フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

シンプルに、そのままモノを見ること

2020年07月09日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

経験が増えると、理解できることが増えていきます。

それは、単に記憶の量が増えているだけではなく、パターン認識をしているからです。

パターン認識といっても、ちょっと分かりづらいから、具体的に説明しますね。

たとえば、スーパーに行ったとします。そのスーパーに入るのははじめてです。

卵を買いたい。ふつうに買えますよね。問題なく。

それは、買い物のパターンを認識してるからです。記憶だけに頼ると買い物が難しくなる。

それぞれのスーパーの買い方あって、いちいちそれを覚えないとダメだからです。

たとえば、そうですね。そのスーパーは、一回、自分でバーコードリーダーにかけて、レジに持っていくみたいな。

知らんよ、そんなのってなります。いちいち覚えてられません。

でも、だいたい同じ買い物の手順があって、それをパターン認識しているから、どのスーパーでも問題なく買えるわけです


歳をとって、色んなことができるようになるのは、こういうことです。

様々なパターンを覚えていて、それに当てはめるから、理解が早い。

パターン認識は、すごく効率のいい脳の利用方法で、物事の理解を早めるのには役に立ちます。

しかし、問題もあります。

まったく想像していない出来事に遭遇すると、うまく機能しないのです。

つまり、そのパターンから外れたとき、新しい考え方をするのが難しくなるんです。

よく、歳を取ったら頭が固くなると言われますよね。

それは、このパターン認識が原因だと思われます。

つまり、自分の思考の型から抜け出せなくなるわけです。

しかし、このパターン認識から逃れて、新しい発想をするのに有効な方法があります。

それは、アートを鑑賞することです。とくに絵画を鑑賞することがいい。

絵画は、経験に基づいたパターン認識を使うことはできません。

そこには独特の観察眼を必要とする。

絵画の鑑賞は、言葉にはできない美意識を必要とします。

美意識は、過去のパターンから起こるのではなく、いまこの瞬間に自分が感じている心を、味わうことです。

もう一度、小林秀雄の「美を求める心」を引用してみますね。

諸君が野原を歩いていて、一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。
見ると、それは菫の花だと解る。
何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。
諸君は心の中でお喋りをしたのです。
菫の花という言葉が、諸君の心のうちに入って来れば、諸君はもう目を閉じるのです。
それほど、黙ってものを見るという事は難しいことです。


このパターン認識から自由になることは、イノベーションと密接に関わっています。

イノベーションは、今までにない新しいパターンを自分で見つけ出すことだからです。

だからこそ、世界のエリートが、「美意識」を見直し始めているのです。

過去の経験にとらわれることなく、ここに今あるモノをシンプルに見ることは、簡単ではありません。

美しいものに触れることが、その近道でしょう。



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