フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

趙州洗鉢

2010年12月15日 08時53分52秒 | 社会・政治・思想哲学

 禅の公案に「趙州洗鉢」というのがある。
 
 趙州という有名な禅僧が、ある若い僧に「仏教とは何かを教えてください」といわれた。

 「朝ごはんを食べたか」

 「はい」

 「では、君が食べたご飯のお椀を洗いなさい」といった。
 
 この言葉で、この若い僧は悟ったという話である。


 昨日、虎ノ門で遅くまで飲んでいた。ひとりが「一週間長いね、まだ火曜日だよ」と言っていた。本当に一週間が長く感じる。多分、ルーティーンの仕事に嫌気がさしてきているのだろう。そういう何もかも面倒くさくなるときに、この公案を思い出すようにしている。

 仏教の真髄は、今この瞬間にやるべきことをやる、つまり、この瞬間を生き抜く、ということにある。過去でもなく将来でもない。今、息をしているこの現在である。そのように生きれば、長いも短いも、ルーティーンもない。


 

コメント
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