フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

ビジネスとしてのお笑い

2009年04月18日 23時46分26秒 | 日々の出来事・雑記

 吉本興業が、若手芸人らを講師として漫才講座を開くとのことだ。確かに、笑いは対人関係をよくしたり、コミュニケーション能力を向上させるのに役立つ。
 このような講座を受けてみたいという人がいてもべつに不思議ではない。
そして、うまくいけば若手芸人の収入源にもなる。

 最近どのテレビ局も広告収入が大幅に減少し、タレントのギャラも減らされている。
 一般の人がテレビを見なくなったこと、企業がより効果的な広告を求めるようになったことがその理由に挙げられる。
 企業はネット広告に少しずつシフトしはじめている。

 その中で吉本興業は、テレビ以外のマーケットを模索しているように思われる。すぐに成功するかどうかは別として方向としては正しいと思う。
 テレビはあまり見なくなったが、You tubeで好きな漫才師やお笑い系の動画はよく見る。
 笑うことは非常に健康的であり精神的に助けられることも多い。笑いは古典的であるがまだまだビジネスとして可能性のある分野である。 

 笑いはどの哲学者もうまくその全体を捉えられていない。つまり、かなり複雑で幅の広い感情なのである。
 笑いのつぼは人によって微妙に違う。
 アメリカ人とかは単純なのかもしれないが、日本人の笑いはけっこう複雑だ。
 最近は、欽ちゃんやドリフが流行った時代のように、みんながおなじものを見なくなった。
 よりマニアックになっている。
 また、たくさんのタレントが乱立しているから、笑いの独自性も要求される。

 
 お笑いの人たちも、昔とちがって高いギャラが期待できないのだから、テレビに固執せず別の方法を模索していくべきである。
 自分の笑いが一般受けしなくとも、少数の熱狂的ファンを獲得できれば、それなりに成功する道がひらける。

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結果より過程

2009年04月18日 00時02分33秒 | 社会・政治・思想哲学

  終わりがすべて目標ではない。メロディーの終わりはメロディーの目標ではない。
 しかしそれにもかかわらず、もしメロディーがその終わりに到達しなかったならば、メロディーはその目標にも到達しなかったのだ。
 これは一つの比喩である。 ニーチェ

 幸福は幸福の中にあるのではなくて、それを手に入れる過程の中だけにある。 
 ドストエフスキー

 両者の言葉は、微妙違う。しかし、言いたいことは、結果ではなくその過程に意味があるということだ。

  人から与えられたものだけで生きている者や、多くのものを既に手に入れている者に幸せはない。
 
 幸せそうに見えるだけだ。
 
 貧乏だろうが、病気だろうが、主体的に何かを掴み取ろうとする者にしか幸福はやってこない。
 
 すでに終わった結果に幸せはない。その過程の中にしか、楽しみはない。

 自分の可能性に向かうこと。

 わくわく感は、いま行動しているその瞬間の中にある。

 

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