禅の公案に「趙州洗鉢」というのがある。
趙州という有名な禅僧が、ある若い僧に「仏教とは何かを教えてください」といわれた。
「朝ごはんを食べたか」
「はい」
「では、君が食べたご飯のお椀を洗いなさい」といった。
この言葉で、この若い僧は悟ったという話である。
昨日、虎ノ門で遅くまで飲んでいた。ひとりが「一週間長いね、まだ火曜日だよ」と言っていた。本当に一週間が長く感じる。多分、ルーティーンの仕事に嫌気がさしてきているのだろう。そういう何もかも面倒くさくなるときに、この公案を思い出すようにしている。
仏教の真髄は、今この瞬間にやるべきことをやる、つまり、この瞬間を生き抜く、ということにある。過去でもなく将来でもない。今、息をしているこの現在である。そのように生きれば、長いも短いも、ルーティーンもない。