フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

日曜日の午後のスケッチ

2020年02月18日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

日曜日の曇った午後、買い物が終わり、横断歩道で信号待ちをしていた。

かなり大きな道路で、トラックや自動車がブンブン唸るように走っていた。

横断歩道の信号が、赤から青に変わり、僕は道を渡った。

向こうから横断歩道を渡る人が、たくさん歩いてきた。僕はその人たちをかわしながら、横断歩道を渡った。

ふと、横断歩道の向こう側を見ると、子供が泣いていた。坊主頭の男の子だった。

たくさんの人がいたが、皆、その子供をスルーした。立ち止まったのは、僕だけだった。

何歳くらいの子供なのかわからない。たぶん小学校を上がる前だろう。保育園の年長くらい。

僕は、しゃがんで男の子の目線にあわせた。そして「どうしたの?」と訊いた。

男の子は「お母さんが、お母さんが」と何回か言った。

男の子は、整った顔をしていて、大きくてきれいな瞳をしていた。

あまりにきれいだったので、僕はその瞳に見とれていた。

男の子の瞳の中に、ちいさな水たまりができた。それが、どんどん大きくなって、水たまりがゆらゆら揺れた。

そして、キラキラした宝石のような涙が、地面にポトッと落ちた。

こんな間近で、涙が流れ落ちるのを見たのは、久しぶりのことだった。

不謹慎だが、心が吸い込まれるような美しい情景をだった。

僕は我に返って、男の子に「お母さんはどこにいるの?」と訊いた。男の子は、横断歩道の向こう側を指差した。

「あっちにいるんだね」と訊いた。男の子はうなずいた。

「自分の家はわかるの?」と訊くと、またうなずいた。

「連れてってあげようか」そう訊くと、男の子は首を横に振った。

「どうして?」と僕が言うと「お母さんを待ってる」と男の子は言った。

東京では、僕みたいな大人の男が、子供に関わっていると、誘拐だと勘違いされる。

だから、本当はみんなのようにスルーして、そのままにしておくのがよかったのかもしれなかった。

しかし、泣いてる子供をそのままにはしておけなかった。

「じゃあ、わかった。ここにいるとお母さんが来るのね」僕がそう言うと、男の子はうなずいた。

「ここは、車が危ないから、動いたらだめだよ。ひかれるからね」僕はそう言って、男の子の頭をなでた。

すこし心配だったが、僕は男の子を置いて、そこを立ち去った。

その後、男の子がひかれたというニュースはなかった。お母さんがきちんと迎えにきたのだろう。

僕はどうしてあの男の子の涙に、見とれていたんだろうか。

想像するに、あの男の子は、わがままなことをして、お母さんを怒らせ、あそこに置いていかれたのではないか。

それで、男の子はお母さんが戻ってくるのを信じて、待っていたのではないか。

お母さんは、自分のことを心配して、絶対に戻ってくるって。僕のことを置いていかないよって。

僕も母さんがすごく好きだったから、男の子の気持ちがよくわかる。

あんな顔して泣いていたことが、何回もあった。

だから、あのとき僕は、泣いている自分を見ていたのかもしれない。

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