今日は、台風が来ていなければ奥多摩の長沢背稜にテント泊して、シャクナゲを見に行こうと思っていたが、この通り雨なのでやめた。そのかわり、何冊か図書館から本を借りてきて読むことにした。まずは、「きみを想う夜空に」ニコラス・スパークス著。
ニコラス・スパークスはアメリカの恋愛小説の名手で、いつか読もうと思っていながら、先延ばしにしてきた作家だ。イメージとして純愛モノの甘い恋愛小説なのかなぁと思っていたが、抑制され落ち着いた文章で、恋愛における心理描写がリアルで驚いた。よく読まれる小説にはそれなりの理由があると改めて思った。
嵐のように激しく恋に落ちる若いふたりの物語である。そして、愛し合っていながら微妙にすれ違っていく。愛すれば愛するほど、寂しさだったり嫉妬だったり、ネガティブな感情も同時に生まれてくる。分かっているけど止められない。
主人公のジョンに感情移入して読むと、途中できつくて読めなくなってしまう。なぜなら、私も同じような経験をしたことがあるからだ。というか激しい恋愛をした者なら、みんな同じような経験をしているのではないかと思う。だから、途中から意図的にジョンの視点から離れて、クールに客観的に読むようにした。そうしなければ、辛くて読みきれない感じだったからだ。
読んでいくうちに若い頃の熱くて辛かった感情がよみがえってきた。そのように忘れかけていた辛い気持ちを思い出させるくらいだから、良い小説なのだろうと思う。
小説を読んでいて思ったことは(小説の内容とはあまり関係がないが)、女性は近くで強く求められることが必要なんだなぁということだ。分析的にいえば、近くで、強く、求められる、という三つの要素だ。彼らには、「近く」でという要素が欠けていたのだと思う。女性は、基本的に寂しさに弱いから、近くにいないとダメなのだ。
下世話な話だが、近くにいて毎日セックスをしていると、今度は「強く」という要素が欠けてくる。男は女性を手に入れるまでは、激しく強く求めるが、手に入れてしまえば、だんだん激しい気持ちが薄れていく。そうすると今度は女性のほうがどのようにして、男性の気持ちを引きつけておくかに重点が移ってくる。そのような段階を経て、男が強く女性を求めていないことが分かると、また女性の気持ちは離れていく。
稀に男女間の関係を長い間うまく維持できている人たちがいる。その人たちは、その辺の微妙な心の動きに敏感なのだと思う。そして、自分をクールに客観視できるのだと思う。激しさは自分を見失わせ、人を傷つける。だから、自分をコントロールできなくてはならない。
しかし、逆に、クールに自分を客観視できるようになると、気持ちにセーブがかかって、激しい恋愛ができなくなってくる、ということもある。これ以上深入りすると、きつくなるなということがわかるからである。
若いということはアホということだ。だから激しく求めることが、いつか人を傷つけることに気づかない。でも、生きている充実感は味わえるだろう。それがほとんどの場合、ひどい結果になるとしても。