小沢一郎が「キリスト教もイスラム教も非常に排他的だ。その点仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教だ」と語ったらしい。
本当のことだが、問題のある発言だという人もいる。
仏教を、キリスト教やイスラム教と同列に並べて論じることが正しいかどうか議論の余地がある。そもそも仏教は宗教なのかという疑問もある。お釈迦様は「信仰を捨てよ」ともいっている。そして、死後の世界については語っていない。
仏教の本質は「無常」である。
世界は固定されたものはなく、瞬間、瞬間に変化していく。
だから、死後に天国に行くのか地獄に行くのかなんて事は重要でなく、今、この瞬間に生きていることが重要だとするのである。
「人生は、過酷で不条理だ」ということを否定しない。
このような考え方は、虚無的といえば虚無的である。しかし、今の一瞬にかけるという人生観は、明るい虚無だといえる。
人は必ず死ぬ。天国も地獄もない。神様もいない。では何のために生きているのか。
それは、今この一瞬のためである。
このような考え方は、宗教というより哲学に近いのではないかと思っている。
そもそも、神がいない(そのことは考えない)というのだから、無神論である。
ニーチェは能動的ニヒリズムを説いた。
それは、すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方で、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度である。
(仮象とは感覚的現象。対応すべき客観的実在性を欠いた、単なる主観的幻影)
世界についてどのように考えるかについて、仏教とニーチェは共鳴する。