今年一年を総括すると、変化だったと思う。正確にいうと、まだ変化していなくて変化の始まりという感じだろうか。それも外形的な変化ではなく、内面的・精神的な変化である。それは、まず自分自身の大きな問題点が明確になってきたことを意味している。それが分からなくては変化のしようがないからである。
「他者の自己化」と「自己の他者化」という概念がある。
他者の自己化とは、他人の感じたことをあたかも自分の事のように感じることである。つまり、他者と自己の同一化であり、共感能力を高めるということである。そもそも共感能力がなければ、社会生活できないので、通常の社会生活をしている以上、この能力はあまり問題にならないだろう。
どちらかというと問題になるのは、「自己の他者化」である。
自己の他者化とは、自分をあたかも他人のように客観視して観察することのできる能力である。どのように観察するかというと自己を二つに分裂させるのである。つまり、自分の中に「観察される自分」と「観察する自分」の二人を同時に存在させることである。
ところで、仏教でいう煩悩(三毒)とは、欲・怒り・迷いだといわれている。私の場合、「欲」はあまりないが「怒り」の力が強い。「欲」が引き寄せ吸い込むことによって人から奪う力だとすると、「怒り」は吐き出すことによって人に負のエネルギーを放射する力である。
怒りの原因は「おれがおれが」という強すぎる自我にありそうである。自分というものが前面に出すぎていて、プライドが高すぎるということである。そして、それがちょっとでも傷つけられると怒りに変わる。だから、自分というのを否定していく。否定否定否定である。仏教的に。
ただ、簡単に自我を否定できるものではない。そこで、自分自身に湧き上がってくる感情を客観的に観察していくことからはじめる。どんなに怒っている状態でも、それをきちんと客観視して観察できているとすれば、もうひとりの自分は冷静なのである。だから、怒っていることを止めるのではなく(強引に止めれば不満が溜まる)、観察しているもうひとりの自分を常に冷静に保つことが必要である。
まずは、自分の手足、呼吸、脈拍などの身体の状態を観察する。その後に感情面を観察していくのである。そのようにして、自己を他者化していく。
これの一番いい方法は、坐禅だろうと思う。
来年のテーマは「自己の他者化」である。
そのようにして沈静化した穏やかな自己を作り上げていく。来年はそれを徹底的にやるつもりである。