フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

恋愛と愛情を哲学する

2013年06月30日 01時30分07秒 | 社会・政治・思想哲学

 恋愛は、世界中のみんなを敵に回しても、あなたを愛することができるかの問題に思える。これに対して、愛情(愛着)は相手の嫌いなところをいくつも並べられるにもかかわらず、それでもあなたを愛せるかの問題だ。

 恋愛感情と愛情は似ているが少し違う。

 恋愛は、その一瞬の激しい感情が、永遠に続くと感じることがある。
 これに対して、愛情は相手の嫌なところがわかったうえで成立する穏やかで冷めた感情である。
 
 恋愛は、相手が私のことをどう想っているは別として「私があなたを好きだ」という主観的感情である。
 もしかしたら、最も激しい恋愛をしているのはストーカー殺人をするような人間なのかもしれない。彼らは相手が自分をどう想っているかをあまり考えない。あるのは自分が好きだという激しい感情だけである。
 それに対し、愛情は、相互のコミュニケーションによって育まれ、変化しつつ生成されていくものである。ふたりの関係性に重点がある。
 
 科学的にいえば、恋愛はホルモンの分泌によって起こる。恋愛はコカイン中毒と同じ状態だといわれている。
 これに対し、愛情は歳をとってホルモン分泌が減り、性欲も消えたあと、なお残るものである。重要なのは時間をかけて築いてきた関係性の記憶である。その記憶から生じるお互いの愛着が、愛情なのである。
 
 恋愛をすることは、遺伝子を残そうとする生物の本能であり、主観的・一方的にできるから誰でも経験できる。私たちは恋愛にすべてを賭けてしまうが、それはある意味、狂っているからである。
 確かに恋愛は素晴らしい。命がジリジリと焦げ付くような熱いものに触れることができる。
 しかし、人生にとって本当に大切なのは、その後のふたりの関係性の構築なのである。
 恋愛関係にある二人が、ともに愛情のある関係に発展させるには、高度な技術が必要である。それは今までの経験・知性を総動員しても価値のあることである。だから、努力しなければ得られないだろし、相手のあることだから、運にも恵まれなくてはならない。

 若い時、本当に人を好きになったことがある。しかし、それは一方的なものだった。いろんな知識や経験が未熟だった。もし、そのときの相手との関係をうまく構築し、愛情まで発展させられたら、どんなに素晴らしかったかと思う。
 もしあなたがそのように愛すべき相手を得られたら、最高の人生を掴みとったといえるのではないだろうか。

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