故キム・ビンナラさんの父親のキム・ビョングォンさんが、準備してきた追悼の辞を読み上げた。「檀園高校前の通りの桜を見ると、涙があふれ出る。

2024-04-18 12:15:57 | 韓国を知ろう
 

再び訪れた青黒い海…

「父さん母さんはまだセウォル号から出られずにいる」

登録:2024-04-17 07:14 修正:2024-04-17 08:13
 
遺族や4・16財団など48人、惨事から10年を迎え船上追悼式
 
 
セウォル号惨事から10年を迎えた16日午前、全羅南道珍島郡鳥島面の東巨次島近くの事故海域で、犠牲者の遺族たちが献花している=キム・ヨンヒ記者//ハンギョレ新聞社

 「ウアアアア」

 16日午前10時30分。海霧の間から黄色いブイが見えると、悲痛な号泣の声が青黒い水の上に響き渡った。甲板の手すりを握りしめ、黙って頭を下げる父親、膝をついて泣き叫ぶ母親、涙をこらえきれず空を見上げる兄弟姉妹たち。表現はそれぞれだったが、各自が耐えてきた悲しみの重さには違いがないように見えた。

 この日未明、京畿道安山(アンサン)を出発した0416檀園高校家族協議会(協議会)の遺族、4・16財団、安山オンマウムセンターの関係者ら48人は午前7時30分ごろ、海洋警察の3千トン級の警備艇3015艦に乗り込んだ。「ブウ、ブウ、ブウー」。3時間あまりの航海の末、惨事現場に到着したことを告げる汽笛が3度鳴った。全羅南道珍島郡鳥島面(チンドグン・チョドミョン)の東巨次島(トンゴチャド)の南3.3キロの海域。10年前のこの日、セウォル号が沈没した海だ。10回目の船上追悼式を迎える遺族たちの表情は重く、沈んでいた。

 協議会の遺族たちは毎年、子どもたちが好きだった檀園高校前の桜を菊とともに事故海域に浮かべてきた。今年は生花が手に入らなかったため、桜の造花で代替。遺族たちは先に旅立った子どもたちの名前と共に、「忘れません」と書かれた黄色いリボンを造花に結び付けた。

 
 
セウォル号惨事から10年を迎えた16日午前、0416檀園高校家族協議会の遺族たちが、全羅南道珍島郡鳥島面の東巨次島近くの事故海域で、船上追悼式をおこなっている=キム・ヨンヒ記者//ハンギョレ新聞社

 故キム・ビンナラさんの父親のキム・ビョングォンさんが、準備してきた追悼の辞を読み上げた。「檀園高校前の通りの桜を見ると、涙があふれ出る。あれほど胸に深い恨(ハン)を抱いて、一輪の花として遥かな道へと旅立ち、今は見ることも、触れることもできない。母さん父さんは日常生活を送りながらも、セウォル号から出られずにいる。いつになったらセウォル号から抜け出せるのだろうか」

 「忘れないよ」という歌に合わせて献花がはじまった。またも泣き叫ぶ声があふれた。「会いたい」「ごめんな」「大好きだよ」。協議会の監査を務める故イ・ホジン君の父親のヨンギさんが、今月5日に1人の遺族が悲しみに耐え切れず自ら命を絶ったという悲報を伝えた。そのようにして世を去った遺族は3人にのぼるという。イさんは「政府は特別法の制定と裁判の過程で悲劇的な死の差別を助長した。心が痛む。子どもたちに申し訳ない」と言ってうなだれた。

 甲板の上で泣き声があふれるころ、惨事の翌日から半年あまり遺族のそばにいたという5人のボランティアが、準備してきた白いカーネーションを海に投げ入れた。理由を聞くと、匿名の1人のボランティアが言った。「花言葉です。白いカーネーションの花言葉が『あなたを熱烈に愛しています』なんです」

 
 
セウォル号犠牲者の遺族たちが16日午前、全羅南道珍島郡鳥島面の東巨次島近くの海域で、事故地点に設置されたブイを見つめている=キム・ヨンヒ記者//ハンギョレ新聞社
キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

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