フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

創造する人間

2009年11月02日 23時47分50秒 | 社会・政治・思想哲学

 ニーチェは創造する人間について3つの比喩で表現する。

 ラクダ、ライオン、赤子である。

 まず、ラクダは重い荷物を背負って砂漠の中を歩く。つまり、人類の歴史を勉強する忍耐の時代が必要だということである。

 次にその伝統的なものの考え方を否定するライオンの時代である。価値の破壊にはパワーが必要である。強くなくては破壊できない。

 ただ、それだけでは足りない。真の創造をするには無邪気な子供の心が必要だとするのである。
 

 この子供は、内面にラクダとライオンを秘めつつ、無邪気に行動する。このような状態になってこそ本当の創造ができるとニーチェはいう。

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恋愛について

2009年11月02日 18時51分57秒 | 社会・政治・思想哲学

 視聴率の高いドラマ、JIN
 ドラマも見ると泣いてしまうから全部は見ていない。涙もろくて困る。ああいう単純なヒューマニズムのドラマのほうが視聴率が取れると思う。 

 あのドラマのよさは、死が身近にあることで、生が凝縮した形で現れること。好きな人に逢えないことで、恋人に対するプラトニックな感情が純粋な形で現れることにあるのだと思う。
 恋愛は基本的にするもので、考えるものではないが、ドラマの話をしたついでにちょっとだけ恋愛を哲学しようと思う。
 
 男女間の関係を分析すると二つの軸で考えられる。プラトニズムとエロティシズムだ。ゲーテはプラトニックな愛が真なるものと考える。これに対して、ショーペンハウアーは「男の性欲がなくなればすべての女から美は消えるだろう」といい、芥川龍之介は「恋愛とは性欲の詩的表現にすぎない」としている。

 
 エロティシズムは動物的な本能ということでなんとなく説明がつくところがあるが(正確にはそんなに簡単ではない)、プラトニック的な恋愛については、一体何なんだと思うところがある。
 精神的な愛。このようなプラトニックな状態がよく現れるのは、理想的な女性に片思いしている場合である。ただ理想的とは勝手に本人がそう想っているだけで、実際付き合ってみるとぜんぜん違う女だったということがよくある。
 というかほとんどがそうだともいえる。だから、理想を崩さないという意味では、片思いがベストなわけだ。現実というものをあまり理解していない若者は、このようなプラトニックな恋愛をしやすい。

 理想というものに向かっているとき、人間は純粋な気持ちでいることができる。しかし、現実に触れることで、理想と折り合いを付けなければならない。
 挫折を味わうのが人生だ。共産主義も理想として追っているときは純粋な気持ちでいることができたが、現実に向き合うことで挫折感を味わった。
 恋愛も同じようなものである。現実はいつも厳しい。

 そんなことはもうとっくに分かっているのだが、人間が恋愛をしなかったら、何のために生きているのか分からないくらいつまらないのも事実だ。
 傷ついたとしても、人を愛することは素晴らしいことだ。 

 

 

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