日本と韓国が共有する「海女の歴史・文化」を
ユネスコ世界無形遺産に!
(2012年12月25日)
投稿日 : 2012年12月25日
【ウォッチ・ジャパン・なう vol.35/FPCJ】より転載
世界経済フォーラム(ダボス会議)が発表した2012年の「グローバル・ジェンダー・ギャップ・レポート(世界男女格差年次報告書)」によると、世界135カ国の中で、日本は経済的男女格差が101位、昨年の98位から3位下がりました。男女雇用機会均等法が施行されて四半世紀が過ぎたにも拘らず、日本の女性の地位向上はいまだ進んでいません。その均等法施行後の1990年、 バブル景気を背景に経済的・精神的に自立して生きようとする20~30代の女性のリアルな生態を描いたノンフィクション「結婚しないかもしれない症候群」がベストセラーとなりました。その著者である作家の谷村志穂さんは、現在、三重県志摩半島を舞台に「海女」を主人公とする連載小説「いそぶえ」を執筆中です。「目の前に海があれば、身一つでできる生業。海を越えて(海外で)もできる。現代社会での自立を目指す女性にとって、特筆すべき生き方だと思います」
からだ一つで海に潜り、魚介類や海藻を採取する女性の職業「海女」は、日本列島と済州島を中心とする韓国のみに存在し、少なくとも5000年の歴史をもつと言われています。しかし、高齢化と若い後継者不足により、海女の職に従事する人の数が年々減っており、その存続が危ぶまれるようになってきました。現在、日本では、三重県、石川県(輪島)、千葉県、静岡県をはじめとする18県に2174人(2010年 海の博物館調査)、40年前と比べて6分の1に減少しました。韓国は、済州島、釜山、泰安(テアン)などに4881人(2011年)、やはり約40年で5分の1となりました。
三重県では今、973人が海女として働いています。その中の一人、鳥羽答志島出身の濱口ちづるさんは21歳の娘さんをもつお母さん、海女として16年のキャリアを持ちます。海に潜るのは一年のうち6月末から9月中旬の間の20日程度、主にアワビを採ります。「子どもの頃から遊んでいた海で、自分のペースで働き、自然のままに生きることを学んでいます」と語る濱口さんは7名いる地域の海女グループでは最年少、仕事の手練手管を教えてくれる82歳を筆頭とする先輩たちとのおしゃべりが「日々の成長の糧」となっています。東京でデザイン関係の仕事をしていた鈴木直美さんは4年前に転身、漁業権など外部の人間にとっての複雑な問題をクリアして千葉県白浜で海女として働き始めました。
写真:左から、
濱口さん(鳥羽の海女さん)、
海の博物館 石原館長、
鈴木さん(千葉白浜の海女さん)
(11月30日 多くのひとに「海女文化」を伝えるためのフォーラムにて)
2007年から、韓国済州島の「海女博物館」と三重県鳥羽市の「海の博物館」が連携し、日韓両国に脈々と続いてきた海女漁とその文化を東アジアの価値ある資源と位置づけて、ユネスコ無形文化遺産への登録を目指す取り組みが始まりました。今年6月には三重県、鳥羽市、志摩市、漁業協同組合などの関係団体により「海女振興協議会」が設立され、日本側の中心的存在となっています。同会会長の「海の博物館」石原義剛 館長はその旗振り役、「海女文化は日韓が共有する海洋文化、しかもごく普通に働き暮らす人々の文化を存続、継承していかねばならない」との決意の下、精力的に活動しています。海女は、古来から自立した女性の職業であり、漁獲資源を獲り過ぎないよう守ってきた自然保護の実践者であり、更には漁村共同体の要=絆である、と訴えています。
韓国の海女「潜女(ジャンニョ、済州の方言)」の海洋文化を研究する韓国海洋大学の安美貞(アン ミジョン)教授は、済州島「海女博物館」での韓日国際学術会議の開催が、済州と鳥羽市の国境を越えた地域ネットワーク形成の端緒となったとし、海女のような潜水漁法に基づいた海洋文化は国境に閉じ込められていない海洋文化であると言います。実際に、昔から、済州の潜女は韓国各地や日本の対馬や静岡に出稼ぎに、日本からは明治維新後、対外進出を図る国策に乗って志摩の海女が出稼ぎに赴いた(三重大学 塚本明教授)とされています。「海女文化」の世界遺産登録に向けた活動を通じて、安教授は、海女文化を各国の伝統・民族文化としてだけでなく、グローバル化の中の潜水漁業の観点から東アジアの「海洋文化」として捉え、そこに人類の普遍的な価値を見出し共有していきたいとしています。
今年夏以降、日韓関係は領土問題を巡って何度か緊張した局面を迎えましたが、7月の韓国ヨス万博、9月の済州島での第5回海女祝祭、10月の三重県志摩での海女さん大交流会などの催事は両国の関係者間の往来も途絶えることなく無事に開催されました。来年は、石川県輪島で海女サミット、10月には済州島で海女祝祭が開かれる予定です。日本と韓国の海女さんの交流は、彼女らの職場である海での紛争にも動じず、穏やかに着実に続いています。2002年サッカーワールドカップの日韓共催が実現してから、両国の交流は若者文化を中心に新たな方向に展開してきました。そして今「海女文化」の世界無形登録に向けた活動を通じて、古来より自然と共生し、環境と地域共同体を守る海女という「普通の人々の文化」を東アジアの海洋文化として、絶やすことなく未来につないで行くことは、日韓両国の多様で多重な歴史・文化の交流を世界で共有することにつながると思われます。
日本全国の海女さんと韓国済州の海女さん
*写真提供: 志摩市役所 商工観光部 観光戦略室
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