崎鉛筆製造所(現在の三菱鉛筆)創業者・真崎仁六(まさき にろく)によって開始された。なお、三菱財閥とこの会社は昔も今も全く関係がなく、「三菱マーク」は真崎鉛筆が最初に使用し、後から三菱財閥が許可をとり使用した。日本では長く文書を毛筆で書くしきたりがあり、鉛筆の普及は遅れた。1885年、英語教育に関する書籍が相次ぎ発刊され、同年、大量の鉛筆がアメリカから輸入された。この頃から学校では徐々に鉛筆が使われはじめるようになった。

1901年に、逓信省(現在の日本郵政公社)が真崎鉛筆を採用。郵便局内のみとはいえ、全国に鉛筆が供給されるようになった。この後1920年までに小学校で毛筆から鉛筆への切り替えが順次行われ、一般生活に深く浸透するようになったと考えられている。

第一次世界大戦中の、1915年ごろから輸出が本格化。日本の主要輸出品の1つになった。ただし質が悪く、大戦終了後に輸出は激減する。1940年代は第二次世界大戦の影響で輸出がほぼ停止した。輸出は大戦後に復活し、現在に至る。

近年は、学齢人口の減少、シャープペンシルの利用増、ワープロ・パソコンの普及などが原因で鉛筆の需要は大きく落ち込んでいる。

雑貨統計によれば、日本の輸出量は1950年ごろが最大で188万グロス。1997年は45万グロス。日本製鉛筆の生産高は1966年ごろが最大で962万グロス。1997年は367万グロスであった。

1998年には、労働省が「事務用品の買い控えによる生産量の減少」を理由として鉛筆製造業を「雇用調整助成金の指定業種」に指定した。


徳川家康の鉛筆
1616年に死んだ徳川家康の鉛筆は、現存する日本で最も古い鉛筆で、削る種類のものである。

鉛筆は、久能山東照宮で、硯箱に入った状態で発見された。硯箱は1664年に作られた宝物目録『具能山御道具之覚』に記載があるが、鉛筆の記載はない。硯箱に入っていたことから、家康のものとされる。

大きさは、長さ11.7cmで芯の長さは6cm、先端は削ってあり、太さ0.7cm、重量6g。産地は日本ではなく、黒鉛、軸木ともに外国産だが、産地ははっきりしない。黒鉛はメキシコ産に質が似ている。軸木は、中米かフィリピン産。製品そのものは、ヨーロッパ製である可能性が高いと考えられている。


伊達政宗の鉛筆
鉛筆は、政宗の墓地である瑞鳳殿の発掘調査団長・伊東信雄により発見された。政宗の鉛筆は、先端に黒鉛の塊を詰めるもので、原理的にはゲスナーの使用したものに近い。

政宗は1636年に死んだ。副葬品の中から見つかったため、政宗の愛用品であったと考えられている。

発掘は1974年に行われ、鉛筆は発掘品の中から1988年に発見された。全長7.4cm、太さ0.4cm、芯は先に詰めてあり、芯の長さ1.3cm、最大直径0.43cm。キャップがついていた。キャップは木製で長さ3.0cm、直径0.6cm。鉛筆はさらに木筒に収められた状態で発見された。軸の素材はササで、日本産かその近種。芯は何かで固めてあるが、当時ヨーロッパで使われたと考えられる硫黄やアンチモンは検出されなかった。黒鉛の産地は不明。

輸入品の鉛筆を愛用した政宗が、配下のものに命じて自分の使いやすいものを作らせた可能性がある。

政宗の鉛筆は発掘後極端に風化し、現在は原型をとどめていない。ただし、完全に風化する前に複製品が2つ作られている。


俗説
一般的な形状が六角柱であるのは、しばしば発明の例として「円柱では机の上で転がってしまうから、六角柱が発明された」というような説明がなされることがある。これは誤りであり、実際には製造法が理由である。

「鉛筆」という名称や、鉛筆の芯の材料の「黒鉛」の物質名から、「鉛筆には鉛が使われている」と信じている者があるが、これも誤りである。実際の黒鉛は炭素の結晶であり、近代以降の黒鉛鉛筆に重金属は用いられていない(ただし、塗装に使用されたことはある)。



中学受験で塾に通っていた昭和45年頃、金持ちの子供は「三菱鉛筆Hi-Uni(1本100円)」を使っていた。次に高かったのが「Uni(1本50円)」。それより安い「Uni-P」というのもあった。僕は濃い緑色の普通の鉛筆を使っており、「入試試験」の時、「Uni」を母に買って貰ったのがとても嬉しかった。「Uniシリーズ」には「オマケ」が付いていた時期があり、「ジャンボUni」だったり、「Uniの丸い消しゴム」だったりした。シャープペンシルが1本500円で売られる様になったのもこの頃である。考えてみれば、シャーペンの値段は昔より下がっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

THE3名様

2007年05月30日 | 映画・DVD・ビデオ
THE3名様

ポニーキャニオン

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
石原まこちんの脱力ギャグ漫画『THE 3名様』を原作としたオリジナルビデオ作品。そこそこいい歳してフリーター生活のミッキー(塚本高史)、まっつん(岡田義徳)、ジャンボ(原作では"ふとし"。佐藤隆太)の3人。夜な夜なファミレスに集まってはひたすら無駄話ばかりしている彼らのバカバカしく笑える様子を、原作のだらけた雰囲気を再現しつつ、独特のハイテンションも交えて全10話のオムニバス作品として映像化。主演3人は『木更津キャッツアイ』『ロッカーズ』でも共演し、私生活でも仲が良いというだけに、見事に息の合った芝居で楽しませてくれる。主人公たちはいわゆる社会的弱者ではあるが、(原作同様に)そのような問題意識を微塵も感じさせない内容も心地よい。(田中 元)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
「ビッグコミックスピリッツ」で不定期連載中のコミックを、「木更津キャッツアイ」の佐藤隆太、岡田義徳、塚本高史を迎えて実写化したショートコメディ。真夜中のファミレスに居座る3人の若者の奇妙なやりとりが展開する。


内容(「Oricon」データベースより)
石原まこちん原作の話題のコミック「THE3名様」を映像化した爆笑コメディー。人気テレビ作家と佐藤隆太×岡田義徳×塚本高史が笑いのツボを刺激する、抱腹絶倒の作品。
THE3名様 みんなが選んじゃったベスト11 これってどーよ!?

ポニーキャニオン

このアイテムの詳細を見る

内容(「Oricon」データベースより)
石原まこちん原作の話題のコミック「THE3名様」を映像化した爆笑コメディ。ファミレスを舞台に繰り広げられる、佐藤隆太×岡田義徳×塚本高史のショートコメディ!第1~5弾までのDVDシリーズから、ファン投票によって選出された抱腹絶倒のエピソードを収録した傑作選!このDVDのために撮り下ろしたショートストーリー「ファミレズの今夜はオールナイト!」を特典映像として収録。
THE3名様 1 (1)

小学館

このアイテムの詳細を見る

出版社 / 著者からの内容紹介
▼第1話/愛は吐息のように▼第2話/シスコはロックシティ▼第3話/ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ▼第4話/今夜はビート・イット▼第5話/伝説のチャンピオン▼第6話/まるっきりパラダイス▼第7話/そよ風の贈り物▼第8話/夢見るNo.1▼第9話/ビートに抱かれて▼第10話/おしゃれフリーク▼第11話/プリーズテルミーナウ▼第12話/ニューヨーク・シティ・セレナーデ▼第13話/華麗なる激情▼第14話/地獄へ道づれ▼第15話/アイ・ハード・ア・ルーマー〔噂〕▼第16話/恋の手ほどきインユアルーム▼第17話/悪魔のハイウェイ▼第18話/青春の傷あと▼第19話/銀河のアトミック▼第20話/ハートにファイア▼第21話/悪魔のドクター・ラブ▼第22話/君はトゥーシャイ(前編)▼第23話/君はトゥーシャイ(後編)▼第24話/夢見るトレイシー▼第25話/原子心母▼第26話/ハイスクールはダンステリア▼第27話/夜明けのランナウェイ(前編)▼第28話/夜明けのランナウェイ(後編)▼カラオケ番外編●主な登場人物/ミッキー(森原幹夫。26歳。カラオケは苦手といいつつも、吉川晃司を熱唱。基本的に「ま行」は「みゃ行」の発音で。例『ミョニカ』)、まっつん(松田謙介。25歳。何があったか知らないが、幼稚園の時の運動会以来、フランク・ザッパを師とあおぐ。デスメタル・マニア)、ふとし(木村卓也。26歳。携帯の着メロは、自分で作曲した『放課後の教室で』。シンコペーションの効いたスローバラードだ。どうやら詞もあるらしいが、未発表)●本巻の特徴/何をするでもなく、ただなぁ~んとなく、深夜のファミレスで時間をつぶす、ミッキー、まっつん、ふとしの3人。UFO、携帯の着信音、一発ギャグ、心理テスト…どうでもいいようなことをテーマにした虚無的な会話が、ひたすらかったるく、またときには熱く、悠久の時間の中をたゆたっていく“裏癒し系”コミック。よく見ると各回のタイトルが、'70 ~'80年代の洋楽ヒット曲の題名で統一されている点が小粋(アーティスト名が全部言えるあなたはかなりの通)。●その他の登場人物/もっちゃん(彼らのもう一人の仲間。亀戸の「TSUTAYA」で『鉄道員(ぽっぽや)』を借りるも、返却を忘れたまま免許合宿のため地元・長野に帰省。その後、消息不明に…)

出版社からのコメント
深夜のファミリーレストラン。奥のシートには、いつものさえない3人組が…。モラトリアムと笑わば笑え。彼らの青春はここにある……のかもしれない……。



「脱力系」・・・今の時代にぴったりカンカン!自然流で流されて生きよう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ドラえもん」の最終回!?

2007年05月30日 | 本・雑誌・漫画
ドラえもんの最終回(ドラえもんのさいしゅうかい)は、藤子・F・不二雄による未完の漫画作品『ドラえもん』に存在する、三種類の最終回のこと。

また、都市伝説として広まった藤子Fによらない創作の最終回も多数存在し、インターネットを通じてさまざまなバリエーションのものが公開されている。本項ではこれらについても言及する。

概要
結論は、

ドラえもんには最終回に相当する真正のエピソードが3本存在する。
理由
未完である『ドラえもん』に最終回が存在する理由の一つは、連載されていた学年誌は毎年3月で読者が進級して読まなくなる(1学年上の学年誌を読み始める)ため、当時『ドラえもん』が連載されていなかった『小学五年生』を新たに購読する事になる、『小学四年生』3月号読者への配慮であったと思われる。
実際に当時の他の学年誌連載作品でも、毎年4月号には新たに購読を始める新学年生のために『第1話的』な内容を書き、年度末の3月号には『最終回的』な内容の物語を掲載することが慣例的に行われていた。
当初はこのような事情もあって最終回を執筆した藤子であったが、後に『小学五年生』・『小学六年生』にも連載が拡大されたことや、単行本が発売されたこともあり、ドラえもんについてはこの趣旨に則って書かれた最終回は2本だけで、以後は3、4月号ともに通常のエピソードを掲載するようになった。
またこの結果、二本目の最終回を読んだ読者は、『小学六年生』からまた読めることになった(『小学五年生』購読の一年を空けて)。そのため『小学五年生』3月号で、ドラえもんがのび太の元へ帰ってくるという1ページ漫画が掲載された。
また、2006年9月1日の「ドラえもん誕生日SP」でも、ドラえもんが引退するかもしれないというストーリーが放送された。なおこの話は下に示すものとは違い、「ションボリ、ドラえもん」(TC24巻)と「ハツメイカーで大発明」(TC30巻)の2つを原作にしている。

藤子・F・不二雄による最終回として書かれた作品
『小学四年生』1971年3月号(てんとう虫コミックス未収録) - ドラえもんによると「未来からの渡航者たちのマナーが非常に悪く、過去の人間に迷惑をかけるために過去への渡航が禁止となり、ドラえもんも帰らねばならなくなった」のび太は泣いて止めるが、否応なしにドラえもんは未来へと帰っていったというストーリー。
『小学四年生』1972年3月号(同上) - のび太が自転車に乗れない事でドラえもんに道具を出してもらいに行ったところ、ドラえもんが未来へ帰らねばならなくなったというストーリー。帰る理由は、ドラえもんに頼りっきりののび太の自立心を養うため。のび太は泣いて止め、困ったドラえもんとセワシはのび太にウソをついて帰ろうとするが、のび太がそのウソを素直に信じ、ドラえもんのために我慢すると言ったので、感激したドラえもんは正直にのび太に告げて、のび太もそれを受け入れてドラえもんは未来へと帰っていった(これが日本テレビ版のアニメの最終回のもととなった)。尚、この最終回には後日談があり、後述する通り1973年4月号より『小学六年生』にも連載が拡大されたため、その前月に当たる『小学五年生』1973年3月号に於いて、再びドラえもんがのび太の元に帰って来るという形式の予告漫画が掲載されている。
この二つは連載雑誌が学年誌で読者が進級後に購読する『小学五年生』にはドラえもんが連載されていなかった為、年度末に最終回としただけの事であり、翌年度の『小学四年生』には『ドラえもん』がちゃんと連載されている(その後に当たる1973年3月号には最終回は掲載されていない。1973年4月号より『小学五年生』『小学六年生』にも連載が拡大されたためである。同年4月から日本テレビ版のアニメが放映されることが決まっていたためという説もあるが)。

しかし下記に記載した3本目の最終回は、一般には一時は本当に最終回になる予定のものであったといわれているが、後述の通り真相は不明である。

『さようなら、ドラえもん』(『小学三年生』1974年3月号(掲載時は『未来の世界に帰る』)・てんとう虫コミックス6巻に収録) - いつもの通り、ジャイアンにいじめられて帰ってきたのび太。ドラえもんに甘えるが、ドラえもんは未来に帰らなければいけなくなったとのび太に告げる(理由は不明)。最初は泣いて引き止めたのび太だが、パパとママに説得されてこれを受け入れ、最後の夜に二人で夜の散歩に出かける。涙をみせまいとしたドラえもんと途中で別れたのび太は夜中に寝ぼけて徘徊するジャイアンに出会い、喧嘩になる。ジャイアンに何度も何度も倒されるが、ドラえもんに頼ることなく自分がしっかりしないとドラえもんが安心できないと、必死でジャイアンに掴みかかり、ついに最後には自分の力のみでのび太はジャイアンに「悪かった、おれの負けだ、許せ」と言わせる。そこに駆けつけたドラえもんはボロボロになったのび太を担いで家に帰った。眠るのび太の横顔を涙ながらに見守っていたドラえもんは、朝の陽光が差すときにはもういなかった…。
1997年にテレビ朝日系で放送されていた歴史バラエティ番組「驚きももの木20世紀」内で、当時の小学館の担当者が経緯を説明したところによると、この話は前年に日本テレビ版のアニメが終了した事や作者が新しい連載(『みきおとミキオ』など)を抱えていた事情などがあり、一時期は本当の最終回にするつもりで構成したものの、次の作品を考えていても作者はドラえもんの事が頭から離れず、思い直して『帰ってきたドラえもん』を構成、翌月号である『小学四年生』4月号に掲載されてドラえもんは続けられたとのことであった。この二作品を合わせた話が『帰ってきたドラえもん』として1981年にTVアニメ化、1998年に映画化されている。しかし雑誌掲載時は「4月号に続く」と書かれていたため、本当に最終回とするつもりが思い直したのか、最初から続くつもりで描かれたのかは不明。また、当時『ドラえもん』は『小学一年生』から『小学四年生』まで連載されており、『小学三年生』にだけ最終回が掲載されるというのも不自然とも言え、真相は不明である。


『帰ってきたドラえもん』
(てんとう虫コミック7巻収録)

ドラえもんがいなくなった後、暗い毎日を過ごしていたのび太だったが、ついに気をとりなおして明るく暮らす事を決意する。外へと繰り出すと突然ジャイアンが現れ、のび太にドラえもんを見かけたという。ドラえもんが帰ってきたのだと思ったのび太は大はしゃぎだったが、しかしその日は4月1日。つまりドラえもんを見かけたというのはエイプリルフール、すなわち『四月バカ』の嘘だったのだ。

残酷な仕打ちの嘘にだまされて泣いているうちに、のび太はドラえもんが「ぼくが出て行った後、どうしても我慢できないことがあったらこれを開け」と言って残して行った、本人を模った箱を思い出す。これを開ければそのときに必要なものが出てくるというのだ(アニメ版では“使えるのは一度だけ、開封の瞬間が最初で最後”と説明されている)。出てきたのは、喋った事が嘘になる、つまり、喋った事と逆の事柄が起こる飲み物「ウソ8OO(うそえいとおーおー、元ネタは『嘘八百』)」。これを飲んで、のび太はジャイアンやスネ夫に嘘をついた仕返しをする(「今日は良いお天気だね~」とのび太が二人に言うと大雨が降り、「大雨だね」と言うと日本晴れになったり)。しかし、仕返しを終えると虚しくなってしまい、「ドラえもんは帰ってこないんだから」、「もう、二度と会えないんだから」と独り言をいう。

部屋に戻ると、奇跡が起こった。そこにはドラえもんがいた。ウソ8OOを飲んでいたので、先ほどの「ドラえもんは帰ってこないんだから」、「もう、二度と会えないんだから」という独り言が嘘になり、「ドラえもんが帰ってくる」、「また会える」という事になったのだ。のび太は「嬉しくない。これからまた、ずうっとドラえもんと一緒に暮らさない。」と逆さ言葉で再会を泣いて喜ぶのだった。


日本テレビ動画版アニメにおける最終回
ドラえもんのアニメは、現在テレビ朝日系列で放映されているシンエイ動画版以前に、日本テレビ・日本テレビ動画で製作された、通称「旧ドラ」がある(作品の詳細に関してはドラえもん (日本テレビ版テレビアニメ)の項を参照のこと)。

このシリーズは2クール53話27週で完結したため、「最終回」が描かれている。内容は、自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をするところを、未来の世界から見守るところで物語が終わるというもの。原作において発表された3本の「ドラえもんの最終回」のうち、単行本未収録の1本を映像化したものである。

日本テレビ版ドラえもんの最終回では、最後の放送だったにもかかわらず、いつもの放送の最後と同じセルで「次回をお楽しみに」というアイキャッチを表示した(前週までは「次週お楽しみに」)。これはただの手抜きやミスではない。日本テレビ動画再建と続編の製作を、「再びいつかドラえもんを……」という希望を込めて、スタッフたちはあえて、「次回お楽しみに」との言葉を表示したのである。
これに対し、何らかの配慮が働いたものか、テレビ朝日版では第1話に“ドラえもんが未来からやって来る”という原作第1話のエピソード『未来の国からはるばると』を避け、「ゆめの町ノビタランド」とした。ドラえもんがやってくるエピソードは後に特番で番外編的に描かれた。

ドラえもんの最終回についての都市伝説
1990年代の終わりごろから『ドラえもんの最終回』と称するチェーンメールが出回り始めた。その中でも最も有名なのが「のび太植物人間説」と「ドラえもんの発明者はのび太」の2つである。


のび太植物人間説
1986年頃に一時期子供たちの間で流行した都市伝説であり、このチェーンメールの最終回はそれを少し改変したものである。内容は、「ある日、事故にあって植物状態になったのび太を、ドラえもんが天国へと連れて行く」というものや、「植物状態ののび太が見ていた夢」「実はのび太は心身障害者で、ドラえもんは彼による作り話(妄想・羨望といった派生型あり)」といったものである。ちなみに、「植物状態に陥った人物のうわ言がドラえもんのヒントになった。よってこのような最終回になった」という話を根拠にしたと推測されている。この最終回の噂はマスコミなどでも大きく採り上げられたため、原作者の藤子不二雄が正式に「流言飛語で根拠のないデマ」・「ドラえもんはそのような悲観的な終わり方にはしないつもりだ」とするコメントを発表する事態となった。
又、同じ植物状態説でも「動かないのび太にドラえもんが自分の全エネルギーを与え、自身の命と引き換えに助けた。その後、のび太が停止したドラえもんを抱きしめ、泣きながら『ドラえもーん』と叫ぶと、垂れた涙がドラえもんに当たった瞬間にドラえもんが復活し、オープニングテーマが流れスタッフロールが出てきてフィナーレ」というハッピーエンドになるものもある。ちなみにこのエピソードは1991年にアニメ化された『丸出だめ夫』の最終回ほぼそのままの話である。

ドラえもんの発明者はのび太説
「ある日突然ドラえもんが動かなくなってしまった。未来の世界からドラミを呼んで原因を調べたところ、バッテリー切れが原因だと分かった。しかし、旧式の猫型ロボット(この場合はドラえもん)のバックアップ用記憶メモリーは耳に内蔵されているが、ドラえもんは既に耳を失っていたので、バッテリーを交換してしまえば、のび太とすごした日々を完全に忘却(リセット、すなわち『消去』)してしまう事が分かった。バックアップを取ろうにも方法が分からず、開発者を呼ぼうとするも設計開発者の情報は訳あって超重要機密事項となっていた。のび太は迷いの末、とりあえずドラえもんを押入れにしまい込み、皆には『ドラえもんは未来へ帰った』と説明したが、ドラえもんのいない生活に耐えられず、猛勉強をしてトップクラスのロボット工学者に成長する。工学者になってから、しずかちゃんと結婚し、しずかちゃんの目の前で、修理したドラえもんのスイッチを入れ、ドラえもんがいつものように『のび太君、宿題終わったのかい?』と言い復活する。つまりドラえもんの製作者はのび太であった」という話である。
この話は、あるドラえもんのファンページの作者が、あくまで「自作の最終回である」と言明しウェブサイト上に公開していたものがチェーンメール化したものである。ちなみに、後の脚色で「のび太は15歳で海外に留学した(飛び級で大学に入ったとする事もある)」、「修理には妻となったしずかちゃんが立ち会った」などが付け足されている場合もある。このファンページの作者は当時「チェーンメールはまことしやかに流布され、原作に対する権利の侵害、熱心なファンに対する冒涜であり、このような騒ぎになったのは私の責任」だとし、ファンページを閉鎖したが、その後もチェーンメールは真実の確認がなされぬまま流され続けた。2007年現在も未解決の問題である田嶋安恵による同人誌が作られた際にはファンページの作者とは連絡が取れなかったことが想像できる(ただし、作者が現在どういった立場にあるかについては、2007年1月の中日新聞特集記事上で明らかにされているし、またそれ以前にもインターネット検索で容易に知ることができる)。さもなければファンページの作者が最も憂慮した結果にはならなかったはずである。
鈴木蘭々などのドラえもんファンのタレントが、深夜番組などで「最終回は~(のび太発明者説)なんだって」等と語った事から広範囲に流布し、一部ではこれを真の最終回だと誤解した人もいたという。また、この話に対する反論として、「原作に出る高校生のび太は馬鹿なままだ」とか「大学生のび太がタイムマシンでやってきた時、ドラえもんを見て何のリアクションも見せないのはおかしい」「ドラえもんのエネルギーは食べたものを使う原子力エネルギーだからバッテリー切れをするのはありえない(原子炉のトラブルで22世紀に飛んで帰る話がある)」「ドラえもんは1年に1回は22世紀へ行ってバッテリー交換をしていると漫画で紹介されたから、バッテリー切れなんてあり得ない」「そもそも、耳は無くても生活に支障は無いと医師が公言している」などが挙げられる。また、「出来る範囲で頑張る」という作品の中で示されるのび太の成長が、「一生懸命頑張って立派になる」というように変わってしまっており、『ドラえもん』のテーマを完全に取り違えているとの批判もある。

田嶋安恵による同人誌
2005年よりこの話を基にした田嶋安恵による同人誌作品が執筆され、同人誌では異例の1万5千部ものヒットとなり、この作品に共感したファンの手によってフラッシュムービー化されWebで公開されていた。これは後に小学館よりクレームがつき公開終了、が現在もYouTube、その他Webで見ることができる。

この同人誌について、ドラえもんの版権を持つ小学館はこの同人誌の反響の多さに対し厳しく対処するために、2006年に田嶋安恵側に販売中止と回収、ネット公表の中止を要請し、刑事告訴も視野に入れていると産経新聞により報道された。2007年には出版元の小学館と著作権を持つ藤子プロに謝罪し、売上金の一部を支払っていたことがわかった。

なお、著作権法上、『絵』の著作権は保護されているが、『キャラクターの性格』には著作権が存在しないという「ポパイ・ネクタイ事件」のような過去の判例もある。そのため実質、勝手な続篇製作や最終回などは本質的には問題がないため、こういった事例が今後同人誌などでどのように扱われるかが注目されている。前述の「ポパイ・ネクタイ事件」は1997年に最高裁まで争い、結果的に「漫画のキャラクターは、漫画の著作物から独立して保護される著作性は無い」としている。つまり、ポパイやドラえもんのような同じキャラクターが一定の役割、絵柄で書かれている『一話完結』の漫画作品はそれらのキャラクターの登場したそれぞれの漫画が著作物となり、具体的な漫画を離れてキャラクターのみに著作性を問うことはできないということである。

確かに「漫画のキャラクター」自体は著作物とはならないものの、他人の著作物を基礎として作成した二次的著作物は、勝手に作成すると著作権侵害を構成する可能性がある。また、二次的著作物とまでならなくても、著作権が発生している「漫画の著作物」を実質的に複製したものであるととして、「漫画のキャラクター」自体は著作物でないため著作権侵害を生じないと判断するのは著作権を侵害する可能性がある。結論として、いずれにしても同人誌の作成は著作権侵害が生じている可能性が非常に高く、専門家の意見として、拙速である。

詳しくは→http://nikkanyoutube.livedoor.biz/archives/50835903.html
ドラえもん (1)

小学館

このアイテムの詳細を見る

出版社 / 著者からの内容紹介
●日本を代表する漫画家藤子・F・不二雄先生の傑作作品『ドラえもん』。未来の国からやってきたごぞんじ、ネコ型ロボットのドラえもんが親友のび太とともにくりひろげる友情ファンタジー。四次元ポケットから取りだされる不思議な道具で日本じゅうを笑いに包みこむ。しずちゃんやスネ夫、それにジャイアンも元気いっぱい。大きな夢をあたえてくれるワクワクドキドキ素敵な道具でキミを心温まるドラえもんワールドにご案内。
▼第1話/未来の国からはるばると▼第2話/ドラえもんの大予言▼第3話/変身ビスケット▼第4話/秘(丸囲み)スパイ大作戦▼第5話/コベアベ▼第6話/古道具きょう争▼第7話/ペコペコバッタ▼第8話/ご先祖さまがんばれ▼第9話/かげがり▼第10話おせじ口べに▼第11話/一生に一度は百点を▼第12話/プロポーズ大作戦▼第13話/◯◯が××と△△する▼第14話/雪でアッチッチ▼第15話/ランプのけむりオバケ▼第16話/走れ! ウマタケ

出版社からのコメント
四次元ポケットの中からいくらでも出てくる、ふしぎな道具とゆかいなお話。日本中を笑いでつつむ、人気者ドラえもん。
ドラえもん (45)

小学館

このアイテムの詳細を見る

出版社 / 著者からの内容紹介
●日本を代表する漫画家藤子・F・不二雄先生の傑作作品『ドラえもん』。未来の国からやってきたごぞんじ、ネコ型ロボットのドラえもんが親友のび太とともにくりひろげる友情ファンタジー。四次元ポケットから取りだされる不思議な道具で日本じゅうを笑いに包みこむ。しずちゃんやスネ夫、それにジャイアンも元気いっぱい。大きな夢をあたえてくれるワクワクドキドキ素敵な道具でキミを心温まるドラえもんワールドにご案内。
▼第1話/うきわパイプ▼第2話/ドラえもんが重病に?▼第3話/強力ハイポンプガス▼第4話/南海の大冒険▼第5話/自然観察プラモシリーズ▼第6話/四次元くずかご▼第7話/ボトルシップ大海戦▼第8話/タイムワープリール▼第9話/人間すごろく▼第10話/身がわり紙人形▼第11話/何が何でもお花見を▼第12話/人間うつしはおそろしい▼第13話/地図ちゅうしゃき▼第14話/トロリン▼第15話/ガラパ星からきた男

出版社からのコメント
四次元ポケットの中からいくらでも出てくる、ふしぎな道具とゆかいなお話。日本中を笑いでつつむ、人気者ドラえもん。




「ファン」の「ドラえもん」を愛する気持ちが行き過ぎた行動を起こしたのではないか?僕も手塚治虫の「火の鳥」の最終回を見てみたかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紀香、披露宴は「喜んでもらえるものに」

2007年05月29日 | 映画・DVD・ビデオ
 米アニメ映画「シュレック3」のジャパンプレミアで、米国版と日本版でそれぞれフィオナ姫の吹き替えを担当したキャメロン・ディアスと藤原紀香がレッドカーペットに登場。結婚披露宴を控えた藤原紀香は「遠方から来てくださる方が多いので、皆さんが喜んでもらえるようなものにしたい」と抱負を語った。
 2人はともにゴージャスなゴールドドレスでにこやかに会見。紀香は「キャメロンは始終スマイルでポジティブなのが素敵。会っていると元気をもらえる」と賞賛すると、キャメロンは「紀香は真実の愛を見つけたので、これから新たな人生が始まる。心から祝福しています!」とメッセージを贈った。~6月30日より松竹・東急系にて公開 配給:アスミック・エース 角川エンタテインメント~
(時事通信より引用)



藤原 紀香(ふじわら のりか、1971年6月28日 - )は、日本の女性タレント。本名、陣内 紀香(じんない のりか、旧姓:藤原)。

兵庫県西宮市出身。所属事務所はサムデイ。公称身長171cm、B 88㎝、W60㎝、H89㎝、血液型A型。神戸親和女子大学文学部英文科卒。ミス日本グランプリ受賞者。資格は、英語検定2級、着物着付け3級など。 趣味は、女磨き、写真、釣り、加圧トレーニング、映画鑑賞、タンゴ、スポーツ全般、アロママッサージ。弟がいる(一般人の為、非公表)。夫はお笑い芸人の陣内智則。

来歴
1971年、兵庫県西宮市生瀬地区(宝塚市近郊)で生まれる。
1990年、親和女子高等学校卒業後神戸親和女子大学に進学。
1992年、神戸親和女子大学在学中に、第24回ミス日本グランプリを受賞。
1993年、東レ水着キャンペーンガール。
1993年、朝日放送の関西ローカル番組・ナイトinナイト『クイズ!紳助くん』の初代アシスタントに。1997年12月までの長期間の出演。
1994年、アサヒビールイメージガールとして活躍。
1995年、阪神・淡路大震災で被災し、「人生、いつ終わるかわからないから」と達観して上京。
1997年、映画『CAT'S EYE』で、泥棒三姉妹の長女の泪(るい)役を演じる。
1998年、フジテレビ系テレビドラマ『ハッピーマニア』に出演し高視聴率を記録した。
2000年、香港映画『CHINA STRIKE FORCE』(邦題:スパイN)に出演。
CMにも数多く出演し、過去「CMの女王」と言われたこともある(CM総合研究所のCMタレント年度別好感度ランキングで1999年と2000年に一位を記録)。特に、J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)のCMは衝撃的で、世間の話題を呼んだ。J-PHONEは藤原紀香のCMの効果で、急激にシェアを伸ばした。東京デジタルフォンから始まり今日のソフトバンクモバイル迄において1番の功労者彼女と言っても過言ではない。詳しくはソフトバンクモバイルのJ-PHONEの項を参照のこと。
2002年、日韓親善大使。
2006年12月26日、お笑い芸人の陣内智則と2人そろって記者会見を行い、2006年12月10日に結納を済ませたこと、2007年2月17日に生田神社にて挙式を行うことを発表した。
2006年、世界で一番ユーザーが多いソーシャルネットワーク、MySpaceをはじめる。
2007年2月17日、生田神社で陣内智則と挙式(挙式の様子は非公開)。衣裳は十二単におすべらかし(陣内は束帯)、お色直しは白無垢に高島田(陣内は黒紋付袴)。
2007年3月、ヒロインを務める予定だった舞台「ささやき色のあの日たち」(2007年8月)を「海外で別の仕事がある」として降板。
2007年4月、「テレビブロス」の「2006年ドラマ版ラジー賞」の「ワースト女優賞」に選ばれた。(「だめんず・うぉ~か~」主演女優として)
2007年4月10日、ホテルオークラ神戸での結婚披露宴(2007年5月30日予定)に先駆けて、加古川市役所にて陣内智則と入籍。この日が、今上天皇の結婚記念日だったため、皇室を意識した行動ではないかと一部から憶測を呼んだが、婚姻届を二人で提出しに行く為に、双方のスケジュールを調整した結果、偶然同じ日になっただけである。

人物
中学時代はバスケットボール部に所属し、高校時代は落語研究会に所属していた。芸名は「親和亭かつお」だった。
ドラマの役柄なども「悪女タイプ」の配役が多い。
意外なことにピアスを全くしていない。また仕事で髪を染めることがあってもすぐに黒髪に戻すなど、意外と古風な一面がある。
体型が峰不二子に似ている(『SRS』の番組内でコスプレした事があり、自身も50歳60歳になっても「峰不二子」の容姿でいたいと2007年2月16日の『スポーツニッポン』のインタビューで語っていた)。
ミス日本グランプリの審査ではその体型の素晴らしさに、審査員からの質問を独り占めにしたほど。本人も「私ならボンドガールもできる」と自負があった。しかし、それは余りにも自惚れた発言だと一部から批判を浴びた。
両親が和歌山県出身であり、よく紀ノ川周辺でデートしていたという。紀ノ川の香りが印象に残ったらしく、「紀ノ川」の「香り」からちなんで紀香と命名された。
母親は紀香よりも大柄で若き日にはミスコンに出場したこともあるが、家族に反対され芸能界入りを諦めた。その為紀香の芸能活動にはとても協力的だという。2006年12月10日に結納の時に、報道陣に車に乗っている影武者として写真を撮られている。
著書『藤原主義』(幻冬舎文庫、ISBN 4-344-40413-0)によると、芸能界デビュー当初は実家から新幹線や飛行機で仕事場に通っていたが、阪神大震災で親戚や知人を亡くして「やり残したことを後悔しながら死ぬのは嫌だ。これからは自分の夢に向かって生きていこう」と決意し、親元から離れて上京することを決意したとのこと。
大黒摩季ファンを公言しており、カラオケではかなり歌うらしい。また本人とも親交がある。
ラジオDJパーソナリティである玉川美沙と同年齢で同じ関西人という繋がりで親交があり、彼女の番組『玉川美沙たまなび』(文化放送)にもゲスト出演した。(2006年10月13日放送)
紀香魂―ハッピー・スピリット

幻冬舎

このアイテムの詳細を見る


カンダクゥ 笑顔で

日本テレビ放送網

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
女優・藤原紀香が自身の手でふれ、目で見つめたアフガニスタン、その悲しみと希望の記録。

内容(「MARC」データベースより)
ものすごい轟音と共に軍用ヘリが上空を通過した。その銃口が容赦なく地上に向いている。「私は本当にこの戦火の国、アフガニスタンに来たんだ」と痛いくらい感じた瞬間だった。藤原紀香が見つめたアフガニスタンの記録。

藤原主義―強く、美しい人になる61のヒント

幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
関西の大学に在学中、ミス日本グランプリを受賞したのをきっかけに、雑誌のモデルからデビューを果たした藤原紀香。CMやドラマ、映画など多方面で活躍している彼女が、人生における、61個の「藤原主義」を語っているのが本書である。
巻頭にある「美しく、前向きに生きたいすべての女性へ」という言葉が表しているとおり、自分のパワーの源をさらけ出すことで、多くの女性に元気とやる気を与えるような本となっている。とはいえ、彼女にも、悩み苦しんでいた時期があったらしい。恋愛において、「嫉妬の鬼」とでもいうべきマイナス感情と正面から向き合わざるを得なかった時代。大震災後、親しい友人や両親を残して上京したばかりの不安で寂しい日々。テレビなどで見る藤原紀香のイメージからはほど遠い、でも、普通の女性とまったく変わらぬ姿がここにある。このような下積み時代を長く経験している人だからこそ、語る言葉に説得力があるのかもしれない。

見られることを職業とし、プロとしての誇りを持っている彼女の心意気は、とてもストイックで、厳しい。でも、同じ女性として参考にすべき「藤原主義」はたくさんある。「(仕事柄)外見のビューティーなんていくらでも作れてしまうことを誰よりも知っている」からこそ、内面の美しさにこだわりたいという彼女の姿勢は、楽してキレイになりたいという見果てぬ夢を持ってしまいがちな私たちに、強烈な喝を入れてくれるようだ。(朝倉真弓) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

出版社/著者からの内容紹介
打ち明けない恋は後悔を残すだけ、反省はしても後悔はしない、ひとりの時間を過ごせる女になる、20年後も同じサイズのジーンズをはく……。女優藤原紀香が実践する心と体を磨くヒント集。

内容(「BOOK」データベースより)
反省はしても後悔はしない、ひとりの時間を過ごせる女になる、縁に敏感な人は、恋も仕事もうまくいく、20年後も同じサイズのジーンズをはく、ファッションに思い込みは捨てる…。大切なものを守る勇気をもち、私らしく生きていく、女優藤原紀香が毎日実践する、心と体を磨くヒント集。美しくなりたいすべての女性のバイブル。





陣内 智則(じんない とものり、本名同じ、1974年2月22日-)は、日本のお笑い芸人であり、ピン芸人である。兵庫県加古川市出身。兵庫県立高砂南高等学校卒。身長168 cm。血液型A型。 1人コント形式で音声や映像に対してツッコミを入れるという独特なスタイルに定評がある。あだ名は「ジンくん」「ジンさん」、一時期はヨン様にあやかって「ジン様」と呼ばれて(呼ばせて?)いたこともあった。「とものり」の由来は「丸美屋」の「のりたま」から「のりとも」、「とものり」となったということをコントのネタにしていた。妻は女優の藤原紀香。

人物
吉本興業大阪本社所属。大阪NSC11期生。同期には中川家、たむらけんじ、ケンドーコバヤシ、海原やすよ・ともこ、ハリガネロック、ルート33堂土、吉本新喜劇の烏川耕一などがいる。

尚、ココリコ・藤井隆らはデビュー年は一緒ながら、こちらがわずかに先であるため陣内側が後輩扱いとなる(学年的にも陣内の方が2つ下)。

クリエイターの原田専門家(彼も同じくNSC11期生)と共に作った映像や音声を駆使したネタにツッコミを入れるという、ピン芸人として今までに無いスタイルを確立。

3人兄弟の末っ子(兄と姉がいる)。しかし、結婚して義弟がいる。(紀香にとっては実弟)

視力が悪く(両眼共に0.05であった)、以前はコンタクトレンズ・メガネを使用していたが、2007年4月にレーシックの施術により視力が両眼とも1.5にまでなった。

藤原紀香との出会い・結婚
2006年4月に、日本テレビ系DRAMA COMPLEX「59番目のプロポーズ」にて陣内は、藤原紀香と出会うことになる。ドラマ収録後の打ち上げの席で、陣内は藤原に手紙を渡し、そこから二人のお付き合いが始まる。

7月14日のヨシモト∞で、急性扁桃炎にかかっていると告白。声が出なかったためエンタの神様のスタッフに病院に連れて行かれ、ステロイド注射を打ったという。しかし、結局声は出ず「2年間ずっと眠い」という注射の副作用だけが残ることになった。なおこの日に藤原が渋谷∞ホールまで自分の料理したサムゲタンを届け扁桃炎で弱った陣内を元気付けた。(「恋のかま騒ぎ」より)

2006年末になって藤原との結婚の話でメディアに注目され、12月10日神戸市内の生田神社で結納を交わし、2007年2月17日に同神社で挙式(結婚式には、同期のケンドーコバヤシ・たむらけんじやなるトモ!で共演するなるみ・海原やすよ・ともこ・シャンプーハット小出水らが出席した)。この挙式の模様は、同日16:20-16:55に讀賣テレビ放送が放送(他には熊本県民テレビ(KKT)がネット)し、関西で18.2%という高視聴率を挙げた。交際をするにあたり、なるトモ!に出演している芸能リポーター駒井千佳子に相談していた。翌日に出演した「ルミネtheよしもと」では、生田神社の様な規制(但しコント出演中の写真撮影禁止)もなく、素でコントをしている所が見れたり、「ルミネtheよしもと」と「映画の試写会」では、「おめでとう」を言う人が多かった。また、結婚により藤原紀香の本名が「陣内紀香」となったが、藤原の方が全国的な知名度が高いため、テレビ等のネタで「藤原智則さん」と呼ばれたり、「いつ藤原姓になるの?」などと言われている。また、結婚を機に東京の藤原の部屋に引っ越し、「なるトモ!」の放送及び収録がある毎週月曜~木曜は片道3時間にもわたる新幹線通勤を試行している。

2007年4月10日、加古川市役所にて共に婚姻届を提出し正式に夫婦となった。

2人で住んでいる家には、陣内の持ち込んだものは狸の置物と液晶テレビの2つしかない(狸の置物は、玄関の外にある。陣内談)。
陣内智則 NETA JIN

ビデオメーカー

このアイテムの詳細を見る

内容紹介
陣内智則の2004年6月に行われた単独ライブがDVD化。
【収録内容】
●飛行機
●オウム
●はじめての○○ PART 1
●羊が一匹・・・
●おもひで
●はじめての○○ PART 2
●水晶玉
●ゲームセンター
●物売り屋さん
●はじめての○○ PART 3
●彼女の部屋
●悩み相談
●はじめての○○ PART 4
●視力検査
●卒業式
●エンディング
【映像特典】
●DVD特典
●ネタ供養


Amazon.co.jp
「エンタの神様」「爆笑オンエアバトル」などで一躍全国区の人気者となった陣内智則。このDVDは、 2004年にルミネtheよしもとで行われたイベント「NetaJin」の模様を完全網羅したもの。「飛行機」「オウム」「ゲームセンター」「物売り屋さん」「視力検査」など、テレビでおなじみのネタから初公開のネタまで、幅広く収録されている。音声と映像にツッコミを入れるという陣内独特のスタイルはすでに完成型。間の取り方も抜群で、ネタの緻密さには脱帽だ。意表を突いた展開の数々に思わず吹き出してしまう。音声と映像のコラボという新ジャンルのフォロワーは今後続出しそうだがパイオニアである陣内の立場は揺ぎないといえるだろう。お笑いファン必見!(仲村英一郎)
陣内智則 NETA JIN 2

アール・アンド・シー

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
前作「陣内智則 NETA JIN」から2年。待望の第2弾「陣内智則 NETA JIN 2」の登場だ。このDVDは、2006年11月ルミネtheよしもとにおけるソロライブを収録したもの。前作以上にネタが磨かれており、確かな進化を遂げた陣内のコントを堪能できる70分。「オーちゃん~ペット禁止の巻~」「犬」「校歌」「忘れ物センター」「地球戦士ジンダム」など爆笑必至のネタばかり。動物を題材に使った、「オーちゃん」と「犬」は何度観ても飽きない。「忘れ物センター」の設定と緻密に仕上げられたネタは秀逸だ。「地球戦士ジンダム」では後半からラストにかけて、実験的な試みがなされている。今後の陣内の方向性を示唆するような展開。常に進化し続ける陣内に大いに期待!(仲村英一郎)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
映像や音声を巧みに使ったコントで人気の陣内智則が2006年11月にルミネtheよしもとで行った単独ライブの模様を収めたDVD。「アリバイ」「校歌」「オーちゃん2」「犬」「忘れ物センター」「防犯カメラ」「プロポーズ」など、秀逸なネタ満載で収録予定。





明日午後7時から放送の日本テレビの『完全独占中継!おめでとう!藤原紀香・陣内智則・愛と爆笑と涙の結婚披露宴』、関西での視聴率は30%を超えるだろうか?関東と関西では「熱」が違う。二人とも関西人。結婚して藤原紀香が綺麗になったと思うのは僕だけだろうか?




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊丹十三の映画・・・没後10年。

2007年05月29日 | 映画・DVD・ビデオ
伊丹十三の映画

新潮社

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
「お葬式」「マルサの女」など10本の作品を残し、1980~90年代
の日本映画界を疾走した、映画監督・伊丹十三の全貌!
 伊丹十三の映画監督デビューは1984年、51歳のときだった。俳優、エッセイス
ト、デザイナーなど、様々に活躍した伊丹十三は、自ら「映画は僕の全人生の煮
こごりのようなもの」と語るように、その才能を惜しみなく映画へと注ぎ、10本
の作品を世に送り出した。それは映画による卓越した日本人論であり、多くの観
客動員を誇るエンターテインメントでもあった。

 1997年に惜しまれつつ世を去ってから10年。伊丹映画を支えた役者やスタッフ
がはじめて明かす舞台裏。山崎努が、津川雅彦が、役所広司が、そして宮本信子
が----計43人が語る、映画監督・伊丹十三のすべて!



初めて伊丹映画を観たのは、『お葬式』。喪服の強姦シーンがエロチックだった。『マルサの女』はテンポがとっても良く、素晴らしい映画。上映後、しばらく席を立てなかった。大阪・梅田の三番街シネマで観たと記憶している。『タンポポ』は「卵黄」を舌から舌へ移すシーンがSEXY。才人・伊丹十三・・・何故、命を絶ったのか・・・

伊丹十三DVDコレクション マルサの女 コレクターズセット (初回限定生産)

ジェネオン エンタテインメント

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
マルサとは、国税局査察官の通称。税務署調査員の板倉亮子(宮本信子)はやがてマルサとなって、ラブホテルなどを経営する実業家・権藤(山崎努)の脱税を暴くべく暗躍する。
伊丹十三監督の第3作目にして最高傑作の呼び声も高いエンタテインメント快作。オカッパ頭にそばかすと、身なりこそ変だが極上のキャリアウーマンを宮本信子が快演。脱税を暴くマルサのテクニックもウンチク風に描かれていくあたりも、伊丹映画の真骨頂たるものだが、脱税する側の理屈もまた妙に説得力があるのが奥深くてよい。そもそもは『お葬式』で得た利益の半分以上が税金として国に持っていかれたことから、伊丹監督が税に興味を抱いたのが企画の発端とか。キネマ旬報ベスト・テン第1位などその年の映画賞を独占。宮本信子も数々の主演女優賞に輝いた。海外でも高く評価され、実現こそしなかったが、アメリカでリメイクといった企画も持ち上がったほどである。(増當竜也)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
伊丹十三監督、宮本信子扮する国税局査察部の女監察官“マルサの女”と、巨額脱税者の行き詰まる戦いをスリリングに描くサスペンスドラマ。今作は、本編とそのメイキング『マルサの女をマルサする』をセットにしたコレクターズ版。


内容(「Oricon」データベースより)
国税局査察部、通称“マルサ”と、巨額脱税者の息詰まる戦いの様子を描いた「マルサの女」と、その裏側をさぐった「マルサの女をマルサする」をひとつにしたコレクターズセット。
伊丹十三DVDコレクション お葬式

ジェネオン エンタテインメント

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
井上侘助(山崎努)とその妻・千鶴子(宮本信子)、ともに俳優のふたりがCMを撮影中に、千鶴子の父・雨宮真吉(奥村公延)が死んだとの知らせが入った。ふたりは、マネージャーの里見(財津一郎)らとともに伊豆の病院へ向かい、千鶴子の母・きく江(菅井きん)を喪主に、通夜と葬式を執り行うことになるが……。
俳優・伊丹十三の記念すべき監督デビュー作。エッセイストとしても著名な彼は、妻・宮本信子の父の葬儀を体験し、死という悲しい出来事の中、繰り広げられる滑稽な出来事の数々に驚き、それを基にまさにエッセイのような映画を作り上げた。争議を経験したことのある者なら実によくわかるエピソードが満載だが、やがては人間讃歌をかなであげていく手腕がお見事。ラストの菅井きんの挨拶のシーンは感動ものだ。またそれぞれつぼをわきまえたキャスティングも絶品である。キネマ旬報ベスト1などその年の映画賞を独占。世界に誇る伊丹映画の輝かしい幕開けはここから始まった。(増當竜也)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
巨匠・伊丹十三の監督デビュー作となる、山崎努主演によるコメディドラマ。ある日突然、妻・千鶴子の父が亡くなったことで葬式を上げることになった俳優・佗助。しかし、葬式を出すのは初めての経験とあって、彼はまったく勝手がわからず…。


内容(「Oricon」データベースより)
伊丹十三監督作品がついに単品DVD化!夫婦で役者をやっている二人が初めて出すお葬式に戸惑う姿と、周囲の人々の様子を描いた作品。山崎努、宮本信子ほか出演。
伊丹十三DVDコレクション タンポポ コレクターズセット (初回限定生産)

ジェネオン エンタテインメント

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
タンクローリーの運転手ゴロー(山崎努)は、ひょんなことから知り合った未亡人タンポポ(宮本信子)が経営するさびれたラーメン屋を立て直すべく、彼女を特訓し、やがて究極のラーメンを完成させる。
『お葬式』で高い評価を得た伊丹十三監督がその第2作として手がけた、本人いわく「ラーメン・ウェスタン」。そう、まるで西部劇のようなタッチで風来坊とラーメン屋の女主人との恋がつづられていくのだ。往年のハリウッド映画風の大仰な音楽も、妙におかしい。また本筋と並行して、エッセイストとしても知られる伊丹十三ならではの食に関するウンチクが次々と、時にエロティックに語られていき、ラストショットでは人間の食欲と性欲の原点までもがさらりと描かれていく面白さ。若き日の役所広司や渡辺謙がおいしい役で出ているあたりも見どころだ。もちろんその他のキャスティングも絶品。オムニバス的な内容が際立ったがために、公開時の国内の評価は戸惑い気味ではあったが、海外、特にアメリカでは高い評価を得た。食の喜びは万国共通だったということか。(増當竜也)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
伊丹十三監督が山崎努や役所広司らを迎えたコメディドラマと、そのメイキング『伊丹十三の「タンポポ」撮影日記』のセット。さびれたラーメン屋を営む未亡人・タンポポに惹かれた男たちが、その店を繁盛させるために奮闘する姿を描く。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成分解析サイトにようこそ!!!!!

2007年05月29日 | インターネット
こちらでお試しあれ!!!!!→http://seibun.nosv.org/


顔分析もあるでよー→http://seibun.nosv.org/face/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手つなぎラッコ

2007年05月29日 | インターネット
かわいい「手つなぎラッコ」動画、ユーチューブで人気

 「手」(前脚)をつないで水面を漂っている愛らしいラッコのカップルを撮影したビデオがインターネット上に掲載され、2カ月で累計約604万回のアクセスを獲得する人気を博している。カップルを飼育するカナダの水族館も、絶滅危惧(きぐ)種に指定されているラッコの保護に向けた啓発になると大歓迎だ。

 一躍スターになったのは、カナダ・バンクーバーにあるバンクーバー水族館で飼われている17歳のメスのニアクと7歳のオスのミロ。ニアクは、1989年にアラスカで起きた超大型タンカーの原油流出事故に巻き込まれて保護された環境問題の「生き証人」だ。

 米南部フロリダ州の大学教員シンシア・ホームズさんが今年3月、同水族館で撮影したビデオを動画投稿サイトのユーチューブに掲載したところ、「心が癒やされる」と世界的反響を呼んだ。ビデオでは、手をつないで水面に浮かんでいた2頭がいったん離れ離れになり、再び身を寄せて手をつなぎ直す様子が納められている。(時事通信より引用)
画像を見たい人、こっち→http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070523/1179891330



「インターネット」って、世界中を駆けめくっているのを実感。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松本人志・・・人志松本のすべらない話~HITOSI MATUMOTO VISUALBUM

2007年05月29日 | 映画・DVD・ビデオ
人志松本のすべらない話

アール・アンド・シー

このアイテムの詳細を見る

内容紹介
視聴率7%を超える、あのフジテレビ人気深夜番組が遂にDVD化!!

これぞ、お笑い界の総合格闘技!!
~すべらない話とは~
誰でも1つは、"すべらない話"を持っているものである。松本人志をはじめとする笑いの精鋭たちが
そのひとつひとつを披露する事だけでお送りするとてもシンプルな番組!(すべての話は実話です)
『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)はこれまで第5弾まで放送してきたが、昨年9月に
放送した第3弾が「第43回ギャラクシー奨励賞」を受賞! 深夜25時台の放送でありながら
視聴率は7%を超えているという驚異的な番組です。関東ローカルにも関わらず、ほぼ全国を網羅する勢いです。

第1弾・第2弾が遂にDVDに!
松本人志はもちろん・・・
千原ジュニア(千原兄弟)の「兄・靖史の珍事件話」
ほっしゃん。の「日常ではありえない出来事」
宮川大輔の「小中学生時代の特異な体験」
河本準一(次長課長)の「オカン話」
佐田正樹(バッドボーイズ)の「不良時代の話」
黒田有(メッセンジャー)の「聞くも悲しい貧乏話」など抱腹絶倒の「すべらない話」が満載です。

~特典~
(1):【衝撃の未公開映像】
河本準一「幼少時代のやけど話」とは?・・・etc.
(2):【すべらない話のためになる話】
番組を見る時に何倍も楽しめる、"ためになる裏話"を一挙公開
番組内で使用しているあのサイコロって実は・・・etc.

Amazon.co.jp
「人志松本のすべらない話」は松本人志がホスト役を務める単発深夜トークバラエティ番組。出演者の名前が書かれたサイコロを振り当たった人がすべらない話を披露するという実にシンプルな趣向。すべってはならないというプレッシャーから出演者は極度に緊張、現場は異様な空気に包まれる。第1弾DVDの出演者は、 松本以外に千原浩史(千原兄弟)・ほっしゃん。・宮川大輔・河本準一(次長課長)・佐田正樹(バッドボーイズ)・黒田有(メッセンジャー)という口八丁の面々。サイコロが振られるたびにメンバーの顔が引きつる。3連続して当たることも。しかしそこはプロの笑いの達人たち。一度話し始めると必ず爆笑が起きまったくすべらない。ひたすら爆笑!(仲村英一郎)
人志松本のすべらない話 其之弐 通常版

アール・アンド・シー

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
「人志松本のすべらない話」DVD第2弾。今回は松本、千原浩史(千原兄弟)・ほっしゃん。・宮川大輔・河本準一(次長課長)・佐田正樹(バッドボーイズ)・黒田有(メッセンジャー)らいつものメンバーに加えて、有田哲平(くりぃむしちゅー)、矢作兼(おぎやはぎ)らが初参戦。サイコロも八面体になって、笑いもパワーアップ。第2弾(TV放送回数にすると第3、4回) になってもまったくくすべらないのは驚きだ。さすがは笑いの達人というべきか。河本準一(次長課長)の身内ネタはよく考えるとせつない話が多いが、それでも爆笑してしまう。千原浩史(千原兄弟)のネタも秀逸。しかし一人次元が違うのは「すべらない話の神髄を極めた男」松本人志。 松本はさまざまなところからネタを拾ってきて縦横無尽に笑わせる。さすが松本といつも唸らされる。笑いの精鋭たちの話芸をぜひご堪能あれ。(仲村英一郎)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
絶対にすべらない、とっておきの面白い話を、ダウンタウンの松本人志をはじめとした芸人たちが披露する人気TV番組を収録したDVD第2巻。麒麟・川島明らが参加した第3弾とくりぃむしちゅー・有田哲平らが参加した第4弾を収録する。通常盤。

HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol. (ぶどう)“安心”

アール・アンド・シー

このアイテムの詳細を見る
HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol. (バナナ)“親切”

アール・アンド・シー

このアイテムの詳細を見る
HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol. (リンゴ)“約束”

アール・アンド・シー

このアイテムの詳細を見る

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
VHS版が好評を得た松本人志の「VISUALBUM」がDVD-BOXで登場。「ごっつええ感じ」のメンバーとのシュールで不条理なコントを満載する。あの笑いをもう一度!


内容(「Oricon GE」データベースより)
ダウンタウンの松本人志が作・演出・主演の3役をこなしオリジナルコント集。コントはもちろんのほか、特典映像も収録。

大日本人 (監督、出演 松本人志)



このアイテムの詳細を見る


「松本人志の笑い」ははまると、転げ回って笑える。「大日本人」、早く観たい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドリフ大爆笑 30周年記念傑作大全集 DVD-BOX

2007年05月29日 | 映画・DVD・ビデオ
ドリフ大爆笑 30周年記念傑作大全集 DVD-BOX (通常版)

ポニーキャニオン

このアイテムの詳細を見る

内容紹介
○フジテレビ開局50周年記念! ドリフ大爆笑30周年記念!
大爆笑は30周年!長い間、お茶の間を爆笑の渦に巻き込んで来た、
まさに国民的バラエティ番組が、ついにDVD-BOXで登場です!

○ドリフのコント見るなら「大爆笑」!30年の歴史を詰め込んだ3枚組DVD

[内容解説]
ドリフ大爆笑は30周年記念!1977年2月放送開始から、お茶の間を爆笑の渦に巻き込んできた『ド
リフ大爆笑』が、ついに初DVD化されます。

番組30年間の歴史をぎゅっと詰め込んだ、3枚組DVDには「もしものコーナー」ほか、おなじみの爆笑コントが目白押しに収録!

内容(「Oricon」データベースより)
1977年2月に放送開始以来、お茶の間を爆笑の渦に巻き込んできたお笑いコント番組“ドリフ大爆笑”がDVD化!「もしものコーナー」ほか、お馴染みの爆笑コント満載で番組放送30年間の歴史をギュッと詰め込んだ3枚組DVD-BOX。まさにお茶の間永久保存版!



「初回限定版」は予約で既に売り切れ。「ドリフ」の笑いは僕らの世代の心に沁みこんでいるもんなぁ~・・・実は「考えに考えたコント」、いかりや長介さんがOKを出さないとGOできなかったという話を聞いた事がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミス・ユニバースに森さん 日本人48年ぶり栄冠

2007年05月29日 | エッセイ・日記・意見
 【メキシコ市28日共同】2007年ミス・ユニバース・コンテストが28日、メキシコ市で開かれ、日本代表の森理世さん(20)=静岡市出身=が優勝した。ミス・ユニバース・ジャパン事務局によると、日本人の優勝は1959年の児島明子さん以来48年ぶり。

 ロイター通信によると、優勝した森さんは「(驚きで)頭の中が真っ白です」と語った。

 昨年のコンテストでは知花くららさん=那覇市出身=が2位に輝いた。

 参加者77人のうち、2位はブラジル、3位はベネズエラの各代表に決まった。

 森さんはカナダのバレエスクールでダンスを勉強。現在は静岡市内で母親が経営するダンススタジオで、ジャズダンスのインストラクターとして働いている。

 AP通信によると、森さんにはダイヤモンドや真珠があしらわれた25万ドル(約3000万円)相当の冠が渡された。(北海道新聞より引用)



「美人」とは誰がどんな定義で決めるのだろう。ウーマンリブの時、あれだけ、「ミスコン」について猛反対していた女性から、今、「ミスコン」への反発が無いのは何故?「ミスター・ユニバース」があってもいいのでは。男女均等ならば。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『家族の肖像』(NHK)を観て・・・

2007年05月29日 | テレビ番組
NHKスペシャル『家族の肖像』を一昨日、昨日と観た。一昨日は「ハンセン氏病で中絶させられた胎児(女の子)とハンセン氏病に罹った母親」の話。
母親は「ハンセン氏病棟」から2度逃げ出し、二人の男の子を出産。しかし、「ハンセン氏病棟」に連れ戻される。病棟内で妊娠が分かった女の子は8ヶ月で強制的に堕胎させられた。その女の子が標本として57年間、「ホルマリン漬け」にされていたのだ。
母親は何度も国に陳情し、やっと自分の娘と57年ぶりに対面。小さなお棺に入れられた「娘」の為に作ったエプロンとかを火葬の前に入れていた。母親は号泣。長男も泣いていた。顔立ちや手足の形も分かる状態で57年前に「命を得る事ができなかった娘」に対して、痛恨の念が母親にはあったのだろう。

「ハンセン氏病」で強制的に「断種」された夫と結婚してた妻。
「一生、子供を持てない」という気持ちをずっと持ちながら、60年。今、妻は脳梗塞で倒れた夫を看病している。

昨日の放送は、70年前、ブラジルに移民した日本人一家の話。「弓場家」は現在76人が都会から離れた農場で、日本人だけの「大家族」として暮らしている。70年前、最初に入植した「弓場家の当主」が「日本人だけのコミュニティー」を理想像とし、それが具現化したのが現在の「弓場家」。日常会話はすべて「日本語」だ。当然、血縁結婚も増え、現在の当主の長女は「ブラジル人の彼氏」との結婚を望み、彼氏も「弓場家」の一員として、一年間かけてとけ込もうとしていた。しかし、「弓場家」の人達は「ポルトガル語」も喋られる。だから、彼氏は「日本語」をあえて覚えなかった。
「弓場家」の中には、ブラジル人の彼氏を受け入れる事に猛反対するものもいる。しかしながら、長女と歳の近い独身の女性の中には困惑するものもいる。
結局、当主が全員を集め、「長女の結婚とブラジル人の彼氏をコミュニティーに受け入れるか」について、話し合いが始まった。冷房も無い部屋で。ブラジル人の彼氏は、「裁判所の発行した書類」を手に持ち、説明する。「自分には犯罪歴も無く、普通の人間だと証明されている」とポルトガル語で。話し合いは長時間続いたが、結論は出なかった。
結婚式が迫ったある日、当主の意見で、「新婚夫婦」は「コミュニティー」ではなく、3キロほど離れた町に住み、「コミュニティーに入れると証明された時、戻ってくる」という結論になった。
「長女の結婚式」は「コミュニティーの中の教会」で行なわれ、強行にコミュニティー入りを反対し、結婚式にも出ないと公言していた叔父さんも会場に姿を現わした。


この2つの番組を見て、僕が感じた事。それは「家族がとても大切だという事」、そして「大切がゆえ、家族内での揉め事はなかなか解決しない事」、でも「みんなで顔を突き合わせて、話し合えば、少なくとも、前に進める事」だ。

さらに、「五感を大切にする事」。「無償の愛」。「想像力を働かせる事」。
今の日本社会に欠けている事ばかりだと思った。ブラジルのコミュニティーの子供たちはDSなどのゲームをしない。若くして、日本に出稼ぎに来ても、休みを返上して、「自分の夢」の為にお金を貯める。多分、日本人より日系人の方が賃金は安いだろう。
しかも日本でゲーム機等に接する機会もあるだろう。でも、ブラジルの奥地の「コミュニティー」に帰る事を躊躇無く選択する。「何が幸せなのか」をよく分かっている。素晴らしい心を持っていると僕は思った。

2つの番組に出て来た人々の「顔」を見れば、その人柄も分かるし、苦悩も分かる。「涙」は純粋で、「笑顔」は屈託が無い。「喜怒哀楽」が表情に出ている。それが本来の人間では・・・と僕は思う。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケータイで自己紹介、女子高生にプロフ流行

2007年05月29日 | インターネット
PC・携帯電話で手軽に自己紹介できる、「プロフ」と呼ばれるサービスが、女子高生の間で大流行している。というか、「知らぬは大人ばかりなり」で、彼女たちの間では今や「持っているのが当たり前」という存在のようだ。女子高生のライフスタイルに詳しいブームプランニングの調査によれば、日本の女子高生の半数近くがプロフを所有しており、首都圏では実に7割以上にも達する。

「プロフ」とはプロフィルの略で、携帯サイト上の記入式ホームページを指す。利用者は男子よりも、女子高生が多い。「前略プロフィール」や「マイプロフィール」などのサービスが、よく知られている。そこには氏名、年齢、住所から好きな食べ物やタレントまで、多種多様な質問事項が用意されている。その数は40~100項目にも及ぶが、彼女たちの多くが几帳面にも、すべての項目に答えを書き込む。またトップには必ず、当人の顔写真が掲載される。

 その結果、実に詳しい個人のPRページが出来上がる。少女たちはそれを、携帯端末の赤外線通信機能を使って、お互いに交換する。ちょうどサラリーマンが名刺交換するような気分らしいが、彼女たちが交換するものは、名刺とは比べ物にならない大量の個人情報を含んでいる。

 プロフは個人に割り振られたホームアドレス上に記載されているので、それを知ってさえいれば、物理的には誰でも見ることができる。したがって、ある少女に関する詳細な個人情報が第3者の手に渡る危険性は当然ある。このためプロフの使用を禁止する高校もある。

 しかし意外にもプロフによる事件は起きていない。それが出会い系サイトのように、社会問題化している様子はないのだ。その理由について専門家は次のように語る。

「プロフが使われるのは、高校生に限られている。彼女たちはそれを、親にも教師にもバイト先の店長にも教えない。あくまでも同世代の子たちの、手っ取り早いコミュニケーションツールとして使われている。つまり完全に閉じたネットワークを形成しているので、見知らぬ大人の介在する余地がない」(ブームプランニング代表取締役の中村泰子さん)

 また仮に個人情報が第3者の手に渡ったとしても、最近の女子高生たちは怪しい人からメールが来るようになると、あっさりとアドレスを変更してしまうという。その辺の回避術、処世術には長けているようだ。

人づき合いをショートカット
 何か問題があるとすれば、むしろ最近の少女たちのコミュニケーションの変化ではないか、という。

「塾やお稽古事で忙しい彼女たちにとって、プロフで手っ取り早く相手を理解しようとするのは、ある意味で合理的かもしれない。しかし、そんなものだけで人を判断し、つき合う相手を限定するのはどうかと思う。人づき合いの方法をプロフでショートカットしているので、このまま大人になるとすれば、ちょっと心配だ」(中村さん)

 実際、彼女たちと話してみると、対人コミュニケーションが極めて苦手だという。例えばしかられたり、注意されるのを極端に嫌がる。ケータイで、相手との間に、ワンクッション置くことに慣れているからだ。また少女たちの中には、違うプロフを何個か用意し、つき合う相手によって使い分ける人もいるという。

 つまり「こっちのグループに対しては、こういう面を見せる」という姿勢だ。これも、ある程度合理的な処世術かもしれない。しかし、それをプロフにまでする労力を考えると「行き過ぎではないか」との見方もある。

「今の少女たちの会話を聞いていると、自己中心的で自意識過剰の面を強く感じるときがある。例えば会話の中にキャッチボールがない。自分を見せるだけで、相手の話を聞こうとしない。そうした中でプロフが登場し、彼女たちに受け入れられたのではないか」(中村さん)(小林雅一=KDDI総研・リサーチフェロー/2007年1月24日発売「YOMIURI PC」2007年3月号から)
「プロフ」に入りたい方はこちら→http://prs1.cgiboy.com/


「ブログ」ではなくて「プロフ」。一般の人がたくさんの人に自分の情報を発信する時代になってきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする