フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

笑いにおける言葉と身体

2013年10月24日 09時01分07秒 | 日々の出来事・雑記

 お笑いについて色々な分類が出来るが、ここではあえて言葉と身体に分けて話を進めてみよう。
 言葉はお話の滑稽さで笑わせる。典型的なものは落語である。もちろん、純粋な言葉だけではなく、表情やしぐさも付随するが、言葉が優位するという意味で。
 身体とは、滑稽な体の動きで笑わせるものである。チャップリンやミスタービーンとかはその典型だろう。
 昔のドリフターズ(特に志村けんの変な踊り)とか欽ちゃんの笑いは、身体が優位していた。激しい動きによって人々を笑わせていた。
 それから、たけし、タモリ、さんまなどのビックスリーと呼ばれる人達によって、言葉の笑いが優位になっていった。ダウンタウンが、それを決定付けたといえるだろう。
 ただ、言葉による笑いは、別にテレビでなくてもよい。ラジオだって十分笑わせることは可能である。
 身体を使った笑いは、テレビや舞台でしか実現できない。聴覚ではなく視覚を必要とするからである。そして、ライブ感が重要となる。
 子供は、この身体を使った笑いが大好きである。だから、小島よしお、はんにゃなど、動きの面白い芸人は子供に人気がある。
 言葉から身体へというのが、テレビの生きる道だと思うのだが、言葉で笑わせるほうが安上がりなので、テレビ局はどうしても言葉に頼ってしまう。
 笑いは、ある意味、観念の格闘技である。人をたくさん笑わせるものが、世間を支配する。
 手練手管のベテランのお笑いタレントをバッタバタをなぎ倒していくのは、舞台を走り回れる生きのいい身体である。言葉では敵わないが、身体の動きで勝負すれば、まだ勝てる可能性がある。それにもかかわらず、若者は言葉で勝負にいっている。
 このへんに硬直したバラエティーに、風穴を開けるヒントが隠されているように思うのだが。

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